落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (93)        第七話  産科医の憂鬱 ⑬ 

2016-06-21 09:28:20 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (93) 
      第七話  産科医の憂鬱 ⑬ 


 
 
 快晴の朝がやってきた。約束した午前8時。
けだるそうな智恵子が、むくんだ顔のまま居酒屋へ顔を見せた。
ほとんど化粧していない、ノーメイクの顔のまま、居酒屋へやって来た。
夕べの酒がまだ抜けていないようだ。


 「大丈夫か?、お前。
 予約はとれている。すぐに出るから、助手席へ乗れ」



 言われるまま智恵子が、のそりと助手席へ乗り込む。
走りはじめた幸作の車がすぐさま、北関東道のインターを目指して北へ走る。
店からインターまでは、10分余り。


 西へ20キロほど走ると、すぐに北関東道の終点がやってくる。
ここで関越道への乗り換えが待っている。
東京方面はそのまま直進する。平坦のまま、関越道と容易に合流できる。
だが構造上に問題が有り、新潟方面への乗り換えは、すこしばかり厄介だ。
ジャンクションは空中を大きくぐるりと迂回して、関越道へ舞い降りていく。
迂回路の真下に、県道13号の前橋・長瀞線と、県道24号の高崎・伊勢崎線の
交差点が見える。
関越道へ舞い降りた幸作の車が、前橋市のインターを目指してさらに北へ走る。



 前橋のインターは、すぐにやってくる。
高崎市と前橋市は、隣り合っているからだ。
前橋インターで降りた幸作の車が、今度は前方に榛名山の姿を見て、
西に向って、一般道をはしりはじめる。
インターから5分も行くと、車窓から、市街地の景色が消えていく。
右を見ても、左を見ても農家が見えるだけの、のどかな風景に変っていく。
やがて道が、榛名山の傾斜にさしかかる。
周囲には田んぼと、畑だけの、さびしい景色だけがひろがっていく。


 「どこまで行くの?。
 周りの景色がずいぶん、寂しくなってきました」



 「もうすこしだ。
 といっても田舎のすこしは、かるく、2キロから3キロくらい有るけどね。
 小さな看板がひとつ出ているだけだから、目を皿にしてよく探してくれ。
 見落とすと、あとで厄介なことになる」


 「小さな看板?。いったいどんな看板が出ているの?・・・」


 「治療院の看板。
 神の手を持つ先生がいるそうだ。
 効き目は抜群で、どんな痛みでも、たった一度の治療で治してくれる」



 「うそ!・・・」


 「うそじゃない。百聞は一見にしかず。信じる者だけ救われる。
 うまくいけばお前さんは、長年の背中の痛みから、解放されることになる」



 「もしかして、わたしのために、わざわざ神の手を予約してくれたの?」


 「嘘かホントか、俺にも興味があるからな」



 「あっ・・・ホントだ。ホントに有りました!。
 うっかりすると見過ごしてしまいそうな、小さな粗末な看板が・・・」



 民家にしか見えない家屋の壁に、小さな看板が架かっている。
見過ごしてしまえばそのまま、榛名山の山腹へ迷い込んでいきそうな山道だ。
(たしかに、農家にしか見えない建物だな・・・)
幸作があわててブレーキを踏む。雑然とした庭先へ車を乗り入れていく。
約束した時間の10分ほど前に、無事に到着をした。



 扉を開けると、きれいな待合室がひろがっている。
壁一面に、神の手を持っていた先代と、スポーツ選手のツーショット写真が飾ってある。
名横綱・千代の富士とのツーショット写真も、その中に有る。
予約した時間が早いせいか、待合室にはほかに、人の姿はまったく無い。
待つこと数分。すぐに智恵子の名前が呼ばれた。



 入っていくと診察室の一面に、薄い布が敷いてある。
奥に神の手を持つという若先生がひとり、ポツンと退屈そうに座っている。


(94)へつづく


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