私がよく読んでいる、弁護士のMさんのブログに最近、顧問の体罰で生徒が自殺した、大阪市立桜宮高校について、次のような記事がありました。
―これまでも、同校のある都島区のPTA協議会には、桜宮高校の保護者らから、生徒が街で体罰問題の責任を問われるような罵声を浴びたり、自転車置き場で同校ステッカーを貼った自転車のサドルが抜かれる、バスから降りろと言われるなどというようなことが報告されていました。
また、同校の生徒が駅の駐輪場で待ち伏せされ追い回された、大学の面接で校名を告げたら笑われた、大学の運動部との合同練習を断られたというようなこともあったそうです。
さらに、今回のPTA臨時総会では、いまだに生徒が登下校中に罵声を浴びせられたり、自転車を壊されるなどの被害に遭っているという訴えがあったそうです。そんな嫌がらせを避けるため、校名が入った通学用かばんを裏返しにして登校する生徒もいるとのことです。―
何ということかと呆れ、腹が立つのですが、これが今の一部の大阪市民の実態です。このようなひどいことがなぜ起こるのか、Mさんはさらにこう言っています。
―今のこの事態の責任は、橋下大阪市長の激しい言動にもあるのです。同市長は1月15日の記者会見では、「仲間が死んだのだから、今何をすべきか考えてもらいたい。この状況で部活をやったら、人間としてはダメだ」、1月17日の記者会見では、「(桜宮高校は)子どもを迎えられる体制ではない。受験生がかわいそうといったことよりはるかに深刻な事態」、「(今春の入試は)あきらめてもらう」と言いだしました。そして、1月23日のツイッターでは「入試を止めて体罰がなくなるわけではないのは当たり前。しかし今回の問題を本質的に解決するためには生徒・保護者に考えてもらうこと。入試を止めて、継続性を絶って、そして考えてもらうことがどうしても必要だ」などとつぶやき、桜宮高校の生徒と保護者を十把一からげに加害者側・反省する側にしてしまったのです。
橋下氏は長く体罰を容認してきており、大阪府知事・市長としても体罰容認発言を繰り返し、大阪の教育現場での体罰容認文化の一翼を担ってきたと言えます。ですから、生徒たちより反省すべきはむしろ橋下氏です。それなのに、責任を取るべき人間がいつの間にか責める側に回る変わり身の早さは政治家としてはいつもながら見事ですが、人間としては最低でしょう。―
生徒や保護者達には落ち度はありません、ただ唐突に部活動の停止や、体育科の入試中止、教職員の全員配置換えなど乱暴な処置を橋下市長がすることに反発の声を上げたのです、それに対してあたかも生徒や保護者に問題があるかのように言ったり、ましてや嫌がらせをするということは最低の行為です。このようなことを橋下氏はどう思っているのか、今のところどう言ったかは聞きませんが、橋下氏はかつて「(桜宮高校の体育科の入試を実施したら「大阪のハジだ」と言いましたが、一部の市民の桜宮高校生に対する理不尽な仕打ちは、これこそ「大阪のハジだ」として、厳しく批判するべきです。それにしても橋下氏の言うことには何でも迎合する一部の大阪市民の程度の低さはどうにかならないものでしょうか。