居酒屋日記・オムニバス (90)
第七話 産科医の憂鬱 ⑩

深夜の宴会が、いっぺんに凍りついた。
妊婦がはっきりと、「切羽詰まっている状態なんだ」と3人の前で言い切った。
ただごとではない。妊娠6カ月目の妊婦が口にする言葉ではない。
「わかった、わかった。君はなにかきっと、深い事情を抱えているんだな。
話あおうじゃないか。
君はなぜ、祝福されない子供を産もうとしているんだ?」
ほっと短い息を吐き、穏やかな目に戻った産婦人科医が、若い妊婦と向き合う。
「いまさら話し合う?。馬っ鹿じゃないの。
あなたとわたしは赤の他人でしょ。
大きなお世話です。わたしのことなんか、放っておいてください」
「そうはいかん。
そこにいる彼女が、泣いている君をスナックで拾ってきたという。
力になってあげたいからこそ、こんな変な居酒屋へ君を連れてきた。
袖触れ合えば、多少の縁。そう言う意味で、少なからぬ因縁が有る。
それに産婦人科医である僕が、話を聞くと言っているんだ。
たぶん、君の力になれるかもしれない」
「じゃ、早速だけど、この子のパパになってくれる?」
「パパになるのは無理だ。中絶するのも無理だ。
だが早産として、その子をすぐに誕生させてあげることなら出来る。
なんなら取り出してあげようか、明日にでも、僕の産院で」
「6か月で取り出すですって?。馬鹿なことは言わないで。
私のお腹の中で無事にいるこの子を、なんでわざわざ6か月で、
取り出してしまうのさ!」
「邪魔なんだろう、お腹の中に居るその子が?。
正期産と呼ばれる妊娠37週から42週よりも前に、赤ちゃんが
生まれてしまうことを早産という。
産まれそうになることを、切迫早産という。
いまの時代。6か月で産まれてきても、赤ちゃんは医学の力で無事に育つ。
どうする。君が望むというのなら、俺が明日、取り出してやる」
「そ、そんな乱暴な・・・順調に育っているこの子が可哀想すぎます!」
「順調に育っている?。
そうか。君のお腹の中で、胎児は元気に育っているんだな」
「動いているわ。
先週から、お腹の中で動いているのがはっきりと、分かって来たもの・・・」
「健診には、行っているのか?」
「妊娠が分かった時、一度だけ行きました・・・」
「母子健康手帳は、もう、もらった?」
「いいえ。まだです」
「母子手帳は大切だ。
妊娠の初期から、小学校に入学するまで、赤ちゃんとママの健康状態を
記録しておくものだ。
妊娠中も、産後も、長いあいだ世話になる。
自分で書けるページもある。赤ちゃん日記としても活用できる。
感じたことを記入しておくことで、あとで医師の診察時にも役に立つ」
「いまからでも、もらうことは出来るの?」
「母子手帳の交付方法は、自治体によって異なる。
妊娠届出書を提出すれば、その日のうちにもらえるところが多い。
妊娠届出書には、「妊娠週数」「出産予定日」「妊娠の診断を受けた医療機関名」
などの記入が必要だ。
安心するがいい。必要なことは俺が全部、書いてやる。
そうすれば明日にでも君は、市役所へ行き、お腹に居る赤ん坊のために
母子手帳を、もらうことが出来るだろう」
(91)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第七話 産科医の憂鬱 ⑩

深夜の宴会が、いっぺんに凍りついた。
妊婦がはっきりと、「切羽詰まっている状態なんだ」と3人の前で言い切った。
ただごとではない。妊娠6カ月目の妊婦が口にする言葉ではない。
「わかった、わかった。君はなにかきっと、深い事情を抱えているんだな。
話あおうじゃないか。
君はなぜ、祝福されない子供を産もうとしているんだ?」
ほっと短い息を吐き、穏やかな目に戻った産婦人科医が、若い妊婦と向き合う。
「いまさら話し合う?。馬っ鹿じゃないの。
あなたとわたしは赤の他人でしょ。
大きなお世話です。わたしのことなんか、放っておいてください」
「そうはいかん。
そこにいる彼女が、泣いている君をスナックで拾ってきたという。
力になってあげたいからこそ、こんな変な居酒屋へ君を連れてきた。
袖触れ合えば、多少の縁。そう言う意味で、少なからぬ因縁が有る。
それに産婦人科医である僕が、話を聞くと言っているんだ。
たぶん、君の力になれるかもしれない」
「じゃ、早速だけど、この子のパパになってくれる?」
「パパになるのは無理だ。中絶するのも無理だ。
だが早産として、その子をすぐに誕生させてあげることなら出来る。
なんなら取り出してあげようか、明日にでも、僕の産院で」
「6か月で取り出すですって?。馬鹿なことは言わないで。
私のお腹の中で無事にいるこの子を、なんでわざわざ6か月で、
取り出してしまうのさ!」
「邪魔なんだろう、お腹の中に居るその子が?。
正期産と呼ばれる妊娠37週から42週よりも前に、赤ちゃんが
生まれてしまうことを早産という。
産まれそうになることを、切迫早産という。
いまの時代。6か月で産まれてきても、赤ちゃんは医学の力で無事に育つ。
どうする。君が望むというのなら、俺が明日、取り出してやる」
「そ、そんな乱暴な・・・順調に育っているこの子が可哀想すぎます!」
「順調に育っている?。
そうか。君のお腹の中で、胎児は元気に育っているんだな」
「動いているわ。
先週から、お腹の中で動いているのがはっきりと、分かって来たもの・・・」
「健診には、行っているのか?」
「妊娠が分かった時、一度だけ行きました・・・」
「母子健康手帳は、もう、もらった?」
「いいえ。まだです」
「母子手帳は大切だ。
妊娠の初期から、小学校に入学するまで、赤ちゃんとママの健康状態を
記録しておくものだ。
妊娠中も、産後も、長いあいだ世話になる。
自分で書けるページもある。赤ちゃん日記としても活用できる。
感じたことを記入しておくことで、あとで医師の診察時にも役に立つ」
「いまからでも、もらうことは出来るの?」
「母子手帳の交付方法は、自治体によって異なる。
妊娠届出書を提出すれば、その日のうちにもらえるところが多い。
妊娠届出書には、「妊娠週数」「出産予定日」「妊娠の診断を受けた医療機関名」
などの記入が必要だ。
安心するがいい。必要なことは俺が全部、書いてやる。
そうすれば明日にでも君は、市役所へ行き、お腹に居る赤ん坊のために
母子手帳を、もらうことが出来るだろう」
(91)へつづく
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