居酒屋日記・オムニバス (91)
第七話 産科医の憂鬱 ⑪
「そうと決まったら、こんな野暮な居酒屋に長居は無用だ。
大将、勘定してくれ。帰る」
産婦人科医がとつぜん、財布を握って立ち上がる。
え・・・帰るのかよ・・・つられて幸作もあわてて立ち上がる。
「おい。そこの不謹慎な妊婦。
呑気な顔していつまでも日本酒なんか、呑んでいる場合じゃない。
一緒に帰るぞ。いいからさっさと、立ち上がれ!」
「一緒に帰る?。何言ってんのさ、あんたは・・・
なんで赤の他人のあんたと、わたしが一緒に帰らなきゃいけないの。
意味がまったくわかりません」
「その様子じゃ、安心して帰れる寝ぐらは無さそうだ。
遠慮することはない。
泊めると言っても、自宅じゃない。病室だ。
明日になったらその子のために、母子手帳をもらいに行こう。
行く場所場がないんだろ、今夜は、俺の産院へ泊まれ」
「どうせなら、この子が産まれるまで、ずっとあんたの産院に泊めてくれる?」
「お前さんが望むのなら、そうしてもかまわない。
ただしそのためには、その子の父親か、あんたの両親と話し合う必要がある。
だがそのあたりのことは、ひとつずつ、ぼちぼちと片づけいこう。
あんたがすることは、まず、その子のために母子手帳をもらうことだ。
それがあんたと、その子のためになる」
勘定を聞いた産科医が、一万円札を2枚出す。
「これでそこにいる鉄筋工の姉さんに、もう少し呑ませてやってくれ」
それじゃ行くぞと産科医が、妊婦に目で合図をおくる。
驚いたことに妊婦が素直に、「はい」と答えて立ち上がる。
「お世話になりました。お姉さん」
コクリと頭を下げた妊婦が急ぎ足で、外へ消えていった産科医の後を追いかける。
「こらこら。走るんじゃないよ。何か有ってからでは遅すぎるからね!」
智恵子の声に、妊婦が戸口で立ち止まる。
「いけねぇ。またやっちゃった・・・えへへ」とペロリと赤い舌を出す。
あわただしく産科医が去り、小走りで妊婦が外へ消えていったあと、
2人だけの居酒屋に、気まずい沈黙がやって来た。
幸作が空いたコップと小皿を持ち、厨房の中へ消えていく。
「ねぇ。なんで何にも言わないの。怒ってんでしょ?。あんた。
連絡もしないで突然、あたしが群馬へやって来たから・・・」
「別に。その程度のことで、怒ってなんかいないさ」
蛇口をひねった幸作が、激しい音を立てて小皿を洗い始める。
「怒ってるじゃないの、やっぱり・・・」
「怒ってねぇ!」
「ほら、やっぱり、怒ってる・・・」
「何者なんだ、あの、妊婦は?」
「学生さんで、お腹の中に居るのは不倫相手の子どもだそうです」
「なんだよ。やっぱり事情を知っているんじゃねぇか。
何も知らないなんて、とぼけやがって。
学生の分際で、不倫相手の子を妊娠しているのか・・・
やっかいなのを拾ってくるんだなぁ、お前さんも。
物好きにも限度が有る」
「放っておけないじゃないの。そんな話を聞いたら。
朝が明けたら、始発電車に飛び込んで自殺するなんて言い出すんだよ。
あの子ったら・・・」
「電車に飛び込むといったのか・・・
ホントにそんなことを言っていたのかよ、あの妊婦は・・・
自殺まで考えるなんて、よっぽど進退極まっていたんだろな、あの娘さんは。
そんな話を聞けば、俺でも世話をやくだろう。
放ってなんかおけないさ。
いのちってやつは、絶対に、無駄にしちゃいけねぇ・・・」
(92)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第七話 産科医の憂鬱 ⑪
「そうと決まったら、こんな野暮な居酒屋に長居は無用だ。
大将、勘定してくれ。帰る」
産婦人科医がとつぜん、財布を握って立ち上がる。
え・・・帰るのかよ・・・つられて幸作もあわてて立ち上がる。
「おい。そこの不謹慎な妊婦。
呑気な顔していつまでも日本酒なんか、呑んでいる場合じゃない。
一緒に帰るぞ。いいからさっさと、立ち上がれ!」
「一緒に帰る?。何言ってんのさ、あんたは・・・
なんで赤の他人のあんたと、わたしが一緒に帰らなきゃいけないの。
意味がまったくわかりません」
「その様子じゃ、安心して帰れる寝ぐらは無さそうだ。
遠慮することはない。
泊めると言っても、自宅じゃない。病室だ。
明日になったらその子のために、母子手帳をもらいに行こう。
行く場所場がないんだろ、今夜は、俺の産院へ泊まれ」
「どうせなら、この子が産まれるまで、ずっとあんたの産院に泊めてくれる?」
「お前さんが望むのなら、そうしてもかまわない。
ただしそのためには、その子の父親か、あんたの両親と話し合う必要がある。
だがそのあたりのことは、ひとつずつ、ぼちぼちと片づけいこう。
あんたがすることは、まず、その子のために母子手帳をもらうことだ。
それがあんたと、その子のためになる」
勘定を聞いた産科医が、一万円札を2枚出す。
「これでそこにいる鉄筋工の姉さんに、もう少し呑ませてやってくれ」
それじゃ行くぞと産科医が、妊婦に目で合図をおくる。
驚いたことに妊婦が素直に、「はい」と答えて立ち上がる。
「お世話になりました。お姉さん」
コクリと頭を下げた妊婦が急ぎ足で、外へ消えていった産科医の後を追いかける。
「こらこら。走るんじゃないよ。何か有ってからでは遅すぎるからね!」
智恵子の声に、妊婦が戸口で立ち止まる。
「いけねぇ。またやっちゃった・・・えへへ」とペロリと赤い舌を出す。
あわただしく産科医が去り、小走りで妊婦が外へ消えていったあと、
2人だけの居酒屋に、気まずい沈黙がやって来た。
幸作が空いたコップと小皿を持ち、厨房の中へ消えていく。
「ねぇ。なんで何にも言わないの。怒ってんでしょ?。あんた。
連絡もしないで突然、あたしが群馬へやって来たから・・・」
「別に。その程度のことで、怒ってなんかいないさ」
蛇口をひねった幸作が、激しい音を立てて小皿を洗い始める。
「怒ってるじゃないの、やっぱり・・・」
「怒ってねぇ!」
「ほら、やっぱり、怒ってる・・・」
「何者なんだ、あの、妊婦は?」
「学生さんで、お腹の中に居るのは不倫相手の子どもだそうです」
「なんだよ。やっぱり事情を知っているんじゃねぇか。
何も知らないなんて、とぼけやがって。
学生の分際で、不倫相手の子を妊娠しているのか・・・
やっかいなのを拾ってくるんだなぁ、お前さんも。
物好きにも限度が有る」
「放っておけないじゃないの。そんな話を聞いたら。
朝が明けたら、始発電車に飛び込んで自殺するなんて言い出すんだよ。
あの子ったら・・・」
「電車に飛び込むといったのか・・・
ホントにそんなことを言っていたのかよ、あの妊婦は・・・
自殺まで考えるなんて、よっぽど進退極まっていたんだろな、あの娘さんは。
そんな話を聞けば、俺でも世話をやくだろう。
放ってなんかおけないさ。
いのちってやつは、絶対に、無駄にしちゃいけねぇ・・・」
(92)へつづく
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