それは数日前の朝のこと。
家の電話が鳴り、あわててとった。
午後からの出勤の日だったが、
ひょっとしてスタッフに急病でもあって
朝の勤務に出る必要ができたのかな!?
それともまさか、母の急病??
などと、よからぬことを思いながら。
すると、
「さくらさん?
わたし じゅんこです。
おめでとう!!」
…おめでとうって、何が??
じゅんこさんというのは、
毎月 川柳を投句させていただいている豊橋番傘川柳会の会長さん。
お仲間に入れていただいてから、
ずっとお世話になりっぱなしのかたなのだが、
おあいできたのはまだいちどだけ。
お電話でも、何度かお話ししたことがあるくらい。
まず、じゅんこさんが その会長さんのじゅんこさんであることを
頭で認識したあと、
いただいたおめでとうの言葉への疑問があらためてわいてくる。
はて。
近頃、自分自身にも 身内にも、
おめでとうと言われることなどおぼえがない。
とまどって、
「えっ、えっ、なにがですか?」
としか返答できず。
するとじゅんこさんは、
「川柳マガジン文学賞の準賞に選ばれていましたよ!
お名前見てびっくりしました。
うれしくてうれしくて、すぐお電話しました」
と言われるではないか。
川柳マガジンって、夏ごろに応募した…
記憶がよみがえる。
わたしは兵庫県に住んでいて、
豊橋番傘の毎月ある定期の句会には まったくうかがうことなく、
句を送るだけのかたちで参加しているのだが、
毎月、その句会の内容をふまえた川柳誌を届けて下さる。
それといっしょに、
全国各地でおこなわれる川柳大会の応募用紙も
送って下さることがある。
毎日きちんと何句かつくっているわけでもなく、
作句のペースは一定せず、どちらかといえばスロー…
与えられた課題に即興でつくることも苦手なわたしは、
毎月の豊橋番傘への投句がやっとで、
それ以外の大会に応募することは、めったにない。
ここ数年は特に…
父母のことで その余裕も持てずにいた。
が、
とりあえずあれこれがひと段落ついた今だからなのか、
副賞に句集を出してもらえると書いてあるのについひかれてしまい、
そのときの自分の心持ちにもっともしっくりくる10句を
ほとんど迷うこともなく選んで、
しめきりぎりぎりに応募してしまったのだった。
句集を出版する。
それは、わたしの大きな夢のひとつだから。
といっても、
これに応募して句集を出してもらえるのは
大賞受賞者ただひとりだけ。
句会参加もいちどしか経験がなく、
毎月フーフー言いながら、
やっと投句しているような自分が受賞できるわけはない。
そう思いながらも、
宝くじで夢を買うのと似たような気持ちで、
句集を夢みながら応募したのだった。
それが、大賞に次ぐ準賞に選んでもらえたなんて。
夢にあと一歩だったなんて。
しみじみうれしい気持ちと、
でもまだ句集を出すことは夢のままなんだなあという
残念な気持ちとがいりまざる。
けれど、
自分のつくった、拙くてもかわいい句たちが、
ひろく読んでいただける機会にめぐまれたのだ。
やっぱりうれしい。
うれしさがじわじわ実感となってくる。
バンザイ!
ふりかえってみれば、
川柳にであい、ご縁をいただき、
つくりはじめてから今年で10年。
来年には50さいになる。
くぎりめに、よいごほうびをいただいた気持ち。
10年目と50さいの記念に句集までつくれたら
どんなにかうれしかっただろうけれど、
それはもうすこし待ちなさい ということなのかな。
時期や状況にめぐまれたら、
自費出版でもいいけれど、
いくらぐらいかかるんだろう。。。
もうしばらく、
夢は夢のまま たいせつに胸に抱いておく。
生きているうちに、句集の夢をかなえられるかな。
以下が、今回の応募作品10句。
「今、ここを生きる」
今ここを生きるいつかはみんな風
欠けてまた満ちるこころもあの月も
その年にならねば見えぬものがある
平凡を積みかさねるという非凡
生きてきたように死にゆく嘘のなさ
もう聞けぬ小言がいまも生きている
おたがいが相手の杖となる齢
在るものはいつかなくなるたしかな絵
半世紀生きてこの身はまだ青い
永遠はないからいまがいとおしい
読んで下さって ありがとうございます。