『彼は猫である』に続く『ノラや』の前半は、ふとしたことから内田家に飼われるようになったオス猫のノラの様子が面白く描かれている。それまで百夫妻は猫を飼ったことはなかったようだが、飼いだすと愛情が湧いてきたようだ。
とりわけ夫人はいつも傍にいるノラを可愛がったことが分かる。ノラがよそから来た猫と張り合って負けそうになると夫人はやりかけたことを投げ出して加勢に駆けつける。あるものすごく強い猫が家の中に侵入して、寝ていたノラに噛みつき追っ駆けまわして取っ組み合いになったときにも夫人は駆けつけ、「一層憤慨して、いつだってノラをいぢめてゐる挙句にこんな事までした。もう勘弁しない。これからは見つけ次第、引っぱたいて、突っついて、追っ払ってやると云った」。
食べ物も最初は夫妻の食べ残しだったが、そのうちにバターと卵とコンビーフを混ぜてこね合わせたものや、小アジを筒切りにしたものやチーズなども食べるようになったが、とりわけ鮨屋から取り寄せた握りの玉子焼きが大好物になる。ほかにも夫妻とノラの交流やノラの様子がいろいろ描かれていて楽しいが、後半は一転して悲痛なものになる。
ある日突然ノラは出て行ったきり帰らなくなった。後半は日記形式の文章が続く。百先生は毎日泣き明かしたが、それはなりふり構わぬようなものであったようで、それほどまでに悲しかったのかと思う。
「(ノラ捜しを手伝ってくれた二人の知人と)一緒にお膳についた。一献してゐる間も何だか引き寄せられる様に又風呂場に行きたくなり、行けば又泣き出す。ノラが帰らなくなってからもう十日余り経つ。それ迄は毎晩這入ってゐた風呂にまだ一度も這入らない。風呂蓋の上にノラが寝ていた座布団と掛け布団用の風呂敷がその儘ある。その上に額を押しつけ、ゐないノラを呼んで、ノラやノラやノラやと云って止められない。もうよさうと思っても又さう云ひたくなる」。
猫好きでない者には当時70歳くらいになっている百先生の「昨夜は枕に頭をつけてから、涙止まらず、子供のように泣き寝入りした」というような嘆きようは過剰で異様にも思われるかも知れないが、私にはその気持ちがよく分かる。うちのミーシャがある日突然出て行って、そのまま帰ってこなかったら、声に出して泣かないまでも、私も同じように嘆き、何度も名前を呼ぶだろう。
百先生は新聞に折り込み広告を3度も出したりして、それなりの反応はあったがどれもノラではなく、結局ノラは帰ってこなかった。交通事故に遭ったようでもない。まだ若い健康な猫だったから、飼い猫がよくすると言う、死期を予感して姿を隠したのでもなさそうだ。このノラの失跡の出来事は昭和30年に近い頃で、当時は猫捕りと言うのがあった。先が輪っかになった針金をつけた長い棒で猫の首を引っ掛けて捕らえる。猫捕りは見たことはないが、犬を追っているのは見た。その時は犬はすばやく逃げて捕まらなかったが、犬よりすばしこい猫を捕まえるのはかなりの手際だったのだろう。捕まえた猫の皮を剥ぎ、三味線の胴に張るのだと言われていた。ノラが猫捕りに捕まったのかは分からないが、どうもそのような気もする。
『ノラや』の終わりは次のように結ばれている。
「ノラや、お前は三月二十七日の昼間、木賊とくさの繁みを抜けてどこへ行ってしまったのか。それから後は風の音がしても雨垂れが落ちてもお前が帰ったのかと思ひ、今日は帰るか、今帰るかと待ったが、ノラやノラや、お前はもう帰って来ないのか」。
百先生の悲しみの深さがよく分かる。