さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

にもかかわらず笑う

2012-10-24 | たわごと・できごと


これまでにいちどだけ
音楽の発表会でご一緒したことのある牧師さまが、
ご自身の日記(ブログ)に書かれていたことで
なるほどなと感じ入ったことがある。

”ユーモア” 
についてのドイツの定義のひとつに、

 「にもかかわらず笑う」

というのがあるのだそうだ。

たとえば、
今、現在は笑える状況にないのだけれど、
そのような状況でも笑うこと。
これが本当のユーモアだと。

そして humor(英語)は、
もともとラテン語のhumores(フモーレス)で、
体液を意味するらしい。
体液とは、
人間が生きていくために絶対に必要な血液、リンパ液などのこと。

”笑い”もまた、
人間が生きていくために絶対に必要だということなのだろう。


むかし観た、

「ライフ・イズ・ビューティフル」

という映画を思いだした。

ユダヤ人を迫害していたナチスから
自分の息子を守るために、

幼い息子が 戦争の影や空気におびえないよう
恐怖のために こころがこわれてしまわないよう、
起こるすべての事象や状況を いのちがけで
笑いや ゲーム といったものに変換して
息子に伝えるユダヤ人の父親の姿があった。

あれが、わたしの思い浮かべるユーモアの姿。

知性と 愛情と つよさに裏打ちされた意志的な笑い…

といえばよいのだろうか。


すぐにおろおろして、
自分をなだめるためであれ
人を励ますためであれ
気のきいたことのひとつも言えないわたしだけど、
そんな ユーモア を
身につけられたらいいな と思う。





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ひと息つく

2012-10-23 | 父・母、家族のこと


夏のはじめから、
実家の父母のことで
なにかと落ちつかぬ日々を過ごしていたが、
すこしずつ 平和な時間をとり戻しつつある。

それは 期限つき ともいえる平和だが、
そして さまざまな心配ごとは
まだまだ解決したとはいえないが、
とりあえずの平和でも いまはただありがたい。

緊張状態がながく続くのは
心身を消耗させる。

ひとときでも 休息が、
ほっとひと息つける時間が、
ひとには 必要なのだ。


先日の母の心血管センター受診では、
心配していた ”今すぐに手術” ”いつに予定するか”
といったお話はなく、
来年1月の再診予約をとるにとどまった。

今のところ 自覚症状をみとめず、
心電図も前回と変化していない ということで。

父が胃切後であるという 家庭的な状況も
医師に伝えておき、
内心びくびくしていたであろう母と一緒に
ほっとしながら 帰宅した。


一連のバタバタが、
これでようやくひと段落したかなと思う。

12月には また父の胸部CTと 内科&呼吸器外科の受診があるし
(これが 今いちばん心配)

来年1月には 母の受診だが
それまでに 何か変化があればもちろん急ぐこともありうる。
どちらにしても
いずれかの段階で 母の手術は必要なのだし、
心配は したらしただけ、きりなくある。


もう、親の健康や生命について
なんの憂いもなくいられる時期は過ぎてしまったのだろう。
わたし自身だって それなりの年齢になったのだし、
まして 親たちは
元気そうではあっても 若くはみえても
あちこちに傷みが出てきておかしくない、
老いを迎えているのだ。

老いも死も、かならずひとに訪れるもの。
避けられないこと。

けれど、その日まで
できる限り元気で 笑っていたいし、いてほしい。
たいせつなひとたちと できるならながく 一緒にいたい。

父が再発することなく、
肺も心配のないものであってくれれば…

母の手術が 避けられないのであれば
よいタイミングで受けられるよう、
そして 順調に回復してくれれば…

と願う。

そして ふたりとも
痛み苦しみのなるべく少ない、
自然な寿命を全うしてもらいたいと思う。


そのためにも、
わたしも 自分の心身のバランスをとりつつ
元気を保ちたい。


仕事や 病院・実家通いで 
わたしが家を空ける時間がふえるということは、
りんのおるすばん時間もふえるということで…

ここしばらく さびしい思いをさせたが
彼女が いつも家にいてくれることが、
心配でつぶれそうにもなり 疲れもしていたわたしを 
どれほど救ってくれたかわからない。

彼女のやわらかい毛に あたたかさにつつまれながら
よく泣いた。

そのりんも、先日12日で 7さいになった。

まだ わたしよりはすこしだけ 若い…のかな。
来年 さ来年になれば、
彼女は わたしより 年をとってしまう。

でも、できるだけゆっくり 年をとってね りん。


歌も お休みしたり、
落ちついて向き合えなかったりの日々が続いたが
11月、12月、1月に
合唱、ソロ&デュエットの本番予定がある。

場合によっては 不参加も考えていたが、
この様子なら なんとかなる…かな。

うたうとなれば、
きっちり集中して とりくまないと。


仕事のほうも、
カゼが流行る時期だし、インフルエンザワクチンの時期でもある。

在宅のターミナルのかたも、つねにおられて
それぞれのかたに接するたび
考えさせられることがいっぱい。

やっぱり ひと息ついてるひまはないか。

けれど、
こういう忙しさや 緊張感は、
しあわせな時間であり ありがたい恵みだ。

あらためて 気づく。





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次は…?

2012-10-14 | 父・母、家族のこと


先日 呼吸器外科外来で父の受診。

8月末と 9月末に撮った父の胸部CTには
5ミリ大と 大きく見積もって1.3センチ大の
ふたつの結節(かたまり)が写っている。

今のところわかるのはこれだけで、
それが 
ふるい炎症のあとなのか、
まさに今 活動中の炎症性のものなのか、
それとも悪性のものなのか は
判定ができない。

レントゲンでは写らず、
CTでようやくわかる程度のものらしい。

このまま精査にすすんでも
ちいさいものなので、
より画像の鮮明なPETでも 判定するに至らない。

直接 生検するにも困難で、
意義よりも リスクのほうが大きいので
いまの段階では 意味がなく 必要ない 
とのこと。

結局、
12月に 再度CTで経過をみることになった。

そこで大きさやかたちに変化がなければ、
また 日をおいて経過観察。

大きくなるとか 何らかの変化がみられたら
その時点で 精査にすすむ。

悪性の可能性が完全に否定できたわけではなく
すっかり安心 というわけにはいかないが、
とりあえず ひと呼吸つける。

父も、急な病気の発覚から、
内視鏡的胃粘膜剥離のあとまもなくの
開腹手術と、 
短期間に 連続した内科・外科での2度の入院に加え、
その前後には 息もつけないペースで
検査や その結果をきくための
頻繁な外来受診があり、
心身ともに 疲れ果てていた。

とくに今回退院のあとは
胃切後のため まだ食事もじゅうぶんにとれず、
体力回復も おぼつかない状態なので
さすがの父も

 「これでまた すぐに入院だ 肺の手術だとなったら
  ちょっと えらい(しんどい)わ。
  今度こそ ねたきりになってしまいそうで」

と ねをあげていた。


異常がみつかれば その時点で正体を検索し、
早く治療しなければ と
なんでも早く早くとつい 
術後にまで ほっとするまもあたえず
父にすこしむりをさせてしまったかな…(精神的にも)

と思ったわたしも はたと反省して、

もし 今回肺に関して つぎの段階の精査をすすめられても
すこし 時間的猶予をもらうことは可能かたずねて、 
できるなら そうお願いするつもりだった。

いくら 早期発見・早期治療がだいじとはいっても
今回の父のような状況で、
本人が このペースに息切れしているようでは
心身のちからを消耗させるだけになってしまうから。


それで 今回の結果には すこしほっとしている。

12月までは 予定された受診予約も 検査もないので、
しばらくゆっくりしてもらえる。

 「肺のことは いまは心配しないでおこう。
  しっかり栄養とって、まずは体力回復やね」

と 父に伝えた。


父のことが ひと段落したら、
つぎは 母の予定された心血管センターの受診日が
週明けにせまっている。

せめて 同時期でなくてよかったと思うべきか。

母は、父の食事や体調管理などの心配もあるうえ、
それとおなじ比重で 自身の手術への不安から、
今年じゅうとか 近いうちの手術はまったく頭にない(予定に入れていない)
様子。

今のところ 自覚症状もなく
自分では 
むしろここ最近のほうが 体調がよいと感じているようなので
なおさら、その気になれないのだろうが、
そして 母のその気持ちもよくわかるのだが…

手術そのものへの心配ももちろんだが、
術後の体力回復にも不安があり、
また 術後には今以上にのむ薬が増え、
そのことだけでも 体調管理がたいへんになると
母も わかっているから。

そして 経済的状況が逼迫しているという現実もあるから、
なおさら 二の足をふむのだ。


けれど、きっと次回の受診でも、
近日中の手術を つよくすすめられるだろうと思う。

心血管センターの医師にも
わたしの勤務先の院長にも、

  今はよくても あるとき急にわるくなることが多い。
  そのときに 手術ができる保障はない。
  突然死もありうる。

と おなじことを言われている。

タイミングをまちがえれば、
命とりになる ということ。

父のような 悪性の病気ではないが、
手術を受けないかぎりは いついのちを落とすか知れない、
爆弾をかかえているようなものだろうか。


さまざまな状況を考えたうえ、
いいタイミングで 手術にのぞめるよう、
母の気持ちが 前向きになれるよう 手助けしたいが、

これまた 悩ましい問題。

はたして 
母の心臓…大動脈弁の働きには
あとどれくらいの 時間的猶予が、予備力があるのだろう。

それは 医師でも
はっきり わからないことなのだ。







 
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