落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (21) ブルートレイン「富士」号(前)

2012-05-24 08:53:48 | 現代小説
アイラブ桐生 第二部・第二章
(21)ブルートレイン「富士」号(前)
 『発車と別れのベル』


(東京と西鹿児島※現在の鹿児島中央駅※をむすぶ、日本最長の特急寝台「富士」号です)



 簡単な身の回り品だけを詰め込んだボストンバッグだけを持って、
百合絵と一緒に東京駅に着いたのは、午後5時半をすこし回った時刻です。



 「送る主役は、決してあんたじゃないのよ。
 美恵子と優子を見送ってあげるのが、今日の私の主な仕事です。
 二度と帰ってこないあんたなんか、ついでのついでだわよ・・・・ふん。
 まったくもっての、おまけそのものだわ」



 百合絵は、アパートを出た時から
そんなことばかりを(一人ごとのように)つぶやいています。
山の手線に乗り換えてからは、ひと駅停まるたびに目的の東京駅が近づきました。
そのたびに百合絵は、不機嫌ぶりをますます露骨に見せます。
東京駅へ着き、寝台特急のプラットホームへすすむ階段の下へ到着したところで、
これえきれずに、ついに百合絵が立ち止まってしまいます。



 右腕を、あっというまに強い力でつかまれました。
そのまま身体を預けてきた百合絵に、身体ごと強く押され、
二人はもつれあったまま、崩れるように通路の壁に張り付いてしまいました。
「5分だけでいいから、あなたとこうして居たい・・・・」
私の胸に頭をうずめた百合絵は、そのまま動かなくなってしまいました。
ようやくのことでこちらも体勢を立て直し、正面から百合絵を受け止める形が整いました。
背中に向かって両腕をまわし、しっかり抱きとめる体勢に変わると
ほっとした百合絵が、やがて全身から力を抜きはじめます。




 多くの人たちの目線を感じながらも、百合絵の温かい吐息を
胸にしっかりと受け止めて、時間と人びとの流れをやりすごすことにしました。



 「あリがとう群馬。もう行こうか・・・・私の気も済んだし、
 美恵子や優子も心配して待ってるから。」



 ようやく落ち着いたのか・・・・それから10分ほども経ってから、
百合絵が自分に言い聞かせるようにつぶややいて、ゆっくりと私から身体を離しました。




 美恵子と優子はすでに、ホームで待機中していました。
寝台特急「富士」号の東京駅出発は、30分後に迫った、18時40分の予定です。
九州の東海岸線を南下する日豊線を経由して、終着の西鹿児島駅への到着は、
翌日の19時35分の予定になっています。
「富士』号は総延長の1574㎞を、24時間以上かけて走る日本最長の寝台列車です。




 「ねぇ・・・・遅かったじゃぁないの? 」優子が百合絵にすり寄ります。

 「え?まだ30分も前でしょう。時間はたっぷりあるはずですが」

 「またぁ。とぼけて・・」 

 百合絵のまわりを一周しながら、「なんか別人の匂いがするなぁ・・」。

 見かねた、優子がやってきます。



 「いじめない、いじめない。
 群馬は極めて神士だもの、やましいことなんかしないわよ。
 すこしだけ、二人でお別れを惜しんだだけのことなのよ、きっと。
 たぶん。ねぇ・・・・百合絵 」

 「まぁ、そんなところかしら」



 百合絵はもう、それほど動じません。
寝台特急の「富士」号がその雄姿を見せて、ホームへ入線をしてきました。
待ちかまえていた人々で、ホームが瞬時にざわつきます。
乗車券片手に荷物を持った人たちが、それぞれ一斉に立ち上がります。
多くの視線がやがて乗客となる富士号の、きわめてゆっくりとした重厚なその
停車の様子を、固唾を呑んで見守り続けています。



 私たちが予約したB寝台は、3段ベッドの寝台です。
一番下のベッドが座席替わりとなっていて、これを3人掛けで使用することになります。
中段のベッドは座った頭の位置で、慨に畳み込まれていました。
とりあえず座席の下に荷物を置いて、
再び、百合絵が立ちつくしているホームへと舞い戻りました。





 「これでもう、ほんとの、お別れね 」




 うついたままの百合絵の目は、もうすでに涙ぐんでいます。
正直、もう東京に戻るつもりは私にはありません
自分の身体のどこかで、すでに都会への拒絶反応も出ています。
やはり私も、都会では暮らせないという、野性派の人間の一人のようです。
人一倍、さびしがり屋のくせに、どこかで人見知りするところも持っているのです。



 「大都会で暮らすためには、私の神経のどこかを麻痺させる必要がある。
 全部をそれこそ感度を良くしたままにしていたら、とても私自身がもたないもの。
 ここは、いつだって自己防衛で四苦八苦をしているだけの、緊張の町だもの、
 張りつめた毎日ばかりで、もう私の心と神経が持たないわ・・・・
 大学が終わったら、やっぱり私は暮らし慣れた、もとの田舎へ帰ると思う」



 昨夜、しんみりと語っていた百合絵の言葉です。
いつのまにか、私たちはぴったりと身体を寄り添い合っていました。
ガラス越しに此方を振り返った優子が、私たちに気がついて小さく手を振ると、
また、目線を反らせて背中を見せました。
必要のない荷物の整理をするそぶりなどを、わざと見せてくれています。



 「どこで暮らして生きていくかなんて、そんなことは誰にも分からない。
 それを見つけるために、俺は旅に出てきた。
 しかし、いまだに自分の本当の居場所が見えてこない。ままだ
 百合絵くらいに、絵を描く才能があれば別だけど、
 余り才能が無いもんなぁ・・・・俺には」




 発車間際の感傷からか、思わず、本音がこぼれてしまいました。



 「うん、あんたのデッサンは、本当に下手くそだもの。
 でも、あたしよりもましなものを、いくつも何処かにたくさんもっている。
 あたしは、ちっちゃいころから画を書くことだけが好きな少女だった。
 そのせいか、いつまでたっても、ろくな友達ができなかった。
 中学も高校も、もしかしたら大学までも、
 一人ぽっちのままかもしれないって、そう覚悟もして生きてきたの。
 幸いなことに、今は優子や美恵子がいるけどね。
 それに・・・・・・」




 と言いかけたところで、百合絵が後の言葉をのみこんでしまいました。
列車の窓際に居る優子と美恵子の視線をさけるようにして、くるりと背中を向けました。
柱の影に回り込んだ百合絵が、小さな声でつぶや続けます。




 「たったの半年だったけど、
 私はあんたと知り合えて、とても心の底から楽しかった。
 画にのめりこむことも大好きだけど、
 人を好きになるのは、
 もっと素晴らしいことだっていうことが、いまでは心底分かりました。
 感謝をたくさんしています。
 へたくそなあんたの絵だけど、あんたの絵にはわたしに無いのものがある。
 あんたはいつでも、どんな時でも、みんなの中に溶け込んでいるし、
 私の中へも入ってきてくれた。
 私は生まれて初めて、そういう人と出会いました。
 大学での勉強が終わったら、私は胸を張って田舎へ帰ります。
 いい恋してきたぞ~
 片思いだったけど、とってもいい恋をしてきたぞ~って・・・
 胸を張って、自信を持って田舎に帰りたいと思います。
 次に好きになる人のために、百合絵は、もっといい女にきっと生まれ変わります。
 ・・・・あんたに誓います。
 優しい気持ちを、たくさん私にありがとう。
 この宝物を大切に胸に抱いて、百合絵は絶対に、
 いい女に生まれ変わってみせるから・・・・」




 ありがとう・・
そう言いいながら百合絵が、ついに、私の胸の中で本気で泣き始めてしまいました。
ベルが鳴るまで・・・・ベルが鳴るまでといいながら。



 言うべき言葉はなにも見つからず、
私は、由梨絵の細い肩だけをしっかりと抱きしめていました。
やがて発車のベルが鳴り響き、人影がすっかりと消えてしまったホームで
私はいつのまにか、百合絵の温かくて、とても柔らかいその唇に初めて触れていました。



(昔懐かしい、キッチン列車の様子です)



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