中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

お金で得られる満足感

2010-10-06 08:43:00 | 身辺雑記
 お金はないと困るが、どれだけあれば満足するものだろうということは、多くを持ったことがないので見当がつかない。前の首相が母親から毎月1500万円をもらっていて申告しなかったということで問題になった。毎月1500万あったら何に使いますかとHr君に聞かれたことがあるが、あれこれ呟いても「毎月ですよ」と念を押されるともう思いつかなかった。前首相は母親からの入金を知らなかったと言い張っていたが、富豪ともなると能天気なものだと思いもした。1500万くらいは私の1万円くらいの感覚かもしれない。

 米国のプリンストン大の研究チームは収入が増えるにつれて生活の満足度も向上するが、その相関性は年収7万5000ドル(約630万円)でほぼ頭打ちになるとの調査結果を米国科学アカデミー紀要で発表したそうだ。米国と日本では生活水準などが違うから一概には言えないだろうが、「収入が増えるにつれて生活の満足度も向上する」というのは当然のことで、これについては彼我の違いはないだろう。しかし収入と生活満足度との相関性が年収が630万円くらいで頭打ちになるのかどうかは、少なくとも定年前になる頃にどうにかそれくらいになった私には、よく覚えていないが、それなりに物入りも多かったし、それほど満足はしていなかったように思う。

 この調査の結果、「お金で必ずしも幸福は買えないが、低い収入には感情的な苦痛が伴う」と指摘した上で、「高収入で満足は買えるが、幸福は買えない」としているようで、これも当たり前のことだろう。私は退職金もほとんど使い果たし、財産というものはなく、今は年金に頼る生活だが、幸いそこそこの年金なので感情的な苦痛というものはない。それによくしたもので、高齢になると金銭であれこれしたいという欲が乏しくなっているし、年金生活者はそれらしく生活すればよいと思っているから、日々ささやかでも満足してはいる。時には欲を出して宝くじを買うこともまれにあるが、捕らぬ狸の皮算用ばかりで、もちろん狸の毛一筋も手にしたことはない。



愚かな行為

2010-10-05 09:49:00 | 身辺雑記
 神戸市に中国人の子どもが通う「神戸中華同文学院」と言う私学校がある。華僑子弟のために1899(明治32)年に神戸華僑同文学校として創立されたと言うから歴史の古い学校だ。

 先日この学校で講堂の窓ガラスにひびの入っているのが発見された。学校には尖閣諸島で起きた中国漁船による衝突事件以降、脅迫電話などが相次いでいるということで、警察は器物損壊などの疑いで調べている。脅迫電話は「尖閣諸島の件をなめるな。殺すぞ」などというもので、13件相次いだほか、同じような内容の脅迫状が届いたという。

 おそらくは右翼的な者の仕業だろうが、子ども達が通う学校を脅迫するとはいったいどういうことだろうか。その卑劣さ卑小さに同じ日本人として恥ずかしく思う。中国浙江省杭州市の日本人学校でも投石があり、日本人学校の警備員によると、5~6人の男性が学校の正門から投石し、自転車に乗って逃走したという。何とも惨めさの極みの行為だが、中華同文学院への脅迫は、惨めと言う以上に悪質だ。

 尖閣諸島の事件や、それについての中国政府の高圧的な姿勢は、まともな日本人であるならば不愉快なもので、腹立たしい思いをしている向きは多いだろう。中国に抗議したくなることも分かる。しかし、抗議したいのなら堂々と中国大使館や総領事館に出向いて氏名を名乗って抗議文でも出せばいい。子どもの通う学校を脅迫するのは単なるやくざな行為だと思う。おそらくは表立っては何もできない小心者なのだろう。


前立腺癌

2010-10-04 09:15:20 | 身辺雑記
 行きつけの理髪店に行くと迎えた主人の表情が冴えない。昨日の午後は休みだったな、どうしたと聞くと、前に受けた検査の結果を聞きに行ったそうだ。椅子に座って準備してもらいながら何の検査かときく尋ねたら癌だと言う。「前立腺癌と言われた。悪性だと」。腰が重いが痛みはないし、小便もよく出て血が混じってはいなかったのにショックだと暗い表情で話した。よほど応えたらしい。

 おざなりの慰めもできないし、最近読んだ本で末期になるとかなり痛むとあったことなどはもちろん言えない。それで父親の兄弟4人は皆癌で、父の兄は胃癌、父は膵臓癌、次の弟は前立腺癌、末弟も膵臓癌だったと言うと、皆死んだのかと聞く。いや前立腺癌の叔父は90いくつまで長生きしたと答えたら、そうかとちょっと明るい声と表情になった。告知されてから死を考えて落ち込んでいたようだ。

 今頃は癌の告知も「悪性」とまで言うのかと思ったが、前立腺癌が悪性化していることではなく、悪性腫瘍=癌ということではなかったのだろうか。背骨に転移したらあかんらしいと悲観的なことを言ったが、それはそうだろうが、早めに発見して治療したら治るそうだと答えるしかなかった。

 前立腺癌は癌死亡者の約3.5%を占め、近年、急増傾向にあると言うが、癌の中では治癒率は比較的高い方であるとされているらしい。45歳以下での罹患は家族性以外はまれで、50歳以降に発症する場合が多い。その割合は年を追うごとに増加する。この主人も56歳だそうだ。そう言えば私もどうだろうかと思ったが、2ヶ月前に検査して異常なしだったことを思い出した

 店主はこれからも検査をして治療方法を検討するらしいが、順調に行くことを願っている。




世界一長い・・・・

2010-10-02 10:34:22 | 身辺雑記
 北海道網走市で世界一長いちくわ作りに挑戦したというニュースを見た。地元の水産加工業を広く知ってもらおうと青年会議所が企画し、呼びかけに応じた住民などおよそ60人が参加したという。

 長さ12メートルの棒に、魚のすり身25キロを均等に巻きつけ、炭火にかけ、11メートル95センチのちくわが完成した。網走市では昨年7月、長さ7メートル56センチのちくわ作りに成功したが、その後、長崎県雲仙市が11メートル15センチのちくわを作り、記録が破られていた。今回の網走市の記録は雲仙市の記録を80センチ上回った。

 ニュースは「みごと世界記録を更新した」と伝え、ちくわ作りに参加した子ども達は「網走に世界一ができて嬉しい」などと話したそうだ。網走市の人たちの喜びに水を差すつもりはないが、ちくわのような日本固有の食品の長さを競って、それで「世界一」と言うことになるのだろうか。「ギネスブック」に申請することもないようだから、せいぜい「日本一」ではないか。ご愛嬌と言ってしまえばそれまでなのだが。

 栃木県那須町で、観光客や地元の人などが長さが120メートル余りもある「おいなり巻き」作りに挑戦したというニュースもあった。

 この催しは、那須町に伝わる9つの尾を持つキツネの伝説にちなんで、毎年、秋祭りにあわせて行われているようで、今年は観光客や地元の家族連れなど380人が参加して、1800枚の油揚げをとぎれないように横一列に並べて、地元でとれたキュウリやインゲン、シイタケなどの具を混ぜた酢飯と牛肉をのせていっせいに巻き上げて、123メートル90センチの「おいなり巻き」が完成した。那須町によるとこれまでの記録を90センチ更新したと言う。

 「おいなり巻き」と言うものは食べたことがないが、要するに海苔の代わりに油揚げを使った巻き寿司だろう。このあたりではよく食されるものだから、こういう催しが行われるのか。他にこういうものを作る催しをするところがないようだから、那須町で記録がつくられれば、それで即日本一になるのかも知れない。それにしても123メートル90センチの「おいなり巻き」とはとてつもない長さだ

 他にも長い食品作りに挑戦するイベントが時折紹介されるが、日本一にしても世界一にしても罪のない行事で、当事者が楽しんでいれば、それはそれでいいことだが、食の豊かな時代ならではの催し、話題だろう。

孫娘とデート

2010-10-01 09:32:15 | 身辺雑記
 久しぶりに一番年長の孫娘と大阪で会って食事をした。12月に21歳になる女子大3年生で、相変わらずの小柄だが、顔つきはそれなりに大人っぽくなっていた。

 初孫だったから生まれたときはとても嬉しかった。女の子はおませなのか、2歳くらいの頃からよくしゃべった。孫達は私を「オジイ」と呼ぶが、これはこの子が言い出したものだ。まだよく口が回らなかった頃に「おじいちゃん」と呼びかけようとして「おじい・・・」の後が続かず、それがいいということになった。近所の公園に連れて行く途中で私の顔を見上げて初めて「オジイ・・・」と言ったときのことが今も忘れられない。今思い出しても可愛いと思う。妻の呼び名は「パッチャン」で、これもこの子が覚束ない口調で「オバアチャン」と言おうとしたのが「パッチャン」になってしまった。妻はこう呼ばれるのをとても気に入っていた。

 久しぶりに会ったのでまず昼食をと言うことで、デパートの上階のレストラン街に行って、これが食べたいと言ったので鰻のひつまぶし(櫃まぶし)を食べた。取り留めのない話をしながら食べたが、ちょうど昼時で店は混んでいたし、騒がしかったので適当に切り上げて、別のビルにあるレストラン街の喫茶店に移った。

 ここで2時間くらい過ごしたが、高校時代の友人とドイツやオーストリアに行ったときの写真を見ながら話を聞いたり、窓から見える大阪市街の遙か向こうの大阪空港(伊丹空港)に時折発着する豆粒のような機影を見て、飛行機の話をした。私と同じように飛行機を見るとしきりに乗りたくなるようだ。

 ここでも総じて取り留めのない会話をしたのだが、何かしら落ち着いた、穏やかな気分になった。「こんなジジイとデートするのじゃなくて、ボーイフレンドはいないのか」と尋ねたら、あっさりと「いない、いない」と言った。授業に追われ、アルバイトに精を出していて、ボーイフレンドどころではないようだ、とかく最近は女子大生の羽目を外した行動が話題になるだけに、さすが我が孫だと何となく安心したのはジジバカなのか。

 大学の企業就職希望の友人達は、もう就活で忙しいらしいが、本人は幼稚園か保育所を希望しているので来年の採用試験まではゆっくりできるようだ。幼い子どもが大好きで、最近行った保育所での実習での幼児の様子を楽しそうに話した。希望が叶えられるようにと思う。

 ウィンドウショッピングをすると言うので適当なところで別れたが、後ろ姿を見送りながら、いくつになってもこの爺に親しんでくれる、ああ、可愛いなあと思ったのは、これもジジバカの極みなのだろう。幸せな気分で過ごした半日だった。