さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

デュエット・Liebesgarten

2015-12-29 | 歌のおけいこ
2016年の年明け1月に、
われらがたっちぃ師匠の還暦(お祝い)コンサートがある。

そこで、ぶるーぴーたーさんと5年ぶりのデュエットを予定している。

彼との前回のデュエットの記事は こちら

なにやら感慨ぶかい。 

彼は、2回目の東京転勤をしてからもう6年。

今も合唱ではジュビラーテに、
休み休みしながらも可能な範囲で、遠方から参加してくれている。

だいだいリートへの参加は4年ぶりくらいになるのかな。

一緒に練習する機会がほとんどとれないので、
レッスンで集中するのみ!

今回の曲は、
以前歌った「Tanzlied」…踊りの歌のような
かけあいでも追いかけっこでもなくて、
ひたすらハモり。ハモることいのち。

わたしのだいすきなデュエット曲で、
ずっと前から歌いたかった、
シューマンの「Liebesgarten」。

3コーラスあるが、長くなるので
2番はカット。
(これなら歌詞もおぼえられるからいいか!?笑)

またこうして、ともに歌えるのは
おたがいに生きて元気でいればこそ。
歌いつづけているからこそ。

そのことに感謝したい。


    Liebesgarten  愛の庭  
                  詩:ロベルト・ライニック

  愛はバラの茂み
  どこにそれは咲いている?
  もちろん、わたしたちの庭の中
  そこでわたしたちふたり、愛する人とわたし
  心の底から花咲くのを待っている
  その気持ちに感謝でこたえて
  毎日あたらしい花が咲き出でる
  天国にバラが咲いたとしても
  これほどまでに美しく咲くことはない

  
  愛は澄んだ小川
  どこにそれは流れている?
  もちろん、ぼくたちの庭の中
  たくさんのさざ波が、たくさんの喜びが
  ありとあらゆる喜びがある
  それにあたりの世界を映し出している
  本物よりもずっと美しい姿で
  その上をわたしたちは陽気に滑ってゆく
  鳥が空を飛んでいるように

  
  愛はすてきな星
  どこでそれは光っている?
  もちろん、わたしたちの庭の中
  ああ、愛しい人 教えてよ
  どうしてあなたはわたしをこんなに長く待たせているの?
  もしもあなたをどんな時にでも見ていなければ
  あの星がわたしの胸を焼きつくすでしょう
  けれどあなたが来たなら、星はおだやかに昇ってゆく
  五月に太陽が昇るように


まともに詩を読むとはずかしい。
このデュエット、
日本語だったら歌えない。

人前で歌う という時点で、
舞台に立つという時点で
はずかしいの気持ちは捨てなきゃいけないのだが…

いまだにこんなこと言ってます。

ともあれ、
師匠の還暦お祝いコンサートなので、
門下生みんなで、明るく楽しく盛りあげたいと思います。 
   



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サルスベリの木は

2015-12-28 | 父・母、家族のこと
うちの母がむかし、こんなことを言っていた。

 「サルスベリの木をうちにも植えたいんだけど、
  ひかえているの…」

??

 「なんで?」

 「藤丸(わたしの弟=母の息子…本名ではないが)
  がサル年だから、
  道やら受験やらにスベッてはいけないと思って…」

 「ふーん、そうか~」

と、その時は何となく納得してしまったのだが、
いま思うと、何だか笑える。

これも親ごころかな。

いつもうちのブログに遊びに来て下さる、
Darth Yumiさん が、
来年の年賀状の絵柄に
サルつながりの植物、サルトリイバラを選んだとおききして、
ふっと鮮明に思い出した母の言葉だった。

そうか、
来年弟は年おとこなんだな。

まだ独身で、父亡きあと、
実家で母とふたりで暮らしている。
母のことを、よく気づかってくれている。

父が亡くなった瞬間から、
わたしは自然に弟を実家の家長としてとらえるようになった。
それは、自分でも不思議なほどの、
自然な変化 だった。


母が言う。

 「藤丸ったら、
  おとうさんに、本当にやることなすことそっくりなのよ~」


しっかり父の背中をみて育ってくれたんだね。

弟のなかにも、父はしっかり生きていてくれるんだね。

としの離れた弟で、わたしよりうんと若いのに
もうとっくにわたしを追い越して、
大きくなった弟よ、

いつも母を支えてくれてありがとう。




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10さいになったりん

2015-12-27 | 愛犬りん

10月で10さいになったりん。
わがやのかわいい家族。

今年3月にはヘルニアを心配したが、
さいわい悪化せず改善してくれた。

が、夏ごろから
わきやおなかに散発する皮膚炎ができ、
かゆみを伴うのか、
時折せっせとなめている。

原因は不明のまま。
食物アレルギーや接触したものなど考えてみたが、
特定できるものは思い当たらない。

動物病院のJ先生が、
考えてあれこれ出してくれたおくすりを
がんばってのんで(食べて)もらったが、
すっきりとは治らないまま、
一進一退で慢性化している。

ステロイドにしても抗生剤にしても、
長期にのませることは気がすすまず、
今はそのまま様子見している。

さいわい、元気にはしてくれているので
よほど苦痛そうでなければ、
自然に経過をみていこうと思っている。

これまで、
脚にできたおできを摘る手術を受けた以外は
ほとんど健康上の問題なく過ごしてきたが、
やはり10さいを迎えるあたりから、
いろいろ出てきた。
年齢を考えれば、これも不思議はないのかも知れない。

いつまでもこいぬのように思えるけれど、
りっぱな成犬となり、
今はシニア犬に入る世代となった。

一緒に暮らしはじめて、
わたしたちもおなじく10年ぶんとしをとったが、
いぬの時の流れは、さらに速い。
あとにうまれても、わたしたち人間の歳を追い越して、
さきに行ってしまう。
これからの毎日も、
一緒にいられる時間をいつくしんで
過ごしていきたい。

仕事や歌、雑用、
友人とのおでかけ、実家へも行ったりで
お留守番はあいかわらず避けられないが、
りんは必ず待っていてくれる。
あたりまえなんだけど、あたりまえじゃない。

目を向ければ、声をかければ、
こちらをじっと見つめるりんの顔が、そこにある。

それがとても、うれしくありがたい。

りんがいつかいなくなってしまうこと、
それは避けられないことだけれど、
とても考えたくないな…。

まだまだ、元気でいてね。





コメント (4)
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新しいフォトチャンネル

2015-12-27 | フォトチャンネル

ひさしぶりに新しいフォトチャンネルを
ふたつアップしました。

先日12月24日に書いた記事「グリューワイン」の
ドイツマーケットで買いもとめたマグカップたちと、
おうちでのお茶の時間をいろどってくれる、
愛着ある茶器たち です。

よかったら、ごらんになって下さいね。

左側にあるカテゴリー欄の
「フォトチャンネル」から記事をみると、
過去のものも見られます。
お酒のラベルとか、うちのりん嬢とか…です。

よろしければ、そちらもどうぞ。


  「ドイツマーケットのマグカップ&おまけのクリスマスツリー2012年」

 最後にある、ポインセチアの入ったサンタさんも、
 ドイツマーケットのマグカップです。
 年々ちいさくなって、グリューワインの量が…(笑)




  「お茶にしましょうか」

 カップ&ソーサーも、カメラ横にして撮ったほうがよかったですね。






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年賀状と訃報

2015-12-26 | たわごと・できごと
毎年毎年、わかっていることなのに
この時期になっていつもあわてて書いている、年賀状。
ひどい時は、大晦日になってもまだ書いている。
書けたぶんから家族に頼んでピストン投函したり。

毎年送る年賀状のなかには、
何年も会っていない、
もしかしたらもう一生会わないかも知れない人あての
ものもある。

年賀状をやめてしまえば、
つながりがなくなってしまいそうな人もいる。
だからこそ送るべきなのかな、と思う。
ふだん顔を合わせる人以上に。

昨年は父の喪中で年賀状は書かなかったが、
いつものようにあわてて書く年賀状が必要ないのも、
それはそれでさびしいものだった。

こちらから送ることもなく、
届く年賀状もごくわずか。

喪中はがきが数多く届く年は、
親しい友人・知人たちにとって身近な方たちとの
お別れが多かった年。
避けられないこととはいえ、こころが痛む。

今年の喪中はがきの中に、
遠方に住む、学生時代の親しい友人のご主人からのものがあった。
この12月に亡くなったのは、
もう何年も会っていない、その友人だった。

毎年の年賀状だけが、ここ何年もの彼女とのつながりだった。

病気だったとも何とも聞いていないので、
事情がまったくわからない。
共通の友人たちにたずねてみたが、誰も知らないという。
ご主人は、12月に入ったこの時期のことでもあり
遠方であることもあり、
葬儀のタイミングでの連絡を遠慮なさったのかも知れない。

2年前の、母の入院時にも、
わたしは学生時代の親しい友人をひとり亡くしている。
それも、彼女にはもっともふさわしくないと思える、
いまも信じたくない、自殺というかたちで。

その彼女とは、何人かの友人たちとともに
年に1、2回は会っていたのだが、
彼女が来られなかったある時の理由が

 「今はみんなに会いに行く余裕が、とてもないので」

という内容だったので、
気になりながら過ごしていたところだった。

術後のトラブルで入院の長びいた母の回復にも
光が見えはじめてほっとした、
その年の夏が終わろうとする頃。
そんな時に届いた、突然の訃報だった。

覚悟しながら日々を過ごすお別れもあれば、
予期もせぬ突然のお別れもある。

いつどんなかたちでその時が訪れるのかは、
誰にもわからない。

これがさいごになってもいいように、という思いを
いつもこころのどこかにとどめておかなければ。

あえない日々が続くのもしかたのないことがあるが、
だからこそあえる時には感謝して、
悔いのない会いかたを、別れかたをしたい。

笑顔でありがとうの気持ちを伝えたい。



  不精さを悔いる疎遠の友が逝く

  だしぬけの訃報が時を凍らせる

  友が逝くいつもとおなじはずの朝






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