居酒屋日記・オムニバス (97)
第七話 産科医の憂鬱 ⑰
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/cf/13c7ace75e55794f1b887520e836cb82.jpg)
「歳の差婚?。
もしかしてあたしのことを、結婚対象として見ているの?」
智恵子が助手席から、潤んでいるような瞳を向ける。
騙されてはいけない。智恵子はただ、コンタクトを入れ忘れているだけだ。
極度の近視なのだ、智恵子は
「一般論を言っただけさ。本気じゃねぇ。
残念なことだが、お前さんと結婚することは出来ない。
女房は俺と娘を置いて、8年前に失踪した。
だが籍はいまだに抜いてない。
ということで俺はいまだに、女房持ちという身の上だ」
「7年たてば裁判所に申し立てて、失踪宣告が出来るはず。
手続きが済めば、晴れてあなたは独身。
そうしないのは、あなたにまだ、奥さんへの未練が有るからでしょう。
いまでも厨房に奥さんの割烹着が置いてあるのは、その証明だわ」
「片づけるのが面倒くさいから、そのまま置いてあるだけさ」
「嘘ばっかり・・・
しかたないなぁ。本妻が無理なら、ときどき通っていく愛人でもいいわ。
それならあなたの重荷にならないでしょう。
あなたの人生の重荷には、なりたくないのよ、あたしって」
「いいかげんにしないと、本気で信じるぞ」
「その気があるから、神の手へ連れて行ってくれたんでしょ、あなたは。
青空を見るために、安達太良山まで行こうと言い出したのも、そうでしょ。
その気がなければ、そこまで親切にしてくれないと思うもの」
「勘違いするな。ただの気まぐれだ。
仕事をさぼり、美人とドライブをしたい気分になっただけだ。
分かった様なことばかり言うと、あとで絶対ひどい目に遭う。
甘く見ないほうがいい。男はみんなオオカミだ。
痛い目にあってからでは遅い。その時になって後悔しても、もう手遅れだ」
「後悔なんかしません。本気だもの。
それに私。実は、男を知りません。
こう見えてバージンです。
あなたにはとても、信じられない話でしょうけどね・・・」
「バ、バージンだって・・・ホッ、ホントかよ。信じられねぇ・・・」
「うふふ。嘘にきまってるでしょ。信じるなんて、馬っ鹿じゃないの。
30を過ぎた女が、バージンでいるはずないでしょう。
でもね、男性の経験は驚くほど少ないわ。
あなたくらいかしら。
はじめて出逢った日から、いきなり好きになってしまったのは」
「話題を変えよう。
このままじゃ俺の頭が興奮し過ぎて、そのうち、まっすぐ走れなくなる。
そういえば、どうした、背中の痛みは?」
「あ・・・いつの間にか背中の痛みが、おさまっています。
楽になってきたわ。
へぇぇ、ホントに効くのねぇ、神の手の治療院は」
「そいつはよかった。じゃ、帰ったら、また連れて行ってやる。
2~3回通えば劇的に改善すると、あの若い、神の手も言っていたからな」
「ずっと居ようかな、群馬に。
鉄筋工なんていう野暮な仕事から、足をあらおうかな・・・」
「無理すんなよ。
自分から飛び込んだ世界のくせに。
でもさ。群馬に居たいというのなら、気が済むまで居るがいい。
君がいてくれた方が、俺もなんだか楽しくなる」
「毎晩行くけど邪険に扱わないでね。わたしのことを」
「えっ、毎晩呑みに来るのかよ・・・毎晩じゃ、俺の身体が持たねぇな。
手加減してくれ。俺ももう、若いとは言えねえからな」
「わかっています、それくらいのことは・・・うふふ。
ホントにいいお天気ですね。
青空がきれいです。なんだか、涙が出ちゃうほど、まぶしいわ・・・」
磐梯山が、遠くに見えてきた。
足もとに猪苗代湖がひろがってきた。会津若松の城下がすぐそこへ近づいてきた。
城下をこえれば、智恵子がそだった安達太良山のふもとの村はすぐそこだ。
前方に、あいかわらず、雲ひとつない青空がひろがっている。
智恵子が、窓ガラスを全開にあけた。
心地よい福島の風が、車の中いっぱいに、どっと元気よく吹き込んできた。
第七話 産科医の憂鬱 完
ご愛読ありがとうございました。
第七話 産科医の憂鬱 ⑰
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「歳の差婚?。
もしかしてあたしのことを、結婚対象として見ているの?」
智恵子が助手席から、潤んでいるような瞳を向ける。
騙されてはいけない。智恵子はただ、コンタクトを入れ忘れているだけだ。
極度の近視なのだ、智恵子は
「一般論を言っただけさ。本気じゃねぇ。
残念なことだが、お前さんと結婚することは出来ない。
女房は俺と娘を置いて、8年前に失踪した。
だが籍はいまだに抜いてない。
ということで俺はいまだに、女房持ちという身の上だ」
「7年たてば裁判所に申し立てて、失踪宣告が出来るはず。
手続きが済めば、晴れてあなたは独身。
そうしないのは、あなたにまだ、奥さんへの未練が有るからでしょう。
いまでも厨房に奥さんの割烹着が置いてあるのは、その証明だわ」
「片づけるのが面倒くさいから、そのまま置いてあるだけさ」
「嘘ばっかり・・・
しかたないなぁ。本妻が無理なら、ときどき通っていく愛人でもいいわ。
それならあなたの重荷にならないでしょう。
あなたの人生の重荷には、なりたくないのよ、あたしって」
「いいかげんにしないと、本気で信じるぞ」
「その気があるから、神の手へ連れて行ってくれたんでしょ、あなたは。
青空を見るために、安達太良山まで行こうと言い出したのも、そうでしょ。
その気がなければ、そこまで親切にしてくれないと思うもの」
「勘違いするな。ただの気まぐれだ。
仕事をさぼり、美人とドライブをしたい気分になっただけだ。
分かった様なことばかり言うと、あとで絶対ひどい目に遭う。
甘く見ないほうがいい。男はみんなオオカミだ。
痛い目にあってからでは遅い。その時になって後悔しても、もう手遅れだ」
「後悔なんかしません。本気だもの。
それに私。実は、男を知りません。
こう見えてバージンです。
あなたにはとても、信じられない話でしょうけどね・・・」
「バ、バージンだって・・・ホッ、ホントかよ。信じられねぇ・・・」
「うふふ。嘘にきまってるでしょ。信じるなんて、馬っ鹿じゃないの。
30を過ぎた女が、バージンでいるはずないでしょう。
でもね、男性の経験は驚くほど少ないわ。
あなたくらいかしら。
はじめて出逢った日から、いきなり好きになってしまったのは」
「話題を変えよう。
このままじゃ俺の頭が興奮し過ぎて、そのうち、まっすぐ走れなくなる。
そういえば、どうした、背中の痛みは?」
「あ・・・いつの間にか背中の痛みが、おさまっています。
楽になってきたわ。
へぇぇ、ホントに効くのねぇ、神の手の治療院は」
「そいつはよかった。じゃ、帰ったら、また連れて行ってやる。
2~3回通えば劇的に改善すると、あの若い、神の手も言っていたからな」
「ずっと居ようかな、群馬に。
鉄筋工なんていう野暮な仕事から、足をあらおうかな・・・」
「無理すんなよ。
自分から飛び込んだ世界のくせに。
でもさ。群馬に居たいというのなら、気が済むまで居るがいい。
君がいてくれた方が、俺もなんだか楽しくなる」
「毎晩行くけど邪険に扱わないでね。わたしのことを」
「えっ、毎晩呑みに来るのかよ・・・毎晩じゃ、俺の身体が持たねぇな。
手加減してくれ。俺ももう、若いとは言えねえからな」
「わかっています、それくらいのことは・・・うふふ。
ホントにいいお天気ですね。
青空がきれいです。なんだか、涙が出ちゃうほど、まぶしいわ・・・」
磐梯山が、遠くに見えてきた。
足もとに猪苗代湖がひろがってきた。会津若松の城下がすぐそこへ近づいてきた。
城下をこえれば、智恵子がそだった安達太良山のふもとの村はすぐそこだ。
前方に、あいかわらず、雲ひとつない青空がひろがっている。
智恵子が、窓ガラスを全開にあけた。
心地よい福島の風が、車の中いっぱいに、どっと元気よく吹き込んできた。
第七話 産科医の憂鬱 完
ご愛読ありがとうございました。