アイラブ桐生
(24)第2章 船旅は、木の葉のように(前)
『優子の膝枕』
(桜島を背景に出航をしていくフェリー)
朝の9時近くになってようやく、二日酔いの頭で起きだしました。
優子と恵美子たちも遅い時間に起きたようですが、すでに身支度を整えて、
いつでも出発できる体勢でロビーでくつろいでいます。
鹿児島港、南埠頭ターミナルにあるコインロッカーに荷物を預けてから、
乗船開始までの時間を使って、少し市内を観光しょうということになりました。
できるだけ桜島が綺麗に見える場所を見つけましょうと言うことで、
地元の人に声をかけて、教えてもらうことにしました。
甲突川にかかっている『5つの石橋』は価値のある文化遺跡なので
それを見学しながら、ゆっくりと散策してきてはどうだとすすめられました。
埠頭から北へ歩くこの海沿いの道からは、振り返れば錦江湾越しに、
常に桜島を見ることができました。
さらに海に沿って北へ歩くと、やがて目的の川に突き当たりました。
この川沿いをさかのぼれば鹿児島の『おらが自慢の5つの石橋』を見ることができます。
そこまで行って来いという地元の意見に従い、足を伸ばすことに決めました。
乗船までの、暇つぶしにはうってつけです。
美女二の人に両脇を固められて、温かい春の日差しの中、
河に沿ってさらに歩き始めました。
美恵子の沖縄行きは、
「全青連」(全国青年団連合会)という組織の海外派遣事業のひとつです
当時の青年たちの代表的な組織としては、農業後継青年たちの「4Hクラブ」と、
一般的な男女の交流の場としての「青年団」がありました。
地域社会そのものが、
しっかりとした上下関係と共に、綿密な横のつながりを持っていた時代です。
娯楽の少ない時代に、多くの青年たちがこの「地域青年団」へ参加しました。
趣味のサークル活動などを中心に、たくさんの親睦行事を通じて
地元の男女たちが交流を深めました。
男女の出会いの場としての役割はきわめて強く、多くのカップルが
ここでの活動を通じて誕生しました。
「全青連」とは、それらの地域青年団の頂点にたつ全国組織のことです。
沖縄への派遣事業といっても、
派遣自体に補助金はなく、すべてが自己負担による自主参加です。
沖縄返還運動のひとつとして、終戦直後から引き継がれてきた事業の一つです。
全国各地から沖縄へ集結をして、沖縄各地の青年団や地域の人たちと
交流と親睦を深めるのがその主な目的です。
現地集合と現地解散・・それもまた大原則です。
団体旅行の形で乗り込まないのは、施政権返還前の植民地的支配の実態を
個人個人で、肌で感じてもらうための配慮です。
今の沖縄が置かれている現実は、まさに未来の日本の現実そのものだからと、
恵美子と優子が立ち停まって力説を始めました・・・・
両サイドから、美女の熱い視線に挟まれてしまいました。
「おいおい、
昨夜は寝まきの一件で振り回しておいて
酒が抜けないうちに、今度は政治の話で猛プッシュかい・・・
頼むよ、あまり俺を翻弄しないでくれ。」
午後6時ちょうどに、連絡船のタラップが外されました。
桟橋と船のデッキを繋いでいた紙テープが切れて、定番の蛍の光が流れてくると
なんだか寂しい気持ちがこみあげてくるから不思議です。
フェリーの全長は、およそ50メートルほどありました。
2000トンクラスで、充分な大きさのように思えましたが、それもつかの間で
やがて外洋では、木の葉のような存在になってしまいます。
しかし、この内海では別でした。
桜島を左に眺めるながら進むこの錦江湾内ではまだこの船は、
海面を滑るようにして、力強く前進をしました。
3人そろって、とりあえず船尾ちかくの甲板に陣取りました。
夕焼け色に染まる西の空と、遠去かる桜島をしばらく眺めることにしました。
夕闇と競争するような形で船は、鹿児島湾をひたすら南下します。
右に指宿と開聞岳、左側の前方に佐多岬の突端が見えてくると
その先はもう外洋です。
見る間に、黒々とした東シナ海が迫ってきます。
航路は飛び石のように続く島々を、いくつもめぐりながら沖縄をめざします。
種子島、奄美大島、徳之島、沖永良部島の間を縫うように進み
さらに与論島を南下して、(目的地のひとつ)沖縄本島の本部港へ寄り、
最終地点の那覇港までの外洋を、ひたすら南下を続けます。
ほぼ一昼夜にわたる、こちらも長い船旅です。
船室へ降りると、そこには只だだっぴろいだけの空間がひろがっています。
ところどころに巨大な支柱がそびえていますが、
それが見えなければ、どこかの旅館の大広間のような雰囲気がありました。
真ん中を走る通路以外は 畳が敷き詰められています。
二等船室は、特に場所を指定されているわけではなく、棚に積んである寝具と
枕を取り出して、好き勝手に陣取って横たわることができました。
そんなものかと思い、
寝具を抱えて最奥の壁際に居場所を決めました。
遅れて降りてきた恵美子と優子も、至近距離へやって来ました。
綺麗にふたつの毛布を並べて敷くと、その枕もとには『淑女のたしなみ』
などと言いながらせっせと、手荷物などを並べながら
『バリケード』を築いています・・・・
「ねぇ、群馬。
起きていてもいいけれど、
前の壁ばかりを見続けていると、あとで大変なことになるわよ。
ビールでも呑んで寝ちゃったほうが正解だと思うけど・・・・
知らないわよ。
そんな風に壁になんかもたれていると
今はいいけど、
あとで大変だから~」
上着を脱いだ美女二人は、
毛布の上に向かい合うと、早くも缶ビールの栓を抜き、
『かんぱあ~い』などと、黄色い気勢を上げはじめました。
ざっと見まわして七~八〇畳ほどの船室に、
多めに見ても、二〇人ほどの乗客しか見えません。
私たちが陣取った奥まった空間には
通路を挟んだ反対側に、中年の夫婦らしい一組と、
良く日に焼けた若者が一人横になっているだけで、あとはがらんとした
空間ばかりが広がっています。
早々と宴会を終えた美女二人は、仲良くひとつの毛布に潜り込みます。
やがて見事なまでに静かな寝息を立てて、二人とも眠りに落ちていきました。
船室の時計を見ると、まだ出航してから三時間余りで、
午後九時を少し回ったところを指しています。
話し相手が居なくなったために、所在が無くなり膝をかかえました。
正面の壁に賭けられているハンガ―の洋服たちを、何気なく
ただぼんやりと、見つめ始めてしまいました。
しかし、これが優子のいう大誤算です。
壁に吊るされた洋服たちが、やがて大きく、左右へ揺れ始めました。
横方向の揺ればかりでなく、座っていてもそれと分かるほどに、
今度は前後の方向へ、大きな揺れがやってきます。
それは、大きな波を乗り越える時に発生するもので、
急角度に天井方向へ向かって上昇をはじめたかと思えば、今度は一転して
谷底へ向かって延々と落ちこんでいきます。
左右に揺れたうえに、前後にもあおられて、さらには斜め方向への
ローリングなども加わりました。
外洋を走る、船独特の揺れでした。
気分が悪くなってきたために、甲板へ出ようとして無理に立ち上がります。
しかし、さらにこれが致命傷になりました。
甲板から見おろす海は、どこまでも真黒です。
夜空も同じく真っ黒なために、海との境界線がかろうじて分かるのは
見え隠れを繰り返す星たちの存在だけです。
ついさっき乗船をした時に、安心感を持って意外に大きいと感じた
2000トンあまりのこの連絡船は、外洋へ出たとたんに、
まるで、木の葉の船のようになってしまいました。
進行方向の目の前に、またしても巨大なうねりが迫ってきました。
船はその波を乗り越える前に、まずは海底へ向かってまっさかさまに落ちます。
底にまで到着した船は、今度は船首一気にをあげて、
星空めがけての急上昇をはじめます。
登りきった瞬間には、もうその前方に、次の巨大なうねりが、
連絡船を待ちうけていました。
「馬鹿だなぁ、
甲板なんかに出たら、もっと悪い状態になっちゃうのに。
おいで群馬、こっちだよ・・」
心配して私を探しにやって来た優子に手を引かれ、
さらに階段をあがり、ほぼ船の中心部にあたる最上部の甲板へ出ました。
「頑張ってね、ほら、こっち」
ベンチに腰かけた優子が手招きをしています。
「ここに横になって。
そのまんま、上だけを見るんだよ。
首筋は楽にして、
なるべく、ゆっくりと呼吸をするんだよ。
船酔いには、無駄な抵抗は禁物なの。
肩の力も抜いて、リラックスをして頂戴。
船酔いは、通り過ぎるのを自然に待つの・・・・
おいで、ここ」
優子が半分照れながら、
自分の太ももをしめして、枕代わりに使えと言っています。
ベンチに横になり、頭を優子の膝に載せました。
潮風の中に、優子の甘い香りがしました。
「残念だなぁ、群馬。
わたしも、まんざらではない気分なんだけど、
そのうちに、きっと恵美子もやってくる。
あっちの方も、だいぶ辛そうだったから
潮風に当ったら気分もまぎれると、、
此処に登って来る前に、誘っておいたから
もうそろそろ、美恵子が邪魔をしに来るかもしれないね」
なるほど、いわれるまでもなく、
下の甲板のほうから、優子を探す恵美子の細い声が聞こえました。
「優しいんだね、優子は・・・」
「あなたもそうだけど、恵美子も、
沖縄が今置かれている現実を、
内地の人たちに伝えてくれる大切な友人だもの。
これくらいなら、お安いご用だわ。
それに、戦士は傷ついたままでは戦えないし、
百合絵の件でも、ずいぶん世話をやいてもらったし・・・・
百合絵はねぇ、わたしたちには大切な姉貴がわりなの。
私もずいぶんと面倒をみてもらっているし。
群馬・・・・
ここだけのはなしだよ。
もしかしたら、百合絵の病気が治って、群馬となら上手くいくと
大いに期待をしていたんだ、私たち。
まぁ、これは、
お礼代わりの、百合絵のひざまくらかなぁ 」
そうか・・と思いつつ
南十字星はどの辺に見えるのだろうと、
額にそっと置かれた優子の暖かい手に、心から感謝しながらも、
目は勝手に、そのあたりの夜空を探していました。
■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
http://saradakann.xsrv.jp/
(24)第2章 船旅は、木の葉のように(前)
『優子の膝枕』
(桜島を背景に出航をしていくフェリー)
朝の9時近くになってようやく、二日酔いの頭で起きだしました。
優子と恵美子たちも遅い時間に起きたようですが、すでに身支度を整えて、
いつでも出発できる体勢でロビーでくつろいでいます。
鹿児島港、南埠頭ターミナルにあるコインロッカーに荷物を預けてから、
乗船開始までの時間を使って、少し市内を観光しょうということになりました。
できるだけ桜島が綺麗に見える場所を見つけましょうと言うことで、
地元の人に声をかけて、教えてもらうことにしました。
甲突川にかかっている『5つの石橋』は価値のある文化遺跡なので
それを見学しながら、ゆっくりと散策してきてはどうだとすすめられました。
埠頭から北へ歩くこの海沿いの道からは、振り返れば錦江湾越しに、
常に桜島を見ることができました。
さらに海に沿って北へ歩くと、やがて目的の川に突き当たりました。
この川沿いをさかのぼれば鹿児島の『おらが自慢の5つの石橋』を見ることができます。
そこまで行って来いという地元の意見に従い、足を伸ばすことに決めました。
乗船までの、暇つぶしにはうってつけです。
美女二の人に両脇を固められて、温かい春の日差しの中、
河に沿ってさらに歩き始めました。
美恵子の沖縄行きは、
「全青連」(全国青年団連合会)という組織の海外派遣事業のひとつです
当時の青年たちの代表的な組織としては、農業後継青年たちの「4Hクラブ」と、
一般的な男女の交流の場としての「青年団」がありました。
地域社会そのものが、
しっかりとした上下関係と共に、綿密な横のつながりを持っていた時代です。
娯楽の少ない時代に、多くの青年たちがこの「地域青年団」へ参加しました。
趣味のサークル活動などを中心に、たくさんの親睦行事を通じて
地元の男女たちが交流を深めました。
男女の出会いの場としての役割はきわめて強く、多くのカップルが
ここでの活動を通じて誕生しました。
「全青連」とは、それらの地域青年団の頂点にたつ全国組織のことです。
沖縄への派遣事業といっても、
派遣自体に補助金はなく、すべてが自己負担による自主参加です。
沖縄返還運動のひとつとして、終戦直後から引き継がれてきた事業の一つです。
全国各地から沖縄へ集結をして、沖縄各地の青年団や地域の人たちと
交流と親睦を深めるのがその主な目的です。
現地集合と現地解散・・それもまた大原則です。
団体旅行の形で乗り込まないのは、施政権返還前の植民地的支配の実態を
個人個人で、肌で感じてもらうための配慮です。
今の沖縄が置かれている現実は、まさに未来の日本の現実そのものだからと、
恵美子と優子が立ち停まって力説を始めました・・・・
両サイドから、美女の熱い視線に挟まれてしまいました。
「おいおい、
昨夜は寝まきの一件で振り回しておいて
酒が抜けないうちに、今度は政治の話で猛プッシュかい・・・
頼むよ、あまり俺を翻弄しないでくれ。」
午後6時ちょうどに、連絡船のタラップが外されました。
桟橋と船のデッキを繋いでいた紙テープが切れて、定番の蛍の光が流れてくると
なんだか寂しい気持ちがこみあげてくるから不思議です。
フェリーの全長は、およそ50メートルほどありました。
2000トンクラスで、充分な大きさのように思えましたが、それもつかの間で
やがて外洋では、木の葉のような存在になってしまいます。
しかし、この内海では別でした。
桜島を左に眺めるながら進むこの錦江湾内ではまだこの船は、
海面を滑るようにして、力強く前進をしました。
3人そろって、とりあえず船尾ちかくの甲板に陣取りました。
夕焼け色に染まる西の空と、遠去かる桜島をしばらく眺めることにしました。
夕闇と競争するような形で船は、鹿児島湾をひたすら南下します。
右に指宿と開聞岳、左側の前方に佐多岬の突端が見えてくると
その先はもう外洋です。
見る間に、黒々とした東シナ海が迫ってきます。
航路は飛び石のように続く島々を、いくつもめぐりながら沖縄をめざします。
種子島、奄美大島、徳之島、沖永良部島の間を縫うように進み
さらに与論島を南下して、(目的地のひとつ)沖縄本島の本部港へ寄り、
最終地点の那覇港までの外洋を、ひたすら南下を続けます。
ほぼ一昼夜にわたる、こちらも長い船旅です。
船室へ降りると、そこには只だだっぴろいだけの空間がひろがっています。
ところどころに巨大な支柱がそびえていますが、
それが見えなければ、どこかの旅館の大広間のような雰囲気がありました。
真ん中を走る通路以外は 畳が敷き詰められています。
二等船室は、特に場所を指定されているわけではなく、棚に積んである寝具と
枕を取り出して、好き勝手に陣取って横たわることができました。
そんなものかと思い、
寝具を抱えて最奥の壁際に居場所を決めました。
遅れて降りてきた恵美子と優子も、至近距離へやって来ました。
綺麗にふたつの毛布を並べて敷くと、その枕もとには『淑女のたしなみ』
などと言いながらせっせと、手荷物などを並べながら
『バリケード』を築いています・・・・
「ねぇ、群馬。
起きていてもいいけれど、
前の壁ばかりを見続けていると、あとで大変なことになるわよ。
ビールでも呑んで寝ちゃったほうが正解だと思うけど・・・・
知らないわよ。
そんな風に壁になんかもたれていると
今はいいけど、
あとで大変だから~」
上着を脱いだ美女二人は、
毛布の上に向かい合うと、早くも缶ビールの栓を抜き、
『かんぱあ~い』などと、黄色い気勢を上げはじめました。
ざっと見まわして七~八〇畳ほどの船室に、
多めに見ても、二〇人ほどの乗客しか見えません。
私たちが陣取った奥まった空間には
通路を挟んだ反対側に、中年の夫婦らしい一組と、
良く日に焼けた若者が一人横になっているだけで、あとはがらんとした
空間ばかりが広がっています。
早々と宴会を終えた美女二人は、仲良くひとつの毛布に潜り込みます。
やがて見事なまでに静かな寝息を立てて、二人とも眠りに落ちていきました。
船室の時計を見ると、まだ出航してから三時間余りで、
午後九時を少し回ったところを指しています。
話し相手が居なくなったために、所在が無くなり膝をかかえました。
正面の壁に賭けられているハンガ―の洋服たちを、何気なく
ただぼんやりと、見つめ始めてしまいました。
しかし、これが優子のいう大誤算です。
壁に吊るされた洋服たちが、やがて大きく、左右へ揺れ始めました。
横方向の揺ればかりでなく、座っていてもそれと分かるほどに、
今度は前後の方向へ、大きな揺れがやってきます。
それは、大きな波を乗り越える時に発生するもので、
急角度に天井方向へ向かって上昇をはじめたかと思えば、今度は一転して
谷底へ向かって延々と落ちこんでいきます。
左右に揺れたうえに、前後にもあおられて、さらには斜め方向への
ローリングなども加わりました。
外洋を走る、船独特の揺れでした。
気分が悪くなってきたために、甲板へ出ようとして無理に立ち上がります。
しかし、さらにこれが致命傷になりました。
甲板から見おろす海は、どこまでも真黒です。
夜空も同じく真っ黒なために、海との境界線がかろうじて分かるのは
見え隠れを繰り返す星たちの存在だけです。
ついさっき乗船をした時に、安心感を持って意外に大きいと感じた
2000トンあまりのこの連絡船は、外洋へ出たとたんに、
まるで、木の葉の船のようになってしまいました。
進行方向の目の前に、またしても巨大なうねりが迫ってきました。
船はその波を乗り越える前に、まずは海底へ向かってまっさかさまに落ちます。
底にまで到着した船は、今度は船首一気にをあげて、
星空めがけての急上昇をはじめます。
登りきった瞬間には、もうその前方に、次の巨大なうねりが、
連絡船を待ちうけていました。
「馬鹿だなぁ、
甲板なんかに出たら、もっと悪い状態になっちゃうのに。
おいで群馬、こっちだよ・・」
心配して私を探しにやって来た優子に手を引かれ、
さらに階段をあがり、ほぼ船の中心部にあたる最上部の甲板へ出ました。
「頑張ってね、ほら、こっち」
ベンチに腰かけた優子が手招きをしています。
「ここに横になって。
そのまんま、上だけを見るんだよ。
首筋は楽にして、
なるべく、ゆっくりと呼吸をするんだよ。
船酔いには、無駄な抵抗は禁物なの。
肩の力も抜いて、リラックスをして頂戴。
船酔いは、通り過ぎるのを自然に待つの・・・・
おいで、ここ」
優子が半分照れながら、
自分の太ももをしめして、枕代わりに使えと言っています。
ベンチに横になり、頭を優子の膝に載せました。
潮風の中に、優子の甘い香りがしました。
「残念だなぁ、群馬。
わたしも、まんざらではない気分なんだけど、
そのうちに、きっと恵美子もやってくる。
あっちの方も、だいぶ辛そうだったから
潮風に当ったら気分もまぎれると、、
此処に登って来る前に、誘っておいたから
もうそろそろ、美恵子が邪魔をしに来るかもしれないね」
なるほど、いわれるまでもなく、
下の甲板のほうから、優子を探す恵美子の細い声が聞こえました。
「優しいんだね、優子は・・・」
「あなたもそうだけど、恵美子も、
沖縄が今置かれている現実を、
内地の人たちに伝えてくれる大切な友人だもの。
これくらいなら、お安いご用だわ。
それに、戦士は傷ついたままでは戦えないし、
百合絵の件でも、ずいぶん世話をやいてもらったし・・・・
百合絵はねぇ、わたしたちには大切な姉貴がわりなの。
私もずいぶんと面倒をみてもらっているし。
群馬・・・・
ここだけのはなしだよ。
もしかしたら、百合絵の病気が治って、群馬となら上手くいくと
大いに期待をしていたんだ、私たち。
まぁ、これは、
お礼代わりの、百合絵のひざまくらかなぁ 」
そうか・・と思いつつ
南十字星はどの辺に見えるのだろうと、
額にそっと置かれた優子の暖かい手に、心から感謝しながらも、
目は勝手に、そのあたりの夜空を探していました。
■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
http://saradakann.xsrv.jp/