わたしは 花をすててゆく
ものみな芽吹く 三月に
わたしは 道をすててゆく
子らのかけだす 三月に
わたしは 愛だけをだいてゆく
よろこびと おそれと おまえ
おまえのわらう三月に
わたしは 花をすててゆく
ものみな芽吹く 三月に
わたしは 道をすててゆく
子らのかけだす 三月に
わたしは 愛だけをだいてゆく
よろこびと おそれと おまえ
おまえのわらう 三月に
作詞:谷川 俊太郎
作曲:武満 徹
おなじ歌詞が おなじ旋律で 2回くりかえして歌われる
シンプルなつくりの曲。
それだけに、歌いわけというか
1番と 2番の
表情、色づけの変化が必要になってくるという
むずかしさが ある。
そして 哀愁を帯びたその旋律。
歌のお仲間さんが 昨年4月の発表会で歌われるのを聴いて、
いい歌だな~
と 思った。
今回の発表会は
師匠のお達しにより(笑) 歌曲限定のコンサートとなる。
それなら、せっかくなので
ドイツリートから1曲と、
はじめての日本歌曲のソロにも 1曲 チャレンジしたくなり、
それで歌いたいと思ったこの曲を選んだ。
だれにでもわかる言葉で書かれた詩。
なのに この詩は、
なんど読んでも 深い。
いろいろな解釈や 思いの込めかたが可能だと思える。
わたしは、
旅立ちのときを迎えたものへの
若いまぶしさを見送り 祝福しながら
一抹のさびしさをだいている…
しかし、
残された自分もまた毅然と
歩いてゆくべき 道があって (道を捨ててゆく…とあるけど??)
それには おまえ(たち)への愛だけを
たずさえてゆこう
(おまえとは、ひとでもあり おもいで でもあるのだろうか…)
そんな思いのうたかなあ
と 感じている。
年寄りっぽい かなあ
で、歌うにあたっては
作曲者が作曲したとおりの調性(原調)で歌うとなると
ものすごく低いところから始まり、
わたしの歌いやすいといえる音域からするとかなり低め…
で、そうなると いつもらくらくと出るはずの音の高さが
低→高音へのチェンジ部分になって
せっかくのもりあがるところのフレーズが
きれいに流れない
というむずかしさがあった。
その部分のための発声にかなりの時間を割いたほど。
それでも、
「あなたがこの調で歌えるのならば、そうするほうが絶対いいよ!」
という師匠の言葉をたよりに??
はじめからずっと、もとの調性で練習してきた。
わたし自身も、この曲にある
ある意味の達観というか 覚悟というか
おちつき、哀愁…みたいな味をあらわすのには、
あまり高くない調性のほうが しっくりくるかな
と感じたので…。
いまだに不安が残る
発声といい、発音といい、
さらには
日本語のうたのむずかしさを
あらためて痛感した 曲でもありました!
まず、外国語の歌とはちがうのは、
日本語(母国語)である以上、
しかも ほとんど日本人のかたが聴かれる日本で歌うのだから、
その日本語の歌詞が正しくきこえなければ
(意味が伝わらなければ)
それだけで ダメになる。
外国語の歌ならば、
極端な話
”どうせ 歌詞の意味なんか誰も知らんねんから!”
”発音のひとつやふたつ、まちがえても
知らん顔して余裕で笑っとく!
まちがえた~って顔するから 気づかれるねん”
と…これはまあ、すごく乱暴にきこえるかも知れないが、
練習に練習をかさねた果ての
最後にいえることで、ある意味の真実 である。
歌詞がきちんと伝わるように きこえるように歌う。
このひとつだけをとっても、
どれほど 難儀することか。
日本語の歌はむずかしい…
でも以前に 書いたことがあるように。
正しく歌っても そうはきこえないことが多くて、
正しく歌う のではなく、
”正しくきこえるように歌う”
というのが 正解かも知れない。
さらには、情感のこめかた。
発声やら発音のことばかり頭にあると、
もうそれどころじゃないけれど
わたしは 1番と2番の歌いわけについて、
師匠からのアドバイス&自分なりのイメージから
1番は淡々とシンプルに、きちんと感のある??クラシック的に
2番は思いをこめたい歌詞にすこし情感を入れて
表情をつけて歌いたいな…
と考えている。
さて、どこまで できるかな!