蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

辻政信の真実

2023年03月04日 | 本の感想

辻政信の真実(前田啓介 小学館新書)


陸軍参謀として有名な戦闘(ノモンハン、シンガポール、ガダルカナル、ビルマ)の作戦指導をし、戦後はベストセラー作家、国会議員となり、議員として訪れたラオスで失踪した辻政信の評伝。

どこで読んだのか失念してしまったが、戦後辻が国会議員としてシベリアの抑留者を慰問した際、抑留者達のために献身的な働きをした、という挿話を知って、辻のイメージが大分変わった。それまでは本書の冒頭で紹介されてる半藤一利の言った「絶対悪」というものしかなかったからだ。本書は、世間の多くが抱いている、そうした辻の印象とはかなり離れたエピソードを多数紹介している。

辻が陸軍内で大きな発言力を持った原因としてよく言われるのがその命知らずなまでの勇敢さ。
本書でも詳しく描写されるが、参謀なのに最前線で作戦指導や督戦を行うのが常で、例えば、ノモンハンでは大敗後、友軍の戦死体を自ら先頭にたって回収する作戦を実施したという。
天保銭(陸大出)、気力・体力とも抜群、宴会嫌いで潔癖、そこに最前線に赴くことを厭わないと来ると、格上の将軍であっても一目置かざるを得ないというのは理解しやすい。

本書によると、陸大の教官に左遷されていた時期も、多数の生徒の回答を細かくチェックするなど極めて熱心な勤務ぶりだったという。上からは煙たがられても、どんな時も部下からは慕われたそうだ。

そんな辻も初陣の上海事変においては、相当にビビっていたらしいし、後年においても
「私の過去を見て、辻は生命知らずだ、勇敢だ、とほめる人がたまにはあるが、それは皮相の見方だ。死なぬと思っていても弾丸がくると恐いものだ。恐いから私は戦場では冷静によく勉強する。一つの石にも、一本の木にも、弾丸が来たらそれをどのように利用するかに十二分に気を配りながら行動する。その研究と対策があって始めて、大胆そうに弾丸の中を潜れるものだ」と語っていたそうである。この点が本書を読んで最も感銘できたところだった。

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友だち幻想

2023年03月04日 | 本の感想

友だち幻想(菅野仁 ちくまプリマー新書)


昔のムラ社会では、縁者や近隣の人と助け合っていかないと生存すら困難だったので、人間関係に難しさは生じなかった。一人でも難なく生きていける現代社会だからこそ、人間関係(つながり)に悩みが生じる。


一方、一人でも生きていける時代になってからあまり長くないので、ムラ社会の人間関係の作法が残っている。それは同調(同質性)を強いるもので(人間関係の必然性が薄れた現代においては)息苦しさの原因である。現代においては、人と人の距離感を意識し気の合わない人とも一緒にいられる(やりすごすことができる)ような並存性を重視すべきである。

 


別の言い方をすると、前者の共同体的人間関係は「フィーリング共有関係」であり、後者は最低限守らなければならないルールを基本に成立する「ルール関係」である。
「いじめは良くない、みんな仲良く」は前者であり、「いじめると逆にいじめられるかもしれない。自分の身を守るためにには他者の身の安全を図らないといけない」という考え方をするのが後者である。
性格が合わない、気にくわないと思ったら、自分を守るために、態度を保留して距離をおくべき。これが並存性。

以上が私なりの本書の要約で、人間関係(つながり)というものの原型みたいなものがうまく解説されていたと思う。

補論として、あるべき教師像が主張されていていて、こちらも本論以上に興味深かった。
「先生は生徒の記憶に残らなくてもいい」というのがそれ。
金八先生のようなのは過干渉であって、教師の本懐は「自分の教室が一つの社会として最低限のルール性を保持できているようにすること」とする。
「例えばいじめで自殺する子がいる学校というのは、どういう状況になっているのか。子どもが、生命の安全が保証されないようなところに毎日通わなければならないということです。」
「その意味で生命の危険にさらされてしまうような、もはや「いじめ」といった言葉では言い表せないような心的・肉体的暴力や傷害事件が、学校やクラスの現場で起きることは断固阻止しなければなりません。そうした最低限の共存の場としてのルール性を担保することが教師の務めであり、そこからプラスアルファの尊敬や敬愛を生徒から受けることができれば、それはもう儲けものなのです」

 

 

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城をとる話

2023年03月04日 | 本の感想

城をとる話(司馬遼太郎 光文社文庫)


関ケ原合戦の直前、伊達は上杉との国ざかいに帝釈城を築城しようとしていた。上杉方は同盟者の佐竹家の家臣:車藤左に城の破却を託すが・・・という話。

映画の原作として書かれたという、著者としては珍しい成り立ち。それを意識してか、主人公の行動がハチャメチャ(言い方を変えるとドラマチック)で、いつもの司馬節からは遠い感じ。

もっとも、私が読み慣れている司馬節というのは、すでに大家となって視点がメタ的になり小説というより自分の歴史観を語るような作品が多くなった頃のもので、もともとは本作のようなフィクション性が強い物語も多かったのだけれど。

主人公の車藤左は破天荒すぎてついていけない感じ。一方、脇役の中条左内(上杉家の家臣で銭を集めるのが趣味。当時の東北では貨幣としての銭はほとんど流通しておらず、左内はコレクションとして銭集めをしているという設定が面白い)、堺の商人:輪違屋満次郎、巫女のおううは、キャラが立っていて、彼(女)らの方の活躍場面の方がむしろ楽しめた。

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