「鳩ノ巣」の由来についての石碑があったので文章を丸写しします。筆字の縦書きでした。
明暦3年正月19日(西暦1657年)江戸に振袖火事と呼ばれる大火があったとき
幕府の老中 松平伊豆守信綱は江戸の町の復興と江戸城の一部を修理するため
用材の提供方を時の奉行 松波筑後守正春を通じて江戸の大材木商 太田某に命じた。
そこで太田某は直ちに氷川、日原、丹波山等に良材を求めてこれを伐採し、多摩川の流水を利用して運搬することとした。
このため多摩川沿岸には各地に人夫を泊める飯場小屋が建てられた。
現在の鳩ノ巣渓谷にあった魚留滝(今はありません)の上にも飯場小屋が建てられていたが、たまたまその飯場に祭った
水神社の森に、二羽の鳩が巣を営んでいて、朝夕餌を運ぶ有様がまことに睦まじかったので、人々はこれを霊鳥として
愛護した。そのためこの飯場は鳩ノ巣飯場と呼ばれて道ゆく人の目標にされる様になり、いつしかこれが地名となって
今日に至ったのである。
-奥多摩町史よりー
東京都
雲仙橋と鳩ノ巣小橋の間の河原に小山があって、そこに上ると橋と同じくらいの高さになりました。
ここには水神様が祀ってあり小さなほこらがありました。 こういうとき「なむぅ」と手を合わせます。
手前の木の根っこ、もう崖っぷちです。
こわっ!ぶるぶるっ!
木の根の間から下が見えています。
ひっそりと暗がりに小さな滝がありました。水が落ちる音も遠慮がち。
鳩ノ巣大橋じゃなかった、鳩ノ巣小橋に来て見ました。
歩くたびに揺れます。 人が多いと橋の上ではまともにシャッター切れません。
橋からの川上側
川下側に水神様のあった小山が見えます。こちらから見ると山と言うより岩でした。
向こう側からは普通に上り下りできます。
民宿のような建物もありましたが、無人のようでした。
小さな滝はこの建物の左側にありました。
あ、根本が透けて川の流れが見えていた松が。
始めにこちらから見ていたら近寄れなかったかもしれません。。。
ほこらも見えます。
落ちてたら即死、、、ですね。 ぶるる!
「危険」とかの表示も無く、柵もありませんでした。。
11時15分、鳩ノ巣渓谷はこれくらいにして奥多摩湖に向かうため鳩の巣駅へ。
11時22分奥多摩行きが来ました。 ここで今この電車に乗る人私だけです。
この電車は乗降の時、自分でドアを開閉するんですよ、昔のSLだったらデッキでドアを開けましたけど、電車では
初めて見ました。
電車内の開閉ボタン
開閉できる間はこのように点灯しています。
ところで電車に乗る人はどうするんでしょう。
大丈夫、外にも開けるボタンがありました。
ドアボタンの撮影は奥多摩からの帰りに写したものです。
帰ってきて運転手に話したら、停車時間が長いし、寒いからだろうって納得してました。