桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

【わたしはあなたに再び会うために生まれた 】1

2005-06-15 11:28:03 | カラーセラピー

今日はエッセイストとしての私を見ていただこうと思います。

2年前に書いたんですが、テーマがパートナーシップのことで、今読み返してみても我ながら励まされたりして(笑)。

 

4つのチャプターがあるので、1つずつ掲載します。

感想でも書いてくださると嬉しいです。

 

 《失われたカタワレは自分の中に》 

去年の夏、1本の映画を観た。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』という、元々オフ・ブロードウエイで2年半以上ものロングランを記録した、ロックミュージカルが映画化されたものだ。 

物語は、性転換手術を受けて男から女になった主人公のロックシンガー、ヘドウィグが自分の「失われたカタワレ(missing half)」=愛を追い求める、数奇な半生を描いたものである。 
人間はもともと2つの体がひとつになった生き物で、それがある日、神の怒りを買って2つに引き裂かれた。それ以後人は「失われたカタワレ」を探し求め、そのカタワレに出会ったときに生まれる感情が「愛」である。

こんな逸話を信じて主人公は求め彷徨う。 

人はなぜ人を愛さずにはいられないのか。 
この映画の主人公もそうだが、私たちは自分の人生には何かが欠けているのかも、と感じることがある。伴侶とか恋人とか才能とか、そういったものを探し求め完全なる自分を手に入れようとする。
何かが、誰かが自分の喪失感を埋めてくれるものと信じて。 ところが、自分の魂の綻びを埋めてもらおうとパートナーや恋人に近づくほどトラブルが発生し、その関係は壊れていく。

なぜか? 

この1年ばかりの私自身のテーマは「理想のパートナーを得る」ことだった。やりたい仕事がやれるようになり、自分を取り巻く環境も落ち着いてきたのに、喜びや悲しみを分かち合う相手がいないことに強烈な寂しさを感じたのである。
ご多分に漏れず、私も「失われたカタワレ」がいると信じていた。 自然に出会いは訪れ、私は恋に落ちた。私は「カタワレ」だと感じた相手の言葉や行動のひとつひとつに、自分の存在価値を見出した。
しかし、そういう関係性に幸せを感じていたのもつかの間、私の心に開いた穴はどれだけ多くの言葉を注いでも埋まらないばかりか、もっともっとと貪欲に言葉(愛)を欲するようになった。 

綻びた心を埋められるのは自分しかいないのに、それをやってくれない(やれない)相手にいらつき責めていたのでは、どんな関係でも崩れてしまうに決まっている。 
相手に抱く不信感や不安感は、取りも直さず自分自身への信頼のなさの裏返しであったことに気づいたのは、失恋した後のことである。 

映画のラストで、ヘドウィグはかつて愛した恋人により、ありのままの自分が完全な存在であることに気づかされる。「失ったカタワレ」は初めっから自分の中にいたのである。

 人はなぜ人を愛さずにはいられないのか。 

出会う相手は、今の時点での自分を映す鏡である。
「失われたカタワレ」即ち自分を、愛する相手の中に見て、完全なる自分を味わうためかもしれない。
自分たちは、実に気の遠くなるような確率で「今」出会っていることを忘れないでいたい。生まれる前からの約束だったのかもしれないのだから。