落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (22) ブルートレイン「富士」(中)

2012-05-25 11:21:47 | 現代小説
(22)第2章 ブルートレイン「富士」(中)
 『百合絵の秘密』



 列車内では進行方向に向かって、沖縄行きの3人が横に並んで座りました。
向かい合った座席は、10代と思われる若いカップルです。
ただしこのカップルは、常に忙しく動き回っていてほとんど座席に姿を見せません。
ゆえに、この二人はつねに所在が不明です。
乗車の際に、荷物を座席にごちゃごちゃと放りだすように置いたまま、
さっさと居なくなって、時々、談話室や通路などで窓ガラスに背をつけて、
顔を寄せ仲良く立ち話を続けているのを、見かけました。




 寝台列車といっても、就寝時間以外は
一般の対座式の車両と同じようにように座席がセットされています。
そのために通常列車のように、座ったままで時間を過ごすことになります。
中段とななる2段目は、折りたたまれて頭の上に収納されていました。
最下段のベッドが、通常時の座席になります。
背もたれ部分には充分なクッションが有り、座席自体にも
通常よりもやわらかめで、快適といえる座り心地があります。
沖縄出身の優子は、この寝台車には乗りなれていました。




 「ブルートレインなんて、呼び方自体は格好いいけれど、
 2、3度も乗れば、国鉄ファンならいざしらず、すぐに飽きてしまいます。
 走っても、走っても、どこまで走っても
 それこそ飽きるほど走っても、結局、丸一日以上も同じ列車の中だもの・・
 同席した相手が、感じの悪い人だったりするともう、それだけで最悪になるわ。
 たったこれしかない空間に最大、大人が6人も詰め込まれるのよ。
 それこそ、逃げ場がないじゃないの。
 そりゃあ、群馬みたいに、
 とにかく、女性に優しい男ばっかりならいいけど、
 中には最悪なのもいるからね~」



 「わからないわよ、群馬だって。
 男はオオカミ、って言うもの。
 とりあえずは優しくしておいて、油断をさせ、
 すっかり安心をしたところで、突然パクリと食べちゃったりしてさ。
 赤ずきんちゃんのオオカミみたいに」



 「ごめんだね。君たちじゃ、頼まれても食べないよ」

 「悪かったわね!
 百合絵みたいなのが群馬のタイプでしょ。
 勝てないもんねぇ、百合絵には。
 スタイルはいいし、画はすこぶる上手いし・・
 なんで今まで、彼氏を作らなかったのだろう、百合絵は?」

 「知らないの、優子。
 有名な話よ、
 百合絵は、折り紙つきの男性恐怖症なんだって。」



 
 そんな話はまったくの初耳です。
えっとおもわず、こちらも聞きなおしてしまいました。
なんだ知らなかったの・・・・と、恵美子が私の顔をのぞき込んできました。
優子も興味深そうに、恵美子を口元を見つめています。



 「なんでも、中学生になりたての頃に
 男性が嫌いになるような、とってもいやな体験をしたんだって。
 詳しい事は言わなかったけれど、
 田舎でも、ずいぶんと評判になった事件だというから
 それ相当の体験だと、私は思う。
 いずれにしても、その突然の出来事がきっかけで、
 それ以降は、男性不審というか、
 男を見るだけで、もう全身から拒否症状が出るって言ってたわ。」



 「男性拒否症か。
 それに似た話なら、私も百合絵から聞いた覚えがある。
 確かに、それ以上の詳しいことは言わなかったけど、
 男性を受け付けない身体になっちゃったと、笑って話してくれたことが有る。
 あの美貌とスタイルなのに、なんでそんな皮肉なことになるんだろうと、
 思わず気の毒に感じたことが有る。
 綺麗過ぎるというだけで、思わぬ落とし穴が待っているかもしれないわね。
 とにかく頭はいいし、画もうまいし・・非の打ちどころが無いのに、
 なんでよりによってに、男性不審なんだろうねぇ。
 もったいない話だわよ」



 「最近の百合絵を見ていて、
 群馬とは、うまくいくような気配がしていたんだけど・・・・
 あんた。実は、百合絵をいじめなかったでしょうね!」



 すかさず、優子も切りこんできました。




 「そうよねぇ。
 ほとんでスッピンのまんまだった百合絵が、突然お化粧をはじめたし、
 ジーンズとTシャツが専門だった服装も、気が付いたら
 ちょこちょこと、小綺麗にお洒落を始めるんだもの、びっくりしたわ。
 スッピンでさえ私たちと同等なのに、
 お化粧までされたら、まるで別人でしょ。勝てないわよ・・・・
 男なんか受け付けない体質だったはずなのに、
 いつのまにか平気で、男とつき合えるように百合絵が変ったんだって、
 恵美子と二人で、びっくりしたし、喜んでもいたのに。
 あんたさぁ、本当に百合絵に、悪さなんかしていないでしょうね?」




 なにやら妙な雲行きになってきました・・・・
これ以上のコメントは避けて、煙草が吸いたくなってきたからと
あわてて立ち上がりました。
いぶかる二人を残したまま、逃げるように通路へ出ます。
大きな窓に寄り添うと、煙草に火を付け、思い切り深く煙を吸いこみました。
(やれやれ危ないところだった。まったくもっての危機一髪だ・・・)



 それにしても、
あらためて百合絵との一部始終が甦ってきました。
優子や恵美子の話を総合すれば、なんとなく頷けるような場面と、
いくつかの百合絵の躊躇の様子が、ひとつづつ思い出されてきました。

 発車間際の告白は、精いっぱいの百合絵の本音かもしれません。
しかしもうその百合絵とは、二度と再び会えないだろう、もうすでに私は思っています。
百合絵の哀しそうだった昨日と今日のあの眼差しが、陽が落ちた車窓の彼方に、
なぜか今頃になってから鮮明に浮かび上がってきました。

(きっとこんな気分のことを、人は感傷と呼ぶんだろうな・・・・)





 発車して2時間もたったころに、車内アナウンスが流れてきました。
やがて二人の係員が車両に姿を見せて、手際良く、寝台列車への模様変えをはじます。
追いだされた私たちは、通路側の大きな窓へ背中を押しつけたまま横一列に並びました。
係員が3段ベッドの寝台特急へ作り替えていく、手際のよいそうした作業の様子を
ただ、ぼんやりしながら眺めていました。



 さっきまで座って談笑していた場所が、最下段のベッドに変身をしました。
頭の位置にあったソファを手前側に引き落とすと、
軽く揺れた後、中段となる二段目のベッドもあらわれました。
立ちあがった頭の位置よりも、はるか上方の位置にある最上段のベッドは、
列車の構造物として、最初から設置されています。
昇降用の梯子が、それぞれに取り付けられます。
ひと枠ごとに遮蔽用のカーテンが張りめぐらされると、
寝台特急のB寝台、3段ベッドが完成をしました。



 時間を見計らったようにして、例の若いカップルが舞い戻ってきました。
とりあえず、中段のベッドへ、荷物のすべてを乱暴に投げ込んでいます。
どうするつもりだろうと興味を持って眺めていると、一番下のベッドへ
女性がまず、最初にするりと潜り込みました。
やがてパジャマに着替えた男性も、続いてするりと滑り込んでいきます。
呆気にとられている我々を尻目に、最下段のカーテンが
乱暴に、かつまた、しっかりと閉ざされてしまいました。
そのカーテン越しにまた、低いひそひそとした話の声だけが漏れてきます。



 不満顔で睨んでいる優子と恵美子をなだめながら、
われわれも出来上がったベッドに、それぞれ潜り込むことにしました。
私は寝相が悪いから、一番下に寝たいという優子にまず下段のベッドを譲りました。
じゃぁ、中段には、「かよわい私が」と言って
恵美子が中段に潜り込みます。



 「ねぇ、これでは、
 お座りもできないわ・・どうしましょう。」




 いきなり、中段のベッドで恵美子がベソをかきはじめました。
中を覗き込んで見ると横幅は、50センチほどの幅が有って、これならば大人が
横になるのには充分なようにも見えました。
しかし、恵美子が言うように、上下の間隔があまりありません。
確かにこれでは、背筋を伸ばして正座をすると、上のベッドに頭が当ってしまいます。
いくら小柄な恵美子といえども、ベッドの上での正座は確かに辛いようです。




 「じゃあ、上にする?」と、最上段を指さします。
「うん」と答えた恵美子が、ピンクのパジャマを抱えて、一気に梯子段を上ります。
パジャマには、(少女趣味ともいえる)可愛い花が沢山咲き乱れています。
美恵子を見送りながら、思わず微笑んでしまいました。



 「あれ、それってずいぶんと可愛い花がらだねぇ。
もしかして自分で書いたのかい?」笑いながら、恵美子を見上げていると、
足元からは、カーテンを開けて優子がひょっこりと顔を出します。



 「私だって負けていないわ。
 ほら、群馬、遠慮しないで・・・・見て御覧。
 とっても、透け透けのネグリジェよ。
 誰が見ても、これならば刺激的な新妻の姿そのものでしょう。
 ねぇ見てよ・・・・ほれ、群馬、見て、見て、見て頂戴」



 そう笑いながら、優子の目と指が、前方の若いカップルのベッドを指さしています。
向かい側のベッドでは、相変らず低い声でボソボソとしゃべる
カップルたちの、怪しそうで楽しそうな気配だけが漂い続けています。


 「悪い冗談はよせ、」




 軽く優子をたしなめてから、
私も着替えるために、真ん中のベッドにもぐり込みました。
今度は真上から恵美子の声がやってきました。




 「ねぇ群馬。
 私の頭の上にある天井は、すごく高い位置にあるの。
 でもね、足元のほうは、膝を立てると天井に当たりそうなほど、とても低いのよ。
 これって、あたしの足が長すぎるということなのかしら?
 それとも、天井の形に沿って窓側はただ低いということなのかしら?
 どうする、群馬。
 覗きに来てみる? もう一人の新婦の部屋へ・・」



 上にも下にも、もういい加減に寝ろと声をかけて、
とりあえず、目をつぶってしまいました。
こちら側のベッドでも、上下のひそひそ話は深夜おそくまで続いていたようです。
(本当に女というものは、おしゃべりすぎる生き物のようです・・)




 忘れたころに、寝台特急は深夜の駅に数分単位で停まります。
長い停車時間の時もあり、いずれも時間調整のために繰り返される停車です。
途中から、足元のほうに見える窓が気になりました。
外の様子が見たくなり、余り物音をたてないようにして態勢を変えることにしました。
カーテンの隙間から、暗い車窓を覗いてみましたが、
真っ暗過ぎて、どの辺を走っているのかまったく見当はつきません。




 街灯の点いた電柱が、あっという間に現れて、
瞬時のうちに、後方へと飛んでいくだけの光景がいつまでも続きました。
やがて真っ暗だった平原に、徐々に街灯などが増えてきました。
道路を行きかう車の台数も増えてきて、列車は光のあふれている
ネオンの海へ突入をはじめました。
眠りを忘れているような、大きな深夜の市街が近づいてきました。
到着したのは、午前0時を回った深夜の大都市・大阪駅です。



 反対側のホームには、たくさんの人の姿が見えます。
終電間際と思われる時間帯なのに、思いがけない大人数が列車の到着を待っていました。
この遅い時間まで働いている人たちが、都会にはいるんだ・・
いやいや・・・・よく見ると無残な酔っ払っいどもの姿もありました・・・・




 一転して、こちらのホームへ視線を戻します。
あちこちの大人たちに交じって、小学生らしい幼い姿が見えました。
深夜だというのに、ずいぶんと多くの小学生たちがいます・・・・
ホームでパタパタ動く列車時刻の表示板と、その隣にある時計の針は、
間違いなく、午前零時過ぎを示していました。


 今日は土曜日です。
次から次へと大阪駅を通過していく、上りと下りの寝台特急の雄姿を狙う、
(大人と子供たちによる)ブルートレインの熱烈なファン達でした。
中でも最長距離を走り抜けて西へ向かうこの寝台特急の『富士』号は
ブルートレインファンたちに、一番人気の被写体です。
近くにいた小学生が、構えたファインダ―を覗きながら愛想良く手を振っています。



 お~と、喜んでカーテンの隙間から、こちらも手を振り返します。
しかしどうもその小学生とは、視線がかみ合いません。
不思議に思って下を覗いてみると
見覚えのある頭がふたつ、仲良く並んで小学生に手を振っています。
少女趣味の花柄のパジャマと、超透け透けのネグリジェです。


 「おまえらレズか・・・」



 この時代、最長距離を走るこの「富士」号は、
上り下りともに子供たちにとっては、一番人気のブルートレインでした。
しかしこの場面に遭遇をしてですら、私はそのことをまったく理解していませんでした。




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