(写真は「花の庵」さなえさん よりおかりしています)
ふと思う耳ふたつあることの意味
この川柳をつくったのは、
もうずっと以前のこと。
耳ふたつあることの意味。
話すくちがひとつだけなのに対して、耳はふたつ。
ならば、自分が話す以上に、ひとの話をよく聴け
ということだろうと解釈した。
沈黙が気まずくて、とか、
相手にたずねられるままに、とか
笑ってくれるのに気をよくして調子にのって、とかで
どうかすると、
よぶんなことを話しすぎてしまう
自分へのいましめにもした。
人間の解剖生理学的な理由以外で考えるのであれば、
耳がふたつある意味って、
これしかないだろう!と思っていた。
もっとよく聴けとふたつの耳が言う
耳すませ声にならない声を聴く
聞き役に徹して人が見えてくる
もう、聴くっきゃないでしょう~!
とばかりの句の数々。
ところが最近、あるかたがこんなことを言われた。
「耳がふたつある意味?
決まってるじゃなーい。
右で聞いて左に抜けるためですよ。
それの素早さを、私は特技としています」
(肩の?)チカラがぬけた。
なるほど。。。
たしかに、それが必要となる状況が、
人生にはしばしばありそうだ。
そしてそれを、意識的にすることが
わたしはにがてなようだ。
自分が意識せずしての、もの忘れは得意とするところだが。
だんだんじょうずになっていけるだろうか。
そんなこと、ひとに言われるまでもなく、あったりまえじゃない。
今まで考えなかったの~!?
って、言われるかな。。。
今後、耳ふたつあることの意味を、
ひとつに限定しないで、
ふたつに増やすことにしよう。
いや、これら以外にもあるかも知れないので、
ふたつとも限定しないことにしよう。
そういえば、ここ最近に、こんな句もつくったのだった。
耳栓もじょうずに使う年の功