落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (96)        第七話  産科医の憂鬱 ⑯

2016-06-24 09:27:33 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (96) 
      第七話  産科医の憂鬱 ⑯




 想定内ですと、智恵子が身体を寄せてくる。
宿場内は、車の乗り入れが規制されている。
2人が目指しているネギ蕎麦を食わせる店は、共同駐車場から歩き始めて4軒目、
街道の右側で営業している。



 (あら、もう着いちゃった・・・何さ。これじゃ夢もロマンもないじゃないの)
智恵子が不満そうに、くちびるを尖らせて立ち止まる。
(慌てることはない。街道の突き当りまで歩いて、帰り道に寄ればいいだろう)
せっかくつないだ手だ。もう少し歩こうぜと幸作が合図をおくる。



 「そうよね。せっかくです。この際、食い気より色気優先でいきましょう」



 「色気優先か・・・たしかに昔、そんな風に生きた時代も有る。
 だがあれから20年。俺も、久しぶりのデートだ。
 女性と手をつなぐなんて、ずいぶんと久しぶりのことだ。
 2度と手をつなぐことは、ないと思っていたので、
 光栄だな。今日は・・・」



 「ホントはわたしも、久しぶりです」智恵子の目が、幸作を見上げる。
「でもさ。毎日、鉄筋ばかりをいじってるでしょ。ごめんね。ごつごつしていて」
恥じらいながら智恵子が、握り締めた指先に力を入れてくる。
幸作が握られてきた指先に、すこしだけ力を入れ、それにこたえる。



 大内宿の街道は、南北におよそ450mほど。すぐに終点がやって来る。
地蔵堂の突き当りから、街道が桝形(ますがた)に折れる。
江戸時代のはじめにつくられた宿場は、城塞としての役割も持っている。
宿場の出入口は、必ず枡形になる。
二度、直角に曲げることで、敵が進入しにくくなるからだ。



 くるりと向きを変えた2人が、また、蕎麦屋へ向かって戻っていく。
街道の両側に、妻を通りに向けた民家が30軒ほどつづいている。
途中で、香ばしい匂いが漂ってきた。
昔ながらの郷土食、「しんごろう餅」だ。焼くときに、いい匂いが立ち込める。
匂いにつられ、智恵子が立ち止まる。
1本200円という文字に、智恵子の目がクギづけになる。



 「5本、もらおうか」 幸作が1000円札を出す。
「そんなに買ったら、お蕎麦が食べられなくなるわ・・・
でも食べたいな、たくさん」と智恵子が笑う。
智恵子の脳裏に、幼いころの記憶がよみがえってくる。
結局。1000円札を出して、しんごろう餅を5本買ってしまう。
「おまけだよ」と店主が、焼き立てのせんべいを持たせてくれた。



 焼き立てのせんべいと、エゴマの入った香ばしい味噌の香りが、
走りはじめた車の中に、これでもかと充満していく。
大内宿から会津西街道まで、およそ4キロあまりの山道を戻っていく。
5月連休や、観光客が増える夏休みの時期は、道路が渋滞する。
短い山道を抜けるまで、1時間から2時間かかることもよく有る。


 「はい」焼き立てのせんべいを、智恵子が幸作の前へ差し出す。
手焼きせんべいも、大内宿の名物のひとつだ。
「ほんとに今日は楽しいことが、次から次に発生してくるなぁ・・・」
運転中の幸作が、差し出されたせんべいにがぶりと噛みつく。



 車窓に、みどり一色の南会津の山なみがひろがっていく。
稜線の上に、雲はひとつも見えない。どこまでも青く透き通る青空がひろがっている。
大内宿から安達太良山までは、およそ100キロ。
時間にして2時間のかなたにも、やはり、同じような青空がひろがっている。



 「楽しみだ。安達太良山の青空が」と、幸作がつぶやく。
「そうね。それよりもこれから起こるたくさんの、奇跡のほうがもっと楽しみです」
うふふと智恵子が、助手席から身体を傾けて来る。


 「おいおい。あからさまに、近づいてくるなよ。
 誤解されたら、困るだろ。
 対向車がいまの俺たちの様子を見たら、絶対に誤解するぞ」



 「あら。どんな風に誤解されるのかしら?」



 「そうだな。年の離れた不倫カップルだな。
 年とった俺は、援助交際に精を出しているヒヒジジィに見られるだろう。
 んん、そうでもないか。
 俺たちの年齢差は、たったの12歳だ。
 そう考えれば、有りえないカップルではなさそうだ。
 おい、離れろよ、それじゃ近寄り過ぎだ。
 おまえさんのオッパイが、俺の目にチラつきすぎて、上手に
 ハンドルが切れねぇ・・・」



(97)へつづく

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