斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

 俳句

2016-01-29 23:57:44 | 人生
先日思わぬところで、思わぬ人から
「道新であなたの俳句を読みました、お母さんが亡くなられたのですね」
と言われてちょっとびっくりしました。

母が亡くなってからもう2年以上が経ちました。
10月の末、母がなくなった知らせを受けてから、葬儀一切が終了するまでの
1週間余り、素晴らしいお天気に恵まれ、温かく、冬の訪れを全く感じさせない
気持ちの良い日和がつづきました。

家族は全国・海外とみな離れていましたが、そのほとんどが集まることができました.
母を見送った者の一人としてそれが何よりの天からの贈り物としてありがたく思われました。
この季節になるとその時のことがいつも思い出されます。

   母逝くや小春日和を賜りて

俳人の五十嵐秀彦さんの「俳句」の論評が目に止まりました。
「なぜ俳句という詩型を選んだのか。・・・しかし俳人は俳句を選び、
17音という世界最短の詩型と格闘している。
人が伝えたいと思うことは、必ずしも言葉で説明できるものばかりではない。
そして思想や理屈をつたえるのであれば、散文で表現すればよい。
17音という詩型はいやがおうにも説明を捨てねば文芸表現として成立しない詩型であり、
裏返せば思想や理屈とは全く対極にある何ものかを表現すべき文芸なのである。
では、人が説明を排除しても伝えたいものとはなんだろうと考えたとき、
そのひとつに『生死』があることに気づく。それはおそらく人の心にあって最も重く深く、
また理性では理解不能な感覚なのである。俳句の中に『生死』を扱う作品が多くみられるのは、
この詩型と無縁ではないだろう。」

この論評を読んで、深く共感を覚えました。
私にとって俳句は、私の中にある感性のようなものを5・7・5という17文字の中で
理性を超える何かとして伝えたい思いを表現してみたいのです。