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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイ・ラブ・桐生 (3) 序章・ 初恋は、あくまでもほろ苦く

2012-05-06 07:44:01 | 現代小説
アイ・ラブ・桐生
(3) 序章・ 初恋は、あくまでもほろ苦く



(のこぎり屋根とよばれる、三角屋根がつらなる織物工場。)



 山の手通りの基点は、JR桐生駅です。
前橋市と桐生を結ぶ上毛電鉄・西桐生駅を経由してから、
市内西北部の山裾沿いを時計回りに、桐生天満宮と市内循環バスの車庫がある
天神町まで続いていく環状の生活道路です。



 途中に、市内を一望できる「水道山」への登山道が有り、
その坂道には名画を集めた、小じんまりとした美術館も建てられています。
また小高い丘陵地に造られている動物園と遊園地へは、美和神社と酉(とり)の市で知られる
西宮神社のあたりから、山側に向かって分岐をしていきます。
この道の周辺には、奥に進むにつれて、明治から大正時代に建てられたと言う
このぎりの形をした三角屋根の織物工場が、たくさん残っています。


 山の手通りの平日の昼間は、いたって静かそのものです。
例外的に人が増えるのは、朝と夕べに限られています。
通りに沿って、私立の有名校と市立の工業高校、女子高校などが点在をするために、
近隣からの学生服とセーラー服がこの通りを頻繁に往来をします。
さらには最深部にある、群大工学部のキャンパスに向かって、
群馬大学の学生たちも歩きます。




 私の初恋のお相手、M子さんは、この通りに面した女学校へ進学をしました。
山の手通りは、JRと私鉄の二つの駅から降りた大学生と、
高校生たちが同じ方向に向かって一斉に歩きはじめます。


 M子と私は、幼な馴染です。
M子とレイコも、同じ山の手で育った同級生同士です。
幼い時からの遊び友だちで、常に控えめでおっとりとしていたM子とは正反対に
レイコは、つねに元気で、休むことなく活発にはしゃぎ回る女の子でした。

 桐生天満宮の周辺に住んでいた女の子たちは、
M子とレイコをはじめとする7~8人で、ひとつの仲良しのグループを作っていました。
のちに湯西川へ行って芸妓修業をはじめる同級生の清ちゃんも、小学校3年生の時くらいから
いつのまにか、このグループに混じって遊ぶようになりました。
また桐生では初めてという、ゼロ歳たちのための児保育園「なでしこ」を
たちあげた女子高卒業の四天王たちも、やはりこのグループの中に勢ぞろいをしていました。



 男の子達を寄せ付けない、この少し元気すぎる女の子のグループに、
なぜか私だけが、好意的に受け入れてもらっていました。
そのきっかけは、ささいな武勇伝から始まりました。
いつも天満宮の境内で遊んでいたこのグループへ、たまたま別の小学校の悪がきたちが
からんできたという事件がありました。


 柔道の稽古帰りの私が、たまたまそれを見つけました。
おびえている女の子たちを、やたらとからかっている男の子たちを見た瞬間に
持ち前の正義感が爆発をして、思わず境内に駆けこみました。
問答無用とばかりに虚勢をはりつづけていた男の子たちを、あっというまに
得意の柔道で投げ飛ばして、このグループの窮地を救った覚えがあります。
以来、ボディガードとして女の子に指名されるようになりました。




 しかしこのことが後になって父親に発覚し、
たいへんこっぴどく、かつ徹底的に叱られることになりました。



 「おなごなんぞを助けるために、わざわざ柔道を覚えさせているわけでは無い。
 力や技を相手に使う前に、もっと頭を使わんか。この馬鹿ったれ。
 闘いとは単なる力比べや技比べにあらず、いかに沈着冷静にその場を収めるかこそが、
 常に勝つための大切な方程式である。
 無駄に身体や力を使うのは、頭脳の無いゴリラと同じで、ただの蛮行に過ぎん。
 第一、素人を相手に柔道の技など掛けてなんとする。
 修業が足らん、このうつけもの!」
 ・・・・うちのおやじは、常にこういう男です。



 それ以降は、特になにごとも起らず、平穏のままに中学にすすみました。
それなりに、異性に関する興味も出て来て、年頃となったこの女の子のグループ内でも
男子に関する噂がチラホラと始まるようになりました。
レイコが、上級生の誰それからラブレターをもらったということで、
有頂天になって喜んでいたのも、丁度この頃の出来ごとです。
すっかりと機嫌を良くしたレイコが、
『あなたも誰かとつき合えば。あなたはやんちゃだから、
M子みたいなタイプが似合いだわ」と勝手に世話をやきはじめます。
それが中学2年の時のことで、こうして私は、レイコのお節介な仲介で
M子と正式に付き合うことになりました。



 順調に交際などをすすめましたが、お互いの高校進学を機に、
会う回数も、また一緒に過ごす時間なども極端に少なくなり始めました。
私にしてみれば、運動部の柔道と文化系の演劇部と言う(相反する)二つの
かけもちの部活動をしていたために、ただ単にひたすら多忙を極めただけの話です。
しかしお互いの共通の友人であるレイコがまた、ここでも気を揉み始めます。


 高校へ進学してから2カ月ほどたったある日、レイコから電話がかかってきました。
「至急の用事があるから、明日の通学時に、
桐生駅の北口にまで来て。」と、命令半分に呼びだされます。
身に覚えが無いまま、言われた通りにわざわざバスを乗り換えて桐生駅の北口へ出向きました。
バス停には、笑顔のレイコと、少し緊張気味のM子の二人が立っていました。



 「別にこれという、用事はないけれど久しぶりでしょう。
 たまには、3人で歩きましょう。」


 という説明をしただけで、レイコは二人を置いてさっさといってしまいました。
ちょうど通学の時間帯ということもあり、それぞれの電車が到着をするたびに、
たくさんの高校の制服が、一斉に山の手通りへ溢れてきます。
なるほど、これなら目立たないと言う訳か・・・
そんな風に納得をしてからは、しばらくは三人で歩く日課が続きました。



しかし三人ともが通う先は、それぞれ別の高校です。
そのうちに気がついたら、いつのまにかレイコ姿がありません。
制服が夏服に変わるころには、あたりまえのようにM子と二人きりで歩くことが、
しっかりと定着をしてしまいました。
中学時代から高校にかけての私は、勉強はそこそこに切りあげて放課後ともなると、
柔道部と、演劇部をかけもっていたという、文武両道の美少年でした!



 そこのあなた。今、クスッと笑いましたね!





 特に柔道に関しては、「どうせやるなら、本格的に徹底してやれ」
というオヤジの武道好きと、独自の教育方針のために、
汽車で40分もかけて、県都の前橋市の強豪道場まで連日のように通い続けました。
おそらく、小学校3年になったばかりだったと思います。
柔道着を担ぎ、数年間にわたってこの前橋までの道場通いは続きました。
柔道は、礼に始まって礼に終わるという礼節を重んじる武道ですが、
私の初恋もまた、いつの間にかはじまったものの、
この柔道熱によって、あっけなく終焉をむかえました。



 せっかくの通学時の山手通りでの語らいも、
1年も持たずして、あっさりと終わることになりました。
私の柔道熱がさらなる上を目指したために、
埼玉県にある、由緒ある歴史を持った名門の強豪道場へ飛び火をしたためです。
柔道一筋を選択して、埼玉にある伯父の家に居候をしながら、
高校生活の残りの2年間を、本人も希望に燃えて柔道三昧で過ごすことになりました。




 無事に卒業をして、やっと桐生に戻ってきたころには、
すでに初恋のM子さんには、ちゃんと別の「白馬の王子様」が出来ていました。
この時もまた・・・仲介役のレイコが、誕生日用に買ったM子へのプレゼントを
届けてくれることなりました。
小学校に入る前から、私の初恋のM子さんと、このおせっかいなレイコは
いつでも片時も離れずに、仲良く行動を共にしていたのです。



 やがて短大にへ進学したレイコとは、そのまま音信不通状態になりました。
風の噂では、保母になると決めたようですが楽器演奏が大の苦手で、
とりわけピアノには大苦戦しているようだという、そんな噂も聞きました。



 (へぇ~、あいつ。保母志望だったんだ・・・・)



 
 私のやんちゃ時代の物語は、実は、
この「おせっかいな」レイコと数年ぶりに、再会するところからはじまります。


(よくある、桐生の路地の風景)



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