中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ある引退

2010-10-18 08:22:40 | 身辺雑記

 谷亮子参議院議員が引退を発表した。と言っても議員を辞めるのではない。議員生活と両立させると言っていた柔道競技の第一線から退くということだ。私が読んでいる新聞の16日付朝刊の第一面の中央には「ヤワラ決意の幕」という大見出しで、これも大きな写真で報じたし、スポーツ面では賞賛の談話があふれ、社会面でも写真入りで賑やかに報じている。前日の夕刊でもトップで大きく「谷議員 柔道引退へ」と大ニュース扱いだ。

 

 ここで言うまでもなく、確かに彼女は女子柔道会の傑物だ(だった)。しかし最近は議員生活がどれほど多忙だったのかは知らないが、柔道の練習からは遠ざかっていたようで、917日には全日本柔道連盟の強化委員会が強化指定ランクを最上位の「ナショナル」から「シニア」に一段階格下げしたことで国際大会への出場が大幅に制限されることになっていた。若手の台頭が著しい中で35歳という年齢ではしょせん第一線にいることが無理だったのだ。

 

 前の参議院選挙で民主党の小沢一郎氏の引き立てで立候補した時は、「あの小沢の」ということもあって顔を顰める思いがした。かねてからタレントやスポーツ選手がぞろぞろ選挙に立候補することには、その政党の安易なあり方も含めてかなりの不快違和感を持っていたので、「谷亮子よ、あんたもか」と思った。知名度から言えば最高なのだろうが、政治家としての資質はまったくの未知数なのに、立候補を表明するなり当選確実などと言われ、ますます嫌になった。それに本人は立候補に当たって子育てをしながら議員活動をし、2012年のロンドン五輪出場を目指すと言ったのには、冗談かと思ったくらいだ。オリンピックを目指すなら政治家などを目指すべきでないし,そもそも議員活動というものを甘く見ている。この発言は私の周辺でもひどく不評で、中には「バカじゃないか」という酷評もあった。

 

 選挙活動の最終日には富士登山をするパフォーマンスで体力的にはタフであることを誇示したりしたが、そんなことをするのも絶対当選すると本人も周囲も思っていたからだろう。そして予想通り当選した。彼女の当選をもって、日本の一部の有権者の程度の低さがネットであげつらわれたりもしたが、勝てば官軍だ。当選以後は選挙中と同じように「小沢ガールス」の一員として小沢氏に対する忠実振りを見せていたが、党内ではスポーツ議員連盟の会長に就任した。これも新人としては破格の扱いだろうが、それほどの力量のある人物なのか。それとも民主党のスポーツ議員連盟とやらには適任者がいないのか。まさかこれも小沢議員の押しではあるまいだろうが。

 

 辛口評論で知られた消しゴム版画家で故人のナンシー関は2001年に出版された著書で「メダリストほどつぶしのきく肩書きはない。(中略)いくらオリンピックに出たいからって、7回も8回も無理矢理出るのはオリンピック的には美談でも、テレビ(というかバラエティ的世界観)的には、空気の読めないやつでしかない。だから、田村亮子は10年後に選挙に出ていると思う」と予想していたそうだが彼女の死後に予言は当たったようだ。

 それにしてもいかに過去に優れた実績を残したにせよ、彼女の引退についての報道は少し程度が過ぎていると思うし、
相変わらずのマスコミの姿勢だと苦々しくも思う。それにあの小沢一郎議員が引退発表の場で、彼女の隣に座ったのはどういうことだったのだろうか。前日に彼女が出席を懇願し、「断り切れなかったようだ」とは側近の弁だが、この調子ではいつまでも忠実な「小沢ガールズ」であり続けるのだろう。

 

 

 


沖縄は中国の領土?

2010-10-16 11:12:57 | 中国のこと

独立行政法人海洋研究開発機構の探査船「ちきゅう」が沖縄近辺の海底を調査した結果、沖縄本島の北にある伊平屋島沖の海底の地下に250度以上の高温の熱水がたまった世界最大規模の「熱水域」があることが判ったと言う。

 

見つかった「熱水域」は半径10キロ、厚さ100メートルの範囲に及び、これまで世界で見つかっている350ほどの「熱水域」の中でも最大規模だそうだ。このような場所には金や銀などの貴重な鉱物資源が分布している可能性が高く、今後の研究が期待されているとニュースは伝えている。

 

 沖縄近海か、世界最大規模の「熱水域」、貴重な鉱物資源かと考えていると、ふと、また中国が目をつけるのではないか、沖縄は中国の領土だなどと言い出すのではないかと思った。どうも尖閣諸島海域での事件以来、中国の在り様に強い不快感を抱くようになったせいか、ついこのように下種の勘ぐりのようなことを考えてしまう。我ながら中国には感情的に距離を置くようになったものだと思う。

 

 しかし、どうも荒唐無稽とは言い切れないようなことでもあるようだ。近頃中国の一部の学者の中には、沖縄は元来は中国の領土であったのだから返還させるべきなどという主張をする者がいるらしい。かつて1429年から1879年にかけて沖縄本島を中心に存在した琉球国という王国があり、明やそれに次ぐ清に朝貢していたからというのが主張の根拠のようだ。1879年の明治政府による琉球併合や、 第二次大戦後の米国による沖縄返還などはすべて国際法上の根拠を欠く、19世紀末に清国は「琉球国は属国だ」と主張したが、日清戦争で負けて領有権を放棄したというような論文が過去5年間に20本以上も発表されているという。このような主張は主に日本の右派ジャーナリストによって取り上げられ、例によって毒のあふれた反中言論の役に立っているようだが、どこの国にも政府や権力者に媚びる御用学者という者がいるもので、中国でも例外ではないようだ。

 

 いかに大国主義、領土拡張主義に取り憑かれているかのように見える最近の中国でも、まさかそこまではとは思うが、いやもしかすると思わせ反中意識を掻きたてるのが右派ジャーナリズムの狙いなのだろう。冷静にならなくてはと思う。


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生還

2010-10-15 09:27:31 | 身辺雑記

 近頃は内外ともにあまり良いニュースはないようだ。ノーベル化学賞に2人の日本人科学者が受賞したのは明るいニュースだったが、例の尖閣諸島問題で中国の態度に不快指数は上がる一方だったし、先月半ばにはオバマ政権としては初めて未臨海核実験を行い、「核のない世界」のリーダーのようにもてはやされ、昨年ノーベル平和賞を受賞したのは誰だったかと思わせた。国内でも相変わらず、特捜検事の証拠改竄など不愉快な、暗いニュースが社会面を賑わせている。

 

 そんな中で世界の耳目を集め緊張させたのは、チリの鉱山で、落盤事故で生き埋めになった33名の作業員の救出作業だった。サンホセという銅の鉱山で8月5日に地下400メートル付近で落盤が起こり、作業員の生存が絶望視されていたが、17日後に全員が地下700メートル避難所で無事であることが確認された。このときの様子は劇的で、探索のために避難所に達したドリルの先端に作業員の1人が、赤い文字で「我々33名は待避所で無事だ」と記した紙がくくりつけられていたので生存していることがわかった。その様子を見たが、救出に当たっていた作業員達は歓声を上げ抱き合って文字通り狂喜乱舞していた。

 それ以後チリ政府は、閉鎖環境での生活のノウハウを持つ
米航空宇宙局(NASA)や米疾病対策センター(CDC)、ハーバード大学など外国の政府や研究機関に次々と支援や助言を仰ぎながら綿密な救出計画が立てられ、9月から3つのルートで掘削開始し、そのうちの1つが10月9日に貫通、それを使った救助カプセルで全員無事救出された。いくら仲間達と一緒だったと言っても、地下700メートルに閉じ込められた不安と恐怖はいかばかりだったかと閉所恐怖症気味の私は想像する。特に事故後救出されるあてもない17日間はほとんど絶望的だっただろう。地中生活の間詩を書き綴り仲間から「詩人」と呼ばれた33歳の作業員は。「多くの日々が過ぎた 何も知るすべもなく ここ地中で 私の涙が流れ始める」と書いている。

 このような絶望的な環境の中で精神に異常をきたす者もなく全員が無事帰還できたのはまさに奇跡的だった。チリの大統領は現地に詰め続けて救出作業を見守ったと言う。パフォーマンスだという批判もあったようだが、一国のリーダーはこうありたいものだと思う。それに比べると鉱山の経営者は事故の後9日間行方をくらまして家族の怒りをかったそうだが浅ましいことだ。  

 

  

 日ごろはあまり意識には上がらない遠い南米の国での出来事だったが、人間の可能性と素晴らしさを考えさせられた心温まるニュースだった。

 

 


目が見えない。

2010-10-14 10:24:40 | 身辺雑記

 長男の嫁の父親Nさんから電話があった。来年から年賀状は差し上げないし、いただくのも遠慮したいということだった。最近は目が非常に衰えてぼんやりとしか物が見えないらしい。そういうことで年賀状を書くことはできないし、送られてきても返事ができないと言う。

 

 Nさんは以前から脚が不自由になってあまり動き回ることはできなかったようだが、最近は糖尿もあって、そのせいか緑内障になり、それが進行して目はほとんど見えなくなっているようだ。憂鬱そうな声でNさんは話したが、おざなりな慰めの言葉を掛けることもできずに電話を終えた。

 

 後で嫁に聞くと、近頃は軽い認知症の傾向があり、いわゆる「まだらボケ」のようなことにもなっているらしい。長男に会っても「どちらさんでしたか」などと言ったので、息子はショックを受けたそうだ。脚のせいもあって家ではずっと座り込んでテレビを見ている生活だったがそれもできなくなり、好きな碁もできないから、やはり心が衰えるのだろう。私より2歳若い75歳で気の毒に思う。

 目が見えなくなるのは辛いことだろうと思う。五感のどれが衰えたり、なくなっても辛いことだが、私は聴覚や味覚あるいは言葉が失われても何とか凌いでいけそうだが、目が見えなくなるのは怖い。脳に入ってくる情報量は激減し、頭の働きも鈍ってくるのではないか。それだけにNさんの心境はどんなものかと推量する。Nさんの要望に応じてパソコンにある住所録からNさんの住所を削除したが、ちょっと暗い気分になった。

 


政治家の感覚

2010-10-13 09:28:35 | 身辺雑記

蓮舫行政刷新担当大臣は、国会内でファッション雑誌の写真撮影に応じ、高級ブランドの洋服を身につけた蓮舫大臣の写真が雑誌に掲載されたとのことだ。雑誌は「VOGUE NIPPON11月号で、巻頭特集として国会内の階段でポーズをとっている蓮舫氏の写真を掲載し、同誌のホームページでは「国会議事堂でのファッション撮影を敢行!」などと記されていたと言う。

 これに対して参議院議院運営委員会の理事会で、野党側からは「私的な営利目的の写真撮影を国会内で行うのは、不適切だ」という指摘が出され、民主党の執行部は厳重注意した。蓮舫大臣は記者会見で、「国民から政治に高い関心を持ってもらうことは非常に大切で、国会議員は、街頭演説や集会など、さまざまな手段で情報を発信している。その1つの手段として雑誌の取材に応え、掲載してもらうことは大切」と言い、そして、「撮影は正式な手続きを経て、立ち会いの下で行われたが、撮影場所が不適切だと懸念を抱かせたとすれば、まったく本意ではなく、率直におわびを申し上げる」と述べ、陳謝した。

 

「陳謝」の様子をみたが、この人の表情がそうなのか、何かしれっとした感じで「率直にお詫び」しているような感じではない。それに、「さまざまな手段で情報を発信する1つとして雑誌の取材に応え、掲載してもらうことは大切」ということは間違ってはいないだろうが、ファッション雑誌に写真が掲載されることが政治家としての情報発信になるのか、どうも理解ができない。この女性政治家は以前からあまり好きではないが、それはともかくとしても饒舌を弄してつべこべ言うものだと不愉快に思った。

 

その一方で、蓮舫大臣は「撮影は正式な手続きを経て、立ち会いの下で行われた」と言うが、国会議事堂内では個人の宣伝や商業目的の撮影は禁止されているそうで、蓮舫大臣側は「国会活動の記録のため」と申告していたと言う。高級ブランドの服で国会内の階段でポーズをとったそうだが、何が国会活動だと言いたくなる。民主党の参議院国会対策委員長が、記者会見で「蓮舫氏は『政治活動の一環だ』と言っているようだが、一般的に見てどうなのかということに気をつけなければならない」と言ったのは至極当然のことだ。

 

自民党政権以来、何か問題を起こした政治家の陳謝や弁明を何度も聞いてきたが、多くの場合心から反省しているような印象がなく、政治家の感覚というものはこんな程度かと思わされたもので、蓮舫氏の場合も同じだ。政治家のすることが何でも政治活動になるわけではない。そのあたりを政治家自身がわきまえないと、議事堂でファッションモデルまがいの行動をしたり、議場や委員会で低劣な野次を飛ばすことまでもが政治活動になってしまう。

 


ワインの無駄遣い

2010-10-12 09:12:19 | 身辺雑記

 会計検査院が海外の日本大使館など51の在外公館を調べたところ、ヨーロッパにある3つの公館では、ことし3月の時点で、1年間に飲まれたワインの5倍以上にあたる1万5000本余りのワインが保管されていたそうだ。

 

このうちパリにある経済協力開発機構(OECD)の日本政府代表部では、この1年間にパーティーなどで260本余りのワインが飲まれ、その30倍にあたる7900本のワインを保管していたということで、関係者によると、このうち1000本以上が、フランス南西部のボルドー地方で生産されるワインのうち最も格付けの高い「5大シャトー」と呼ばれるもので、今の価格で10万円を超えるものもあったと言う。

 

一方、このほかの4つの公館では、この2年間に貯蔵庫に保管していたあわせて900本余りのワインを傷んでいたという理由で廃棄されていて、このうち、オーストラリア大使館では500本余り、ニューヨーク総領事館では200本、購入金額にして200万円余りのワインを廃棄していたと言う。

 

会計検査院は外務省に対し、過剰なワインを売却するなどの措置を取るよう求め、外務省は「過剰なワインについては売却などを進めている。保管するワインは年間に飲む量の3倍以下に抑えるという基準をすでに作っており、改善を図っていきたい」と話しているようだ。

 

 以前にも報じられたことがあるが、どうも外務省の、それも海外出先機関の予算の放漫な使い方は常態化しているのではないか。在外公館ともなれば接待やパーティなども少なくなく、私達庶民からすれば贅沢と思われることも必要上止むを得ないだろうとは思う。しかし、それでもOECDの日本政府代表部というところが何をしているのかは知らないが、1年間で260本ものワインを消費し、7900本も保管していたとは理解に苦しむ。まして10万円を超えるようなものを含む高級ワインが 1000本以上もあったとは常識外れだ。幹部達はセレブにでもなったつもりなのか。

 

 私はアルコールには弱いからワインのこともよくは知らないが、保管庫での保管の仕方が適切でなかったということだが、ワインというものはそれほど傷みやすいものなのか。また栓を抜かないで傷んでいるということが分かるものなのか。廃棄するという名目で私的な飲用に使ったのではないかと勘ぐられても仕方があるまい。会計検査院は過剰なワインを売却するなどの措置を取るよう求めたのは、要するに予算の無駄遣いということなのだろう。とにかくいい加減な感じで、これではワイン以外でも放漫な予算の使い方をしているのではないかと思ってしまう。海外にあっても諸費いずれも国民の税金でまかなわれているということを心すべきだろう。

 


ノーベル平和賞 

2010-10-11 09:00:05 | 中国のこと

 今年のノーベル平和賞に中国の作家である劉暁波(リウ・シャオポー)氏が選ばれた。劉氏は1989年に北京で起きた天安門事件以来、中国の民主化を訴えて来た人権活動家、民主活動家として知られていて、下馬評では受賞の有力な候補者に挙げられていたが、現在は投獄されて服役中の身だ。

 

 授賞の理由として、ノルウェーのノーベル賞委員会は「20年以上にわたり、中国の基本的人権の適用を唱えるスポークスマンと」評価し、「人権を求める幅広い闘い最大の象徴となった」としている。中国については「世界第2位の経済大国となったが、その新しい地位には増大する責任が伴わなければならない」と指摘し、「中国の憲法には言論、報道、集会、デモなどの自由が定められているにもかかわらず、市民の自由は明らかに制限されている」と批判している。

 

 これに対して中国政府は当然のことながら猛反発し,劉暁波は中国の法律を犯した罪人で、平和賞を与えるのは賞の趣旨に背きこれを汚すものだとする外務省の報道局長の談話を発表した。「中国とノルウェーとの関係も損なわれることになる」とも言い、実際に中国政府は抗議のためにノルウェーの駐中国大使を呼び出したらしい。これより前に中国外務省の幹部が賞の選考にかかわるノルウェーのノーベル研究所の所長に会い、劉氏を選べば中国とノルウェーの関係に影響が出るとして、圧力とも受け取れる警告をしたと伝えられていた。いかにもノルウェーを小国と侮るような驕慢な態度には呆れ返る。私が読んでいる新聞のコラムは「世界第2の経済大国にして、この政治的、社会的小児性は、いびつを超えて不気味に映る」と書いていたが、多くの日本人に共通した感想だろう。

 劉暁波氏はおととし、中国の民主化の必要性を訴え、共産党の1党独裁の終結や、三権分立、民主化
推進、人権状況の改善などを求めた宣言文である「零八憲章」を起草し、およそ300人の学者や弁護士らと共同でインタネット上で発表したことで国家と政権の転覆を煽る罪に問われ、今年懲役11年の判決が確定した。暴力で政権の転覆を企てたわけでなく、我々日本人からすると当然のことに思われる主張も「国家政権転覆扇動罪」というおぞましい罪になるとは何とも異様な感じだが、民主化と言うのは中国政府にとっては蛇蝎のように忌むべきものらしい。

 

 このように中国政府は激しく反発しているが、では中国の国民は受賞のニュースや、それに対する政府の姿勢をどのように知らされているのだろうか。ニュースによると、中国の衛星を使って放送されているNHKの海外向けテレビ放送は8日、劉暁波氏のノーベル平和賞の受賞が決まったというニュースを伝えていたところ、突然、画像と音声が途切れ、放送が中断したらしい。画面はノーベル賞に関するニュースが流れる間、真っ黒な状態が続き、ニュースが終わると元に戻ったと言う。このほかにもアメリカのCNNやイギリスのBBCなどが劉氏の受賞決定を伝えるニュースを放送すると、画面が真っ黒になったそうだ。明らかな情報遮断だが、これを見た中国国民はどのように思ったのだろうか。新聞も国営の新華社が政府の抗議声明だけを小さく伝えた他は各紙とも沈黙しているようだ。

 いくらテレビや新聞で情報を遮断しても、インタネットで知られていくだろうが、中国政府は
インターネットの規制を強化するなどして、国内での情報の広がりにいっそう神経をとがらせるだろうと見られている。しかし一部では、これで政府は穏健な民主化勢力にも強硬な姿勢で臨む可能性があるとして、民主化路線に打撃を与えるのではないかと危惧する声もあると言う。

 

 確かに中国は経済的には大国になり、毎年多くの予算を軍事費に注ぎ込んで、軍事大国の道も歩もうとしている。この国が金と力を頼んで外に向けては威圧的な態度で臨み、内に向けては批判を圧殺することをこれからも続けていけば、世界は警戒し、背を向けていくのではないか。真に大国としての矜持のある姿勢で、責任のある貢献をすることを世界に対して示さないと、単なる成り上がり者国家としか見られなくなるだろう。

 


手作り野菜の贈り物

2010-10-09 09:54:02 | 身辺雑記

 島根県大田市に住む友人のAさんが、手作りの野菜を送ってくれた。送られてきた小包の中にはさまざまな野菜が入っていて、どれも丹精こめたものだろうと有り難かった。

 

 かぼちゃ(へちまかぼちゃ?)、へちま、ゴーヤ、オクラ、ピーマン。


 

 

 さつまいも、いんげん。



 

 Aさんは60半ばで、私が入っている、中国の貧困農村地区の子ども達に教育援助する会の運営委員会の委員長をしていて、月に1回の運営委員会にはわざわざ大田市から大阪まで出て来る。非常にリーダーシップが豊かで、会の取りまとめや現地への訪問や調査などに精力的に参加し、会員の先頭に立っている。元大阪の夜間中学校の教員で、退職後は大田市に住み野菜作りをしたり釣りをしたり、地域活動をしたりの充実した日々を送る心豊かな生活は羨ましく思う。


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秋が来た。

2010-10-08 08:00:08 | 身辺雑記
 今朝(7日)、部屋のガラス戸をあけたら、ひんやりとした空気に混じって金木犀の香りが漂ってきた。その香りを嗅ぐと「ああ、秋がきた」と嬉しくなった。

 これまでにもこの季節になると書いたように、私は金木犀が大好きだ。この香りを嗅ぐといつも秋が来たと思う。

 もう、50年くらい前のことになったが、生物部の顧問をしていた私はこの時期は部員達と忙しく文化祭の展示の準備をしていた。下校時刻になると揃って校門を出たが、西の彼方の六甲山の山なみの背後の空が赤く染まり空気は澄んで涼しく気持ちがよく、その中を部員たちと一緒に帰るのは楽しいことだった。そんな時に途中にある住宅から金木犀の香りが漂っていた。それ以来金木犀が好きになり、この時期になるとあの頃の光景がはっきりと思い出されるようになった。一緒に帰った部員達も今では60歳半ばになった。懐かしい想い出だ。

 向かいのHさんの家の庭の金木犀が色づいていた。この2,3日香りはしなかったから気が付かなかった。昨夜咲きはじめて香りを放つようになったのだろう。

     

 近寄ってみると開いている花はわずかだが、多くは蕾が膨らんで開花も近いようだから、これからしばらくはあたりに香りが満ちることだろう。良い季節になった。


 


私が死んでも・・・

2010-10-07 09:30:27 | 身辺雑記
 ずっと前に買った小さな詩集が出てきた。昭和49年発行のものだからもう40年近く前のものだ。英文と日本語訳の2冊になっていて英文のほうは“Love lyrics”、訳文のほうは「愛の詩」となっている。付属のカセットテープがあったはずだが見当たらない。

 愛を歌った英米の抒情詩を集めたもので、シェークスピア、バイロン、シェリー、ポーなどの作品が21篇収められている。この中の一つに、十九世紀の英国の女流詩人であったクリスティーナ・ロゼッティーの“SONG”があり、とくに有名な作品と言うことだ。邦題は「私が死んでも、いとしいあなた」となっている。この詩集を買った当初からとても気に入った詩だ。この詩の一節を引用してみる。

 私が死んでも、いとしいあなた、
  悲しみの詩(うた)など歌わないでね
 バラの花も、木陰をつくる糸杉も
  私の枕辺に植えたりしないでね
 雨にうたれ、露に濡れた
  緑の芝草だけでじゅうぶんなのよ
 そして、気が向いたら思い出してくださいね
  忘れたって私は構いませんわ。

 私はもう暗闇を見ることもなく
  雨を感じることもなくなるでしょう
 苦しみにたえぬように歌いつづける
  あのナイチンゲールの歌声も聞こえないでしょう
 そして陽の昇り沈むこともない
   薄明の中に夢見ながら
 時折はあなたを偲び
   また時に忘れもいたしましょう。
                 (高田久壽訳)

 妻が逝った後もこの詩を何度も読んだ。もちろん私はその頃は悲しみの中に沈んでばかりいたが、それでも「薄明の中に夢見ている」妻を想像しては、僅かに心を慰められたものだった。