アイラブ桐生
(12) 第三章 輪島から兼六園へ(その4)
(真夏の兼六園)
金沢という街は、国鉄の金沢駅前が繁華街ではなく、
駅前から車で10分程離れた、香林坊から片町にかけての界隈が繁華街になっています。
一般商店やデパート、飲食店はもちろんのこと、バーやスナックなどの
飲み屋さんなども多く、人口一人当たりの飲み屋さんの数では、
金沢が全国一という話を、だいぶ前に聞いたことがあります。
北陸一のにぎやかな夜の町・・・・
と言われているのが香林坊と片町界隈です。
この町はまた、古い史跡や建物などを巡って大人たちが思い思いに街中を
散策もできるという、異なる一面も見せてくれます。
香林坊交差点にポツン建てられた祠があり、
その脇に立つ石碑には、香林坊の町の由来が記されています。
そこには町名の由来として、比叡山の僧であった香林坊が還俗して、
この地の町人、向田家の跡取り向田香林坊(むこうだこうりんぼう)となり、
以来、目薬の製造販売に成功をして「香林坊家」として繁栄をした ...
と説明があります。
レイコは古い歴史を持つこの北陸の小京都と呼ばれている
街並みを、精力的に歩きまわります。
「せっかく来たんだもの、本物の、加賀友禅が見たいわね~」などと
日本情緒を口にするわりには、本人のいでたちは、先ほど渚ドライブインで
買い込んだばかりの原色のアロハシャツです。
さらに、ジーンズの裾はひざの下までたくしあげていました。
黒いサングラスに真っ赤な口紅つけたレイコは、時々
和装品店のウインドを見つけては、熱心に中を覗きこんでいます。
和と洋の、あまりにも不釣り合いな光景ですが、本人はいっこうに気に留める様子も無く、
平然と、ウインドショッピングを繰り返していきます。
目当ての探し物でもあるのでしょうか、
加賀友禅の大きな着物には、さしての興味もしめさず、なにか小物ばかりを
中心に、探し物をしているような気配さえありました。
たっぷりと時間を費やして探索をした揚句、
兼六園へたどり着いたのは、すでに午後の3時を過ぎていました。
無言で坂道を登り終えたレイコは、かき氷のスプーンを口にくわえたまま、
木陰のベンチへ、へたりこむようにして座りこんでしまいました。
疲れきったのか、少しうつろな瞳さえしています。
無理も有りません・・・・
うだるような熱気の中で、熱心に歩きまわり過ぎたレイコの全身には、
前日からの寝不足も加えた、深い疲労の蓄積がありました。
「真冬なら、
兼六園名物の、あの雪吊りが見られるのだろうけど、
真夏の今の季節では、それはさすがに無理か・・・
う~ん、でも、さすがに名園ね、綺麗。」
すこしホッとしたのか、青白かったレイコの頬に赤みが戻ってきました。
木蔭のベンチから動こうとしないレイコは、ゆっくりと
兼六園の景色を目線だけで追いかけています。
兼六園は、土地の広さを最大限に活かして、
庭のなかに大きな池を穿ち、さらに築山(つきやま)を築いています。
御亭(おちん)や茶屋などを点在させて、それらに立ち寄りながら
全体が遊覧できるように整備がされている、北陸を代表する優美な日本庭園です。
いくつもの池とそれらを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、
多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも形容されています。
やがてレイコが、意を決して再び立ちあがりました。
どうしても、一つだけ見つけたいものがあるの・・・
そう呟きながら、レイコが兼六園の坂道をくだりはじめたのは、
もう、午後4時を過ぎてからのことです。
何度か下見済みの、大通りの大きなショーウインドの前で、再びレイコが立ち止まります。
ウインドには、見事に袖を広げた加賀友禅が陳列をしてありました。
京友禅も加賀友禅も、絵師の宮崎友禅斎がその基礎を作りました。
時代の変遷とともにそれぞれの特徴が生まれます。
加賀友禅は落ち着きのある写実的な草花模様を中心とした絵画調が
主に描かれるようになりました。
これに対して、京友禅は
流麗な集合配列の模様を特徴としています。
その違いぶりは、加賀においては武家文化があり、京では公家文化という
それぞれの社会背景の違いによるものとして考えられています。
絵画調の柄を特徴とする加賀友禅は、その写実性を強めるために、
白上がりの線の強弱や、さらに線の太し細しの変化をつけることにより、
いっそうの装飾効果を高めています。
加賀友禅は「加賀五彩」とよばれる
臙脂・藍・黄土・草・古代紫の五色で構成をされています。
京友禅よりも沈んだ色調であることがその特徴です。
デザインはより写実的で、武家風の落ち着いた趣があり、刺繍や箔押しなどの
技法は使わずに、ぼかし」や「虫食い」などの表現でアクセントをつけています。
ぼかしの方法も、京友禅が内側から外に向かってぼかしているのに対し、
加賀友禅は、外側から内側に向かってぼかします。
これが噂の、加賀友禅か。
こんな趣味がお前に・・・と思う暇もなく、レイコが店の中に消えてしまいました。
(おい、お前、大胆な原色のアロハのままだぞ・・)
店内は、充分すぎるほどの冷房が効いていました。
入った瞬間からの、ほんのわずかな時間で、所狭しと飾られている、
加賀友禅の雅(みやび)さに、思わず圧倒をされてしまいました。
すべてが、太平絵巻の世界です。
店員と話しをしていたレイコは、案内をされるままに隣の部屋へ消えてしまいます。
美術館か資料館のように、四方に飾られている加賀友禅に見入っていたら
ほどなくして、小物を抱えたレイコが戻ってきました。
さっきまで沈んでいたレイコの目が、濡れたように潤んでいました。
レイコの瞳には、喜怒哀楽の気配が良く出ます。
嬉しい時のレイコがいつも見せる、幼子(おさなご)のような輝いている瞳です。
どうやらお目当てのものは、無事に見つかったようです。
会計を済ませ、丁寧に包装された商品を
大事に抱えてお店を出ると、緊張の糸が切れたかのように、レイコが、
私の肩へもたれてかかってきました。
肩へかかる重みに思わず、歩く速度を緩めました。
背中から腕をまわしてレイコ肩に手を置きました。
レイコも無言のままに私の腰へと、腕を回します。
二人が産まれて初めて、いままでにないほど密着をした瞬間でした。
車に戻ってからも会話はありません。
無理もありません。
車中一泊で群馬を出発してから、もう丸2日がたちました。
その間に、まともに眠れたのは昨夜の民宿だけで、それ以外は車の中で過ごし、
さらに炎天下の探し物で、レイコはずいぶんと歩きまわりました。
もう、疲れもピークのはずです。
やがてレイコが、静かな寝息をたてて、眠りへ落ちていきました。
大事に抱きしめていた小物のお土産を手元から取り、後尾座席に置いてから、
毛布を掻き寄せて胸元へかけてあげました。
反応してうすく目を開けたレイコが、今度は自分の頭の上まで毛布を引き上げます。
そのまま、また、深い眠りへ落ちて行きました。
・・・とりあえず、昨日来た国道を群馬に向かって
逆戻りをする形で走りだしました。
富山を通過したあたりで、もう陽がすっかりと落ちてしまいました。
漆黒の闇に変わり、どこかの小さな市街地を抜けてしまうと、
あとはどこまで走っても、路面を照らすヘッドライトだけの世界になってしまいました。
時折、対向車が来るものの、前にも後ろにもまったく車の姿はありません。
聞こえてくるものは、波とエンジン音だけになりました。
来るときも、こんなに静かだったかなぁ・・
通り過ぎる集落から次の集落までの距離が、途方もなく長いものに感じます。
すれ違う車も無く、人家も街灯も見当たらない、
闇に包まれた真っ暗な国道だけがどこまでも続きました。
最後はなんとなく、あっけないと思える幕切れでした・・・・
また夜通しを走って群馬まで帰るか、そう覚悟を決めて、
次の煙草に火をつけていた時です。
「もう、帰り道?」
レイ子が起きてきました。
「うん・・」 とだけ短く答えました。
レイコの指が伸びてきて、私の口元からくわえたばかりの煙草を抜き取ります。
「ごめんねあなたを、振り回しばっかりで・・」
一口だけ吸ってから、また私の口元に戻してきます。
「要るだろう、」と・・・胸ポケットから取り出した煙草の箱を、
助手席のレイコに手渡しました。
「ありがとう」レイコが両手でそれを受け止めます。
私の左手は煙草の箱ごと、温かいレイコの指先に包まれました。
いつまでたってもレイコは、指を離そうとしません。
前方を見る限り、道はどこまでもまっすぎに続きそうな気配がしています。
レイコに握られた左手は、しばらく放置することにしました。
「なんで上手くいかないんだろう・・・・私たちって。」
レイコが指を離しながら、
聞かせたくないほどの小さな声で、ぽつりとつぶやきます。
私も、聞こえなかったふりをして「何か言ったか?」と聞きなおします。
「べつに」
レイコも無造作に答えます。
車窓の暗い海面へ顔を向けたレイコが、目元をそっと拭いました。
「探し物が見つかって、良かったね。」
「ふと、思い出したんだ。
私のおばあちゃんが、お嫁入りのときに加賀友禅の着物で来たという話を。
ずいぶんと遠い昔のことで、たったひとつの想い出の品なのよ。
似たような絵柄の小物が、どうしても欲しかったの、
大好きなおばあちゃんへのプレゼントとして。
でもさ、それもあるけど、
本当は・・・
わたしとあなたが此処まで来たという記念が、
私は、どうしても欲しかった。」
「おばあちゃんへのお土産じゃなくて、
俺たちの、記念品と言う意味?」
「ううん・・・・ただの私の、こだわり。
まだ今のあなたには、なんの関係もありません。
あなたと正式に、お付き合い始めたという訳でもないし、
何か将来の約束をしたわけでもないんだもの。
今日は、ここまで来たぞっていう、私だけの記念が欲しかったの。
そういう意味しかない、それだけの買い物です。
・・・・たっぷり歩かせてしまって、ごめんなさい、
今日だけは、どうしても、自分が納得をするための買い物がしたかったの。
自分の気持ちが納得するまで、ずっとあなたと歩きたかったの、
買い物が終わったら、もう帰リ道が始まってしまうんだもの。
・・・・ごめんね、
私ったら、ずっとつまんない女のままで。」
「そんなことはないさ、レイコ。
お前っは、いい女だと思うよ、おれも。
そうだよなぁ・・・
俺たちはもう15年になるんだ。」
「15年かぁ。そうよね。
15年もかかったというのに、
一緒に二人だけで居られたのは、ずっと前に、東京へデモ行進に行った時と、
今回の能登と、この金沢だけだもの。
また、あっというまに過ぎちゃうのかしら、
私たちの時間。」
「やっぱりな・・・
やっぱり、何んかがあったんだろう、レイコ。
そんなに一人で頑張るなよ。
俺に、言えよ。力になる。」
「嫌。
絶対に、あんたにだけは、言わない。
でもさ・・・・その気持ちには、ありがとう。
だけどお願いだから、今はそれ以上は聞かないで。
ここまで連れて来てくれただけで、もう充分に感謝をしてる。
後は時間が解決をすると思うし。
大丈夫だょ、
本命でもなかったし、ただの遊びだもの・・・
保母の勉強も本気でやらなきゃいけない時期だしね、
めそめそしている場合じゃないもの。でも、本当にごめん。
あなたには、何もしてあげられなくて・・・。」
「こうしていられるだけで十分だよ」と、言おうとした矢先、
独り言のように、またレイコがポツンとつぶやきました。
「でもさぁ・・・・
たぶん、ず~うと上手くいかないと思うよ・・・
(なんですれ違ってばっかりいるんだろ、長い間・・・)
あたし達って。」
あっと、本音の自分に気がついて、短く声を出したレイコが、
思わずコホンとひとつ空咳をしました。
「眠くなったら言ってよね、そこで運転を変わるから・・」
「あいよ。」
と、こちらも素っ気なく答えてから、
ゆっくりともう一度、煙草の煙をはきだしました。
レイコも、新しい煙草に火をつけています。
深く・静かに吸い込まれた煙は、やがてゆっくりと紫色のたなびきとなって
車窓の景色に溶け込みながら、平行線を引いて消えて行きます。
お互いに、これから長い帰り道が始まることを、
確認しあっているような、そんな気もした、暗黙の仕草の交換でした。
(資料用の画像より・雅を誇る『加賀友禅』)
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
(12) 第三章 輪島から兼六園へ(その4)
(真夏の兼六園)
金沢という街は、国鉄の金沢駅前が繁華街ではなく、
駅前から車で10分程離れた、香林坊から片町にかけての界隈が繁華街になっています。
一般商店やデパート、飲食店はもちろんのこと、バーやスナックなどの
飲み屋さんなども多く、人口一人当たりの飲み屋さんの数では、
金沢が全国一という話を、だいぶ前に聞いたことがあります。
北陸一のにぎやかな夜の町・・・・
と言われているのが香林坊と片町界隈です。
この町はまた、古い史跡や建物などを巡って大人たちが思い思いに街中を
散策もできるという、異なる一面も見せてくれます。
香林坊交差点にポツン建てられた祠があり、
その脇に立つ石碑には、香林坊の町の由来が記されています。
そこには町名の由来として、比叡山の僧であった香林坊が還俗して、
この地の町人、向田家の跡取り向田香林坊(むこうだこうりんぼう)となり、
以来、目薬の製造販売に成功をして「香林坊家」として繁栄をした ...
と説明があります。
レイコは古い歴史を持つこの北陸の小京都と呼ばれている
街並みを、精力的に歩きまわります。
「せっかく来たんだもの、本物の、加賀友禅が見たいわね~」などと
日本情緒を口にするわりには、本人のいでたちは、先ほど渚ドライブインで
買い込んだばかりの原色のアロハシャツです。
さらに、ジーンズの裾はひざの下までたくしあげていました。
黒いサングラスに真っ赤な口紅つけたレイコは、時々
和装品店のウインドを見つけては、熱心に中を覗きこんでいます。
和と洋の、あまりにも不釣り合いな光景ですが、本人はいっこうに気に留める様子も無く、
平然と、ウインドショッピングを繰り返していきます。
目当ての探し物でもあるのでしょうか、
加賀友禅の大きな着物には、さしての興味もしめさず、なにか小物ばかりを
中心に、探し物をしているような気配さえありました。
たっぷりと時間を費やして探索をした揚句、
兼六園へたどり着いたのは、すでに午後の3時を過ぎていました。
無言で坂道を登り終えたレイコは、かき氷のスプーンを口にくわえたまま、
木陰のベンチへ、へたりこむようにして座りこんでしまいました。
疲れきったのか、少しうつろな瞳さえしています。
無理も有りません・・・・
うだるような熱気の中で、熱心に歩きまわり過ぎたレイコの全身には、
前日からの寝不足も加えた、深い疲労の蓄積がありました。
「真冬なら、
兼六園名物の、あの雪吊りが見られるのだろうけど、
真夏の今の季節では、それはさすがに無理か・・・
う~ん、でも、さすがに名園ね、綺麗。」
すこしホッとしたのか、青白かったレイコの頬に赤みが戻ってきました。
木蔭のベンチから動こうとしないレイコは、ゆっくりと
兼六園の景色を目線だけで追いかけています。
兼六園は、土地の広さを最大限に活かして、
庭のなかに大きな池を穿ち、さらに築山(つきやま)を築いています。
御亭(おちん)や茶屋などを点在させて、それらに立ち寄りながら
全体が遊覧できるように整備がされている、北陸を代表する優美な日本庭園です。
いくつもの池とそれらを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、
多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも形容されています。
やがてレイコが、意を決して再び立ちあがりました。
どうしても、一つだけ見つけたいものがあるの・・・
そう呟きながら、レイコが兼六園の坂道をくだりはじめたのは、
もう、午後4時を過ぎてからのことです。
何度か下見済みの、大通りの大きなショーウインドの前で、再びレイコが立ち止まります。
ウインドには、見事に袖を広げた加賀友禅が陳列をしてありました。
京友禅も加賀友禅も、絵師の宮崎友禅斎がその基礎を作りました。
時代の変遷とともにそれぞれの特徴が生まれます。
加賀友禅は落ち着きのある写実的な草花模様を中心とした絵画調が
主に描かれるようになりました。
これに対して、京友禅は
流麗な集合配列の模様を特徴としています。
その違いぶりは、加賀においては武家文化があり、京では公家文化という
それぞれの社会背景の違いによるものとして考えられています。
絵画調の柄を特徴とする加賀友禅は、その写実性を強めるために、
白上がりの線の強弱や、さらに線の太し細しの変化をつけることにより、
いっそうの装飾効果を高めています。
加賀友禅は「加賀五彩」とよばれる
臙脂・藍・黄土・草・古代紫の五色で構成をされています。
京友禅よりも沈んだ色調であることがその特徴です。
デザインはより写実的で、武家風の落ち着いた趣があり、刺繍や箔押しなどの
技法は使わずに、ぼかし」や「虫食い」などの表現でアクセントをつけています。
ぼかしの方法も、京友禅が内側から外に向かってぼかしているのに対し、
加賀友禅は、外側から内側に向かってぼかします。
これが噂の、加賀友禅か。
こんな趣味がお前に・・・と思う暇もなく、レイコが店の中に消えてしまいました。
(おい、お前、大胆な原色のアロハのままだぞ・・)
店内は、充分すぎるほどの冷房が効いていました。
入った瞬間からの、ほんのわずかな時間で、所狭しと飾られている、
加賀友禅の雅(みやび)さに、思わず圧倒をされてしまいました。
すべてが、太平絵巻の世界です。
店員と話しをしていたレイコは、案内をされるままに隣の部屋へ消えてしまいます。
美術館か資料館のように、四方に飾られている加賀友禅に見入っていたら
ほどなくして、小物を抱えたレイコが戻ってきました。
さっきまで沈んでいたレイコの目が、濡れたように潤んでいました。
レイコの瞳には、喜怒哀楽の気配が良く出ます。
嬉しい時のレイコがいつも見せる、幼子(おさなご)のような輝いている瞳です。
どうやらお目当てのものは、無事に見つかったようです。
会計を済ませ、丁寧に包装された商品を
大事に抱えてお店を出ると、緊張の糸が切れたかのように、レイコが、
私の肩へもたれてかかってきました。
肩へかかる重みに思わず、歩く速度を緩めました。
背中から腕をまわしてレイコ肩に手を置きました。
レイコも無言のままに私の腰へと、腕を回します。
二人が産まれて初めて、いままでにないほど密着をした瞬間でした。
車に戻ってからも会話はありません。
無理もありません。
車中一泊で群馬を出発してから、もう丸2日がたちました。
その間に、まともに眠れたのは昨夜の民宿だけで、それ以外は車の中で過ごし、
さらに炎天下の探し物で、レイコはずいぶんと歩きまわりました。
もう、疲れもピークのはずです。
やがてレイコが、静かな寝息をたてて、眠りへ落ちていきました。
大事に抱きしめていた小物のお土産を手元から取り、後尾座席に置いてから、
毛布を掻き寄せて胸元へかけてあげました。
反応してうすく目を開けたレイコが、今度は自分の頭の上まで毛布を引き上げます。
そのまま、また、深い眠りへ落ちて行きました。
・・・とりあえず、昨日来た国道を群馬に向かって
逆戻りをする形で走りだしました。
富山を通過したあたりで、もう陽がすっかりと落ちてしまいました。
漆黒の闇に変わり、どこかの小さな市街地を抜けてしまうと、
あとはどこまで走っても、路面を照らすヘッドライトだけの世界になってしまいました。
時折、対向車が来るものの、前にも後ろにもまったく車の姿はありません。
聞こえてくるものは、波とエンジン音だけになりました。
来るときも、こんなに静かだったかなぁ・・
通り過ぎる集落から次の集落までの距離が、途方もなく長いものに感じます。
すれ違う車も無く、人家も街灯も見当たらない、
闇に包まれた真っ暗な国道だけがどこまでも続きました。
最後はなんとなく、あっけないと思える幕切れでした・・・・
また夜通しを走って群馬まで帰るか、そう覚悟を決めて、
次の煙草に火をつけていた時です。
「もう、帰り道?」
レイ子が起きてきました。
「うん・・」 とだけ短く答えました。
レイコの指が伸びてきて、私の口元からくわえたばかりの煙草を抜き取ります。
「ごめんねあなたを、振り回しばっかりで・・」
一口だけ吸ってから、また私の口元に戻してきます。
「要るだろう、」と・・・胸ポケットから取り出した煙草の箱を、
助手席のレイコに手渡しました。
「ありがとう」レイコが両手でそれを受け止めます。
私の左手は煙草の箱ごと、温かいレイコの指先に包まれました。
いつまでたってもレイコは、指を離そうとしません。
前方を見る限り、道はどこまでもまっすぎに続きそうな気配がしています。
レイコに握られた左手は、しばらく放置することにしました。
「なんで上手くいかないんだろう・・・・私たちって。」
レイコが指を離しながら、
聞かせたくないほどの小さな声で、ぽつりとつぶやきます。
私も、聞こえなかったふりをして「何か言ったか?」と聞きなおします。
「べつに」
レイコも無造作に答えます。
車窓の暗い海面へ顔を向けたレイコが、目元をそっと拭いました。
「探し物が見つかって、良かったね。」
「ふと、思い出したんだ。
私のおばあちゃんが、お嫁入りのときに加賀友禅の着物で来たという話を。
ずいぶんと遠い昔のことで、たったひとつの想い出の品なのよ。
似たような絵柄の小物が、どうしても欲しかったの、
大好きなおばあちゃんへのプレゼントとして。
でもさ、それもあるけど、
本当は・・・
わたしとあなたが此処まで来たという記念が、
私は、どうしても欲しかった。」
「おばあちゃんへのお土産じゃなくて、
俺たちの、記念品と言う意味?」
「ううん・・・・ただの私の、こだわり。
まだ今のあなたには、なんの関係もありません。
あなたと正式に、お付き合い始めたという訳でもないし、
何か将来の約束をしたわけでもないんだもの。
今日は、ここまで来たぞっていう、私だけの記念が欲しかったの。
そういう意味しかない、それだけの買い物です。
・・・・たっぷり歩かせてしまって、ごめんなさい、
今日だけは、どうしても、自分が納得をするための買い物がしたかったの。
自分の気持ちが納得するまで、ずっとあなたと歩きたかったの、
買い物が終わったら、もう帰リ道が始まってしまうんだもの。
・・・・ごめんね、
私ったら、ずっとつまんない女のままで。」
「そんなことはないさ、レイコ。
お前っは、いい女だと思うよ、おれも。
そうだよなぁ・・・
俺たちはもう15年になるんだ。」
「15年かぁ。そうよね。
15年もかかったというのに、
一緒に二人だけで居られたのは、ずっと前に、東京へデモ行進に行った時と、
今回の能登と、この金沢だけだもの。
また、あっというまに過ぎちゃうのかしら、
私たちの時間。」
「やっぱりな・・・
やっぱり、何んかがあったんだろう、レイコ。
そんなに一人で頑張るなよ。
俺に、言えよ。力になる。」
「嫌。
絶対に、あんたにだけは、言わない。
でもさ・・・・その気持ちには、ありがとう。
だけどお願いだから、今はそれ以上は聞かないで。
ここまで連れて来てくれただけで、もう充分に感謝をしてる。
後は時間が解決をすると思うし。
大丈夫だょ、
本命でもなかったし、ただの遊びだもの・・・
保母の勉強も本気でやらなきゃいけない時期だしね、
めそめそしている場合じゃないもの。でも、本当にごめん。
あなたには、何もしてあげられなくて・・・。」
「こうしていられるだけで十分だよ」と、言おうとした矢先、
独り言のように、またレイコがポツンとつぶやきました。
「でもさぁ・・・・
たぶん、ず~うと上手くいかないと思うよ・・・
(なんですれ違ってばっかりいるんだろ、長い間・・・)
あたし達って。」
あっと、本音の自分に気がついて、短く声を出したレイコが、
思わずコホンとひとつ空咳をしました。
「眠くなったら言ってよね、そこで運転を変わるから・・」
「あいよ。」
と、こちらも素っ気なく答えてから、
ゆっくりともう一度、煙草の煙をはきだしました。
レイコも、新しい煙草に火をつけています。
深く・静かに吸い込まれた煙は、やがてゆっくりと紫色のたなびきとなって
車窓の景色に溶け込みながら、平行線を引いて消えて行きます。
お互いに、これから長い帰り道が始まることを、
確認しあっているような、そんな気もした、暗黙の仕草の交換でした。
(資料用の画像より・雅を誇る『加賀友禅』)
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/