お金はないと困るが、どれだけあれば満足するものだろうということは、多くを持ったことがないので見当がつかない。前の首相が母親から毎月1500万円をもらっていて申告しなかったということで問題になった。毎月1500万あったら何に使いますかとHr君に聞かれたことがあるが、あれこれ呟いても「毎月ですよ」と念を押されるともう思いつかなかった。前首相は母親からの入金を知らなかったと言い張っていたが、富豪ともなると能天気なものだと思いもした。1500万くらいは私の1万円くらいの感覚かもしれない。
米国のプリンストン大の研究チームは収入が増えるにつれて生活の満足度も向上するが、その相関性は年収7万5000ドル(約630万円)でほぼ頭打ちになるとの調査結果を米国科学アカデミー紀要で発表したそうだ。米国と日本では生活水準などが違うから一概には言えないだろうが、「収入が増えるにつれて生活の満足度も向上する」というのは当然のことで、これについては彼我の違いはないだろう。しかし収入と生活満足度との相関性が年収が630万円くらいで頭打ちになるのかどうかは、少なくとも定年前になる頃にどうにかそれくらいになった私には、よく覚えていないが、それなりに物入りも多かったし、それほど満足はしていなかったように思う。
この調査の結果、「お金で必ずしも幸福は買えないが、低い収入には感情的な苦痛が伴う」と指摘した上で、「高収入で満足は買えるが、幸福は買えない」としているようで、これも当たり前のことだろう。私は退職金もほとんど使い果たし、財産というものはなく、今は年金に頼る生活だが、幸いそこそこの年金なので感情的な苦痛というものはない。それによくしたもので、高齢になると金銭であれこれしたいという欲が乏しくなっているし、年金生活者はそれらしく生活すればよいと思っているから、日々ささやかでも満足してはいる。時には欲を出して宝くじを買うこともまれにあるが、捕らぬ狸の皮算用ばかりで、もちろん狸の毛一筋も手にしたことはない。
米国のプリンストン大の研究チームは収入が増えるにつれて生活の満足度も向上するが、その相関性は年収7万5000ドル(約630万円)でほぼ頭打ちになるとの調査結果を米国科学アカデミー紀要で発表したそうだ。米国と日本では生活水準などが違うから一概には言えないだろうが、「収入が増えるにつれて生活の満足度も向上する」というのは当然のことで、これについては彼我の違いはないだろう。しかし収入と生活満足度との相関性が年収が630万円くらいで頭打ちになるのかどうかは、少なくとも定年前になる頃にどうにかそれくらいになった私には、よく覚えていないが、それなりに物入りも多かったし、それほど満足はしていなかったように思う。
この調査の結果、「お金で必ずしも幸福は買えないが、低い収入には感情的な苦痛が伴う」と指摘した上で、「高収入で満足は買えるが、幸福は買えない」としているようで、これも当たり前のことだろう。私は退職金もほとんど使い果たし、財産というものはなく、今は年金に頼る生活だが、幸いそこそこの年金なので感情的な苦痛というものはない。それによくしたもので、高齢になると金銭であれこれしたいという欲が乏しくなっているし、年金生活者はそれらしく生活すればよいと思っているから、日々ささやかでも満足してはいる。時には欲を出して宝くじを買うこともまれにあるが、捕らぬ狸の皮算用ばかりで、もちろん狸の毛一筋も手にしたことはない。