先日の日曜日に、ぶじ終えた朝野先生門下のSpring concert。
前回までの記事に書いた3曲…
「いのちの記憶」 をアンサンブルユニット(女声5名)のミルフィユ オ フレーズで、
「ほんとにきれい」
「きんいろの太陽がもえる朝に」 をデュエットで、
「O del mio amato ben」(私の愛する人) をソロで
それぞれ歌った。
今回のコンサートでは、ひどくあがることなく
初めて自分本来の感じで歌えた気がする。
めざしたのは、
フレーズの歌いだしの前に、からだ、気持ちの準備をして
それができてから声にすること。
とりあえずの声で歌わないこと。
歌いだしたら、けっして抜かないで
ずっとつなげて前へ前へと進んでいくこと。
きれいに歌うことや、BGMをめざすのではない、
そこに自分(人間)がいるかどうか…と。
けれど、それらがどの程度できていたかはわからないし、
はたしてこれまでと何がちがっていたのか、
はっきりとはわからない。
ただ、心配ごとがあったり、
状況や心身のぐあいが決して好調ではないなかでも、
集中して歌うことはできるものなんだと思った。
できないことの言い訳を、あれこれしてはいけないと。
調子のよいときよくないときの波があったとしても、
歌うときは歌に集中して、
最低限この感じで、毎回歌えるように練習をかさねていきたい。
今回もあがるだけで終わりました…
ということばかりのくり返しが、ほんとうにつらかったから。
たったいちどでも、
少なからず思うように歌えたのだという実感を忘れずに
糧として、この体験を積みかさねていこう。
前回までの記事に書いた3曲…
「いのちの記憶」 をアンサンブルユニット(女声5名)のミルフィユ オ フレーズで、
「ほんとにきれい」
「きんいろの太陽がもえる朝に」 をデュエットで、
「O del mio amato ben」(私の愛する人) をソロで
それぞれ歌った。
今回のコンサートでは、ひどくあがることなく
初めて自分本来の感じで歌えた気がする。
めざしたのは、
フレーズの歌いだしの前に、からだ、気持ちの準備をして
それができてから声にすること。
とりあえずの声で歌わないこと。
歌いだしたら、けっして抜かないで
ずっとつなげて前へ前へと進んでいくこと。
きれいに歌うことや、BGMをめざすのではない、
そこに自分(人間)がいるかどうか…と。
けれど、それらがどの程度できていたかはわからないし、
はたしてこれまでと何がちがっていたのか、
はっきりとはわからない。
ただ、心配ごとがあったり、
状況や心身のぐあいが決して好調ではないなかでも、
集中して歌うことはできるものなんだと思った。
できないことの言い訳を、あれこれしてはいけないと。
調子のよいときよくないときの波があったとしても、
歌うときは歌に集中して、
最低限この感じで、毎回歌えるように練習をかさねていきたい。
今回もあがるだけで終わりました…
ということばかりのくり返しが、ほんとうにつらかったから。
たったいちどでも、
少なからず思うように歌えたのだという実感を忘れずに
糧として、この体験を積みかさねていこう。