落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ・桐生 (13) 輪島から兼六園へ(その5)

2012-05-16 08:53:53 | 現代小説
アイラブ・桐生
(13) 第三章 輪島から兼六園へ(その5)前半


(桐生の山間部。少しの棚田のある風景)



 レイコと出会い、祭りの夜にドライブに出てから、
3日目の夜明けを迎えたのは、群馬と長野の県境にある碓氷峠の手前です。
糸魚川の付近で運転を変わってくれたレイコが
どうせならと選択した帰り道は、山越えが続く信越からのルートです。


 上越市から、国道18号を南下して、妙高高原の山脈を越え、
長野市、上田市と経由をして県境にある避暑地の軽井沢まで走り抜けてきました。
(現在の、上信越高速と同じルートにあたります)
もちろん、深夜のためにどこまで行っても何ひとつ見えないという、
ただの真っ暗闇の道路です。




 もうすこしで群馬県との県境 、というところでレイコが車を止めました。
さすがに疲労の色は隠せません。
「すこし、寝る」と、今度は自分から後部座席をかたずけて、
毛布を抱えこむと顔までかけて、そのままコロンと横になってしまいました。
「川内の実家まで、お願いネ」と、眠りに落ちる前に、忘れずに
そうひとことだけを言い残します。
その後はあっというまに、深い眠りに落ちていきました。

  注)川内というのは、桐生市内の地名のひとつで、
    市内の西北部にある、人口の少ない山間の地名のことです。




 「なんで・・・川内へ?」

 レイコがいま住んでいるのは、市街地の山の手です。
川内にあるのはレイコの母方の実家で、今明治生まれのお婆ちゃんが
たった一人で暮らしています。なんでわざわざ、そこに行くのでしょうか・・・
聞こうにも、もうレイコは静かな寝息をたたて深い眠りの中です。



 碓氷峠は、昔から難所をほこる峠のひとつです。
いまでこそ迂回のバイパスが完成をしていて、快適に峠を越すことができますが
当時はまだ道幅はきわめて狭い上に、勾配はすこぶるきつく、
右に左にと、やたらと曲がりくねっていました。
できることならば、ここだけは走りたくないと思う、そんな峠道の代表格でした。
この県境から桐生までは、やく2時間半ほどかかります。
桐生に到着するまでは関東平野の起点である赤城山を北に見て、県境ふきんまでの
平たん地をひたすら東を目指して、群馬県を横切っていきます。


 三方を山に囲まれている桐生市は、
市内への入口を足尾から流れてくる渡良瀬川が、西から東南部へと流れています。
この渡良瀬川を渡ると、すぐに市内と山間地への分岐点がやってきます。
直進をすればそのままレイコの自宅ですが、母方のの実家のある川内へいくためには、
ここを左折してから、さらに山間の細い路をダラダラと登らなければなりません。



 舗装の道路は、どこまでもつづいていきますが
山との距離が近づくにつれて、道幅も徐々に狭く変わってきます。
市内循環バスが折り返す最終のバス停を過ぎてしまうと、道路がついに砂利道に変わりました。
関東平野のほとんどを眺望できる高嶺のひとつ、鳴神(なるかみ)山への
登山道をかねた道に変わりましたが、ここは同時にいくつか点在をしている
集落たちををつないでいる唯一の生活道路でもあるのです。




 道がさらに狭くなり、勾配がきつめに変わってくると道路のすぐ脇には、
今は、水も涸れてわずかに流れる沢が登場をしてきます。
この沢は、このまま登山口まで寄り添うように続いていきます。
その登山口のすぐ手前に一軒だけ残った家があり、それがレイコのおふくろさんの
おばあちゃんが、今でも一人で暮らし続けている実家です。



 子供の頃、夏休みに入るとよく遊びに連れてきてもらった覚えが有ります。
市内からは、最も手軽で一番近い避暑地です。
レイコをはじめ、近隣に住んでいた初恋のお相手、M子も一緒でした。
昔の情景をそのままに、沢に点在するあちこちの岩場には、
幼いころの思い出が、いまだにたっぷりとしみ込んでいる様な気がします。
遊び場というよりも、幼いころから馴染んで親しんだ庭同然ともいえる、
すこぶる懐かしすぎる、あの日のままの風景です。


 切り立った急斜面にしがみつくようにして建つ、茅葺の屋敷が見えてきました。
おばあちゃんの住むレイコの実家です。
沢に沿って石垣を積み、上下に仕切られた大小二つの池が、今日も出迎えてくれます。
この2つの池には、いつでもヤマメが、時計回りに黒い群れをなして泳いでいます。
渓流での魚釣りが大好きだったという、おじいさんが丹精をこめて
作りあげた、きわめて自慢の池です。




 「おばあちゃん、
 お風呂に入りた~い。
 此処から見る、沢の様子は最高だもの!。」



 挨拶の前だというのに開口一番、もうレイコのおねだりが始まりました。
よく来たねェ、といいながら立ち上がったおばあちゃんは、
慣れた様子で裏手に回ると、もうお風呂の炊きつけなどを始めました。
手なれた様子からみると、レイコのお風呂のおねだりは
ここでは、よくあるお願い事のひとつかもしれません。


 よく来たねぇ。ゆっくりしていきなされ・・・



 我儘なレイコの面倒を見るのは大変でしょう。
面倒をかけると思いますが、あれも私の娘に似てどこか引っ込み思案で
自分の言いたい事や表現がとても、下手な娘です。
それでも生まれつき性根はいい娘ですので、飽きずに遊んでやってください、と
おばあちゃんが、笑いながら沢水で冷やしたというムギ茶を注いでくれています。




  「そういえばM子ちゃんはどうしています。お元気ですか。
 しばらくご無沙汰をしていますが、
 あの子も優しくて実に気のきく、器量よしのいい子です。
 もう皆さんとも久しくお会いしていませんねぇ。
 中学生の頃が最後でしょうかねぇ・・・
 懐かしいですねぇ、あのころが。
 みなさんで遊びに見えていたのも、ついこの間のような気がしますが。」

 
 と、目を細めて、わらっています。


 「おばあちゃ~ん、
 沢でビールを冷やしておいて~
 途中で買ってきたから・・・
 お~い、相棒! 一緒に、入るかい~」

 お風呂場からレイコの遠慮をしない、きわめて大きな声が突然響いてきました。




 結局、また泊まることになってしまいました。
レイコの思惑どうり、シャツ3枚を使いきる見事な展開になってしまいました。
囲炉裏を囲んだ夕食がすむと、おばあちゃんは
「二人で、ゆっくりしていきなさい。」と一声かけて早々に、
一番奥の寝室へきえてしまいました。


 市内から標高にして200mほど登ったこの山間地は、
山々に取り囲まれているために、真夏になっても日の陰りはすこぶる早いようです。
6時を過ぎると頭上の空にはまだ、青空を残したままだというのに、
早々と西の峰のむこう側へ、真夏の太陽が急激に隠れていってしまいます。
明るい空を残したままの渓谷には、谷に沿って日影が黒々と伸びて来て、
やがて静かに夕闇の帳(とばり)までが、カーテンでも引くようにおりてきます。



 浴衣に着替えたレイコが、缶ビールを片手に、
沢が見降ろせる縁側へ出てきました。


 「鳴神山からの清流だもの。
 下手な冷蔵庫より、よく冷えているわ。
 あなたの分ももってきたから、此処で飲みましょう。

 来て。」

 呼ばれたままレイコの隣へ、1mほど間を置いて腰をおろしました。
それを見たレイコが、即座に横滑りをしてきます。
レイコの洗いたての髪からは、シャンプーのいい香りが漂よってきました。
軽く触れてくる素肌の浴衣越しには、肌の心地よいほてりさえ感じます。


 
 「おまえ・・・(少し近すぎて)大胆すぎるだろう。」


 「なんでさぁ。
 おばあちゃんはもう寝ちゃったし、
 こんな時間に、こんな山奥にまで人が登ってくる訳もないもの。
 こうして、ここにいるのは、もう私たちの二人だけなのよ。
 仲良く並んで座っているだけなのに・・・・
 それとも近すぎるの?
 こうして私が近くに座ると、あなたは、迷惑をするわけ」


 返事に窮してしまいました。
見透かしたように、レイコが柔らかく団扇(うちわ)を使い始めました。
夕暮れの涼しい空気に混じって、団扇の風に乗せられたレイコの香りが
また、私の鼻をくすぐりにやってきます。
(こいつ、挑発するつもりだな。悪女の素質を充分に持っている・・・・)



 目の前に造られた上下2段の池に、蛍が集まり始めました。
もうそんな時間になるのかと空を見上げると、もうすっかりと暮れていて、
いつのまにか、たくさんの星が輝やき始めていました。
市内ではめったに見ることができない、天の川の大きな光の帯が、
きわめて綺麗に、私の頭の上でまたたいています。
 

 レイコが、さっきよりも近寄ったような気配がした一瞬、
急に渓谷に風が吹いてきて、集まりかけていた蛍たちが、花弁が風に舞うように
一斉に四方へ散りかけてしまいました。





 「もう少ししたら・・蛍また戻ってくる。
 ・・・でもさぁ、出ていく人はいいけれど
 待たされている立場の人たちには、耐えきれない哀しみがたくさんある。
 あんたは、いつも結論が出る前に居なくなっちゃうし、
 何を考えているのか、まったくつかみどころもないままだ。
 誠実なタイプだととは思うけど、
 やっていること自体が、勝手気ままで自由奔放すぎるんだもの。
 高校生の頃のM子が、寂しすぎて、どうにもならないまま、
 年がら年中泣いていた気持ちが、今なら私にも、きわめて良くわかる。」



 縁側から立ちあがったレイコが
蛍が散ってしまった池の先端まで歩いて行きます。
呼吸を溜めながら、次にいうべき言葉を前にして、少しの間だけの躊躇をみせています。



 利き手の左手を口元にを当てたまま・・・・
その視線は、暗闇で何も見えないはずの、静かな池の水面を見つめています。
団扇だけが左右にひらひらと動いていましたが、それも段々とリズムが壊れはじめました。
やがて団扇が、レイコの胸元でぴたりとひきつけられて、止まりました。
あきらめをつけたのか、顔を上げたレイコがまっすぐな視線だけを私に向けてきます。



 「あんたは、いまでもまだ、画がやりたいんでしょう。」

 レイコの声が乾いています。




 レイコが言い当てた通り、私はまだ画に、こだわりきっていました。
「絵を描く仕事に就きたい」
それは長年かけても所詮は果たせない夢だとあきらめて、
別の道を歩き始めたと言うのに、いまだに未練だけは、どこかにたっぷりと残していました。
しかしレイコには、そんな私のそぶりを見せた覚えも告げた記憶もありません。
どうしてそんなことまで知ってるの、と聞こうとしたら
レイコの方が先に口をひらきました。



 「行けば。
 行かなければ、あんたは、一生を通してきっと後悔をすることになると思う。
 本当は、私が泣いてでも止めるべきなんだろうけど
 それじゃあ、あなたが辛くなる。
 私も、たぶん、そのことでずっと後悔をしそうな気もする。
 寂しくなるのは解っていても、今は、見送る事しか出来ないととっくに決めました。
 何でさぁ、あんたは、なりたくもない板前の修業なんかをしているの。
 あんたがどうしてもやりたかった仕事は、機織りの図案師の仕事でしょ。
 絵を描くことが、あんたの人生になるはずだったのに。
 繊維産業が落ち目になってしまった今の桐生では、
 どうあがいたって、もう、あんたの仕事場なんか残っていないんだもの、
 しょうが無いわよね・・・・。
 行ってくれば。
 15年も待ったんだもの、あと少しなら、何年かなら待つわよ。
 小さい時からずう~と、待ち続けていたんだもの・・・
 いつかは、レイコの順番がくるって。でもさ、残酷だね。
 あたしの番がやっときたと思ったら、
 今度は自分から、あんたの背中を押す羽目になるなんて・・・
 悔しいよ、こんなことになるなんて。
 でもさ、あたしは大丈夫だから、あなたは、自分の道を歩いてきて頂戴。
 それが、いまあるべき私と、あなただと思う。
 輪島と、金沢まで走ってくれたんだ。
 その思い出が生きているうちは、私も辛抱が出来るから・・・・
 ありがとう、いい思い出を」





 それだけを言い切ったレイコは、もうこれ以上、こっちに来るなと言うように
小さく胸元で拒絶するように手を振ってから、あとの言葉をのみこんでしまいます。
池をのぞきこむようにして、レイコが顔をそむけました。
浴衣の背中だけを見せましたが、たぶん唇をかみしめているのだと思います。
いつでもレイコは、本音を人には見せません。
あふれるものを胸に秘めたまま、今度もレイコは、私の背中を押そうとしています。


 
 レイコはまもなく、20歳です。
成人式を年明けには迎えようとしている、10代最後の真夏の夜の出来事です。
降るようにまたたき始めた星空のもと、この日を境に、
私たちはまた、4年以上の歳月を、お互いを想いつつも意に反して
遠くに離れて暮らすことになります。



アイラブ・桐生





  <第1部・完>



(資料映像より・日本の原風景。昔はみんなこんな感じの茅葺でした)


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