「60歳のラブレター」を観にいって、予告編を観た時からこの映画は是非観たいと思っていました。というのも37年前25歳の時に小生もこの山に登ったことがあるのです。昭和47年8月ですから、まだこの小説は世に出ていませんでした。名前のとおり険しい山で、危うく遭難しかけたこともありました。
映画を観ていると37年前の青春の1ページが、昨日のことのように思い出されます。
一緒に登ったのは写真中央のKさん、左側のOさんは長期出張中の福井から合流して我々の山行に途中まで付き合ってくれました。この写真はOさんが仕事の都合で雷鳥沢(?)で分かれ、雄山に向かう時に劔岳をバックに撮ったものです。スキャナで読み取った画像なので雰囲気だけ味わって下さい。Kさんは会社の友人、Oさんは大学時代の友人です。
どういうルートで劔岳に登ったかを記録した資料が見つからないため、一部記憶違いがあるかも知れませんがご容赦下さい。主に危うく事故になったかもしれないトラブルを書いておきます。
最初のトラブル
弥陀ヶ原から奥大日に向かって行くとブルーガイドではあるはずの「橋」がありません。どうやら大水で流されてしまったようです。水量は渡れない程の状況ではなかったので、登山靴を脱いで川越しで渡りました。足の指が切れるような水の冷たさでした。やっと渡って尾根筋まで出るのに今度は藪こぎです。散々な思いで山小屋に到着しました。
第2のトラブル
Oさんと分かれてから剣沢小屋に向かう途中、小生が落ちていたアイゼンを見つけ、何かの役に立つかもしれないと持ち歩いているうちにこけて、手を負傷してしまいました。
頂上で撮った写真をみると左手に包帯を巻いています。軽症でしたがもう少しで同行のKさんにもご迷惑をお掛けするところでした。
第3のトラブル
剣沢小屋に一泊して翌朝、劔岳を目指し出発。またこの小屋に戻ることと、天気も良かったのでアタックザックにカメラと雨具だけで頂上を目指しました。頂上はすぐ近くに見えるしコースタイムも十分往復出来るタイムでしたので、ちょっと甘くみました。頂上の登りに差し掛かると鎖場、鉄ハシゴの連続です。まさに「カニのタテバイ」「カニのヨコバイ」です。何とか頂上(2,998m)に辿り着きました。
今度は下りですが、下りの方が事故が多いので特に慎重になります。会社の安全ルール「3点確保」が大いに役立ちました。
もうそろそろ山小屋の近くというところで、小生が空腹と疲労で身動きが出来なくなってしまいました。アタックザックの中には食糧がありません。友人に励まされ何とか売店のある小屋に辿り着き、食べたうどんのうまかったこと。
話を映画に戻します。
今、上映中ですのであらすじや感想は書きませんが、劔岳に200日以上ロケしたというだけあって四季折々の美しい山々の映像が楽しめます。是非ご家族で観たい映画です。
点の記の意味は「原作 劔岳 点の記」によると
<点の記とは三角点設定の記録で明治21年以来の記録は、永久保存資料として国土地理院に保管されている>とのことです。
映画を観ていると37年前の青春の1ページが、昨日のことのように思い出されます。
一緒に登ったのは写真中央のKさん、左側のOさんは長期出張中の福井から合流して我々の山行に途中まで付き合ってくれました。この写真はOさんが仕事の都合で雷鳥沢(?)で分かれ、雄山に向かう時に劔岳をバックに撮ったものです。スキャナで読み取った画像なので雰囲気だけ味わって下さい。Kさんは会社の友人、Oさんは大学時代の友人です。
どういうルートで劔岳に登ったかを記録した資料が見つからないため、一部記憶違いがあるかも知れませんがご容赦下さい。主に危うく事故になったかもしれないトラブルを書いておきます。
最初のトラブル
弥陀ヶ原から奥大日に向かって行くとブルーガイドではあるはずの「橋」がありません。どうやら大水で流されてしまったようです。水量は渡れない程の状況ではなかったので、登山靴を脱いで川越しで渡りました。足の指が切れるような水の冷たさでした。やっと渡って尾根筋まで出るのに今度は藪こぎです。散々な思いで山小屋に到着しました。
第2のトラブル
Oさんと分かれてから剣沢小屋に向かう途中、小生が落ちていたアイゼンを見つけ、何かの役に立つかもしれないと持ち歩いているうちにこけて、手を負傷してしまいました。
頂上で撮った写真をみると左手に包帯を巻いています。軽症でしたがもう少しで同行のKさんにもご迷惑をお掛けするところでした。
第3のトラブル
剣沢小屋に一泊して翌朝、劔岳を目指し出発。またこの小屋に戻ることと、天気も良かったのでアタックザックにカメラと雨具だけで頂上を目指しました。頂上はすぐ近くに見えるしコースタイムも十分往復出来るタイムでしたので、ちょっと甘くみました。頂上の登りに差し掛かると鎖場、鉄ハシゴの連続です。まさに「カニのタテバイ」「カニのヨコバイ」です。何とか頂上(2,998m)に辿り着きました。
今度は下りですが、下りの方が事故が多いので特に慎重になります。会社の安全ルール「3点確保」が大いに役立ちました。
もうそろそろ山小屋の近くというところで、小生が空腹と疲労で身動きが出来なくなってしまいました。アタックザックの中には食糧がありません。友人に励まされ何とか売店のある小屋に辿り着き、食べたうどんのうまかったこと。
話を映画に戻します。
今、上映中ですのであらすじや感想は書きませんが、劔岳に200日以上ロケしたというだけあって四季折々の美しい山々の映像が楽しめます。是非ご家族で観たい映画です。
点の記の意味は「原作 劔岳 点の記」によると
<点の記とは三角点設定の記録で明治21年以来の記録は、永久保存資料として国土地理院に保管されている>とのことです。
劒岳?点の記 (文春文庫 (に1-34))
文芸春秋
新田 次郎
ユーザレビュー:
現代人が取り戻すべき ...
測量官の記録として平 ...
日本の技術力にびっく ...
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苦楽を共有した過去の記憶が今となっては、楽しい思い出です。
当時の景色が甦ってきます。ありがとう!
この2年後に飯豊連峰に登りました。この時代は山に夢中になっていました。
剣岳を読んだ時、これはコメントせねばならん、と思った。次のアップがあるまでに…アレレ!?ずいぶんすすんじゃったなー、ハハハ…。
本は未読だが、映画はアップの何日か前に観た。素晴らしかった。木村大作恐るべし、これ1作じゃもってーねーよな。
さー坊の若き日の写真初めて見た。拡大して見ても、どれがさー坊だか全然判らなかった。俺の知ってるさー坊は別人なのか?
それにしても、あの剣岳に登ったあんたはエライ!ソンケーしちゃう。
さー坊に白馬を案内してもらって以来、夏は毎年職場の
仲間と長野方面に行っている。翌年から白馬、雨降山、木曾駒ケ岳
今年は8月3日~4日に西穂独標へ。そっち方面が計画できるようになったのも、さー坊のおかげと感謝している、マジで。
ところで、新穂高温泉に行くのに、松本から158号線で安房トンネルを自家用車で抜けて行けるのだろうか?
教えてチョーダイ。
明日は月例で足尾の備前楯山へ。天気がどうだか?
確かこの当時の体重は、長距離も走っていて体を絞っていたので61kg程度でした。
今の体重はOOkgですから25kgの差があります。
仰るとおり木村大作監督の次の作品を是非観たいですよね。機会があったら是非3年間トイメンさんもアタックしてみて下さい。
西穂独標ですか、いいですね。さー坊はまだ登ったことがありません。行きたい山のひとつだったのですが、松本深志高校の生徒が水平雷に打たれて11名もの若き命が無くなった事故があって、なかなかその気になれませんでした。Webで確認しましたら、事故は1967年8月1日でした。同じ時期ですので雷には十分ご注意を願います。
ご質問の件ですがOKです。マイカー規制があってどうなのかということだと思いますが、乗鞍方面に行くのには規制がかかっています。
確か6年前(?)の9月末に涸沢の紅葉を見に行った時、台風が接近してきたため山行を中止し平湯温泉に泊まったことがありましたよね。その時のルートだと思います。