落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (22) ブルートレイン「富士」(中)

2012-05-25 11:21:47 | 現代小説
(22)第2章 ブルートレイン「富士」(中)
 『百合絵の秘密』



 列車内では進行方向に向かって、沖縄行きの3人が横に並んで座りました。
向かい合った座席は、10代と思われる若いカップルです。
ただしこのカップルは、常に忙しく動き回っていてほとんど座席に姿を見せません。
ゆえに、この二人はつねに所在が不明です。
乗車の際に、荷物を座席にごちゃごちゃと放りだすように置いたまま、
さっさと居なくなって、時々、談話室や通路などで窓ガラスに背をつけて、
顔を寄せ仲良く立ち話を続けているのを、見かけました。




 寝台列車といっても、就寝時間以外は
一般の対座式の車両と同じようにように座席がセットされています。
そのために通常列車のように、座ったままで時間を過ごすことになります。
中段とななる2段目は、折りたたまれて頭の上に収納されていました。
最下段のベッドが、通常時の座席になります。
背もたれ部分には充分なクッションが有り、座席自体にも
通常よりもやわらかめで、快適といえる座り心地があります。
沖縄出身の優子は、この寝台車には乗りなれていました。




 「ブルートレインなんて、呼び方自体は格好いいけれど、
 2、3度も乗れば、国鉄ファンならいざしらず、すぐに飽きてしまいます。
 走っても、走っても、どこまで走っても
 それこそ飽きるほど走っても、結局、丸一日以上も同じ列車の中だもの・・
 同席した相手が、感じの悪い人だったりするともう、それだけで最悪になるわ。
 たったこれしかない空間に最大、大人が6人も詰め込まれるのよ。
 それこそ、逃げ場がないじゃないの。
 そりゃあ、群馬みたいに、
 とにかく、女性に優しい男ばっかりならいいけど、
 中には最悪なのもいるからね~」



 「わからないわよ、群馬だって。
 男はオオカミ、って言うもの。
 とりあえずは優しくしておいて、油断をさせ、
 すっかり安心をしたところで、突然パクリと食べちゃったりしてさ。
 赤ずきんちゃんのオオカミみたいに」



 「ごめんだね。君たちじゃ、頼まれても食べないよ」

 「悪かったわね!
 百合絵みたいなのが群馬のタイプでしょ。
 勝てないもんねぇ、百合絵には。
 スタイルはいいし、画はすこぶる上手いし・・
 なんで今まで、彼氏を作らなかったのだろう、百合絵は?」

 「知らないの、優子。
 有名な話よ、
 百合絵は、折り紙つきの男性恐怖症なんだって。」



 
 そんな話はまったくの初耳です。
えっとおもわず、こちらも聞きなおしてしまいました。
なんだ知らなかったの・・・・と、恵美子が私の顔をのぞき込んできました。
優子も興味深そうに、恵美子を口元を見つめています。



 「なんでも、中学生になりたての頃に
 男性が嫌いになるような、とってもいやな体験をしたんだって。
 詳しい事は言わなかったけれど、
 田舎でも、ずいぶんと評判になった事件だというから
 それ相当の体験だと、私は思う。
 いずれにしても、その突然の出来事がきっかけで、
 それ以降は、男性不審というか、
 男を見るだけで、もう全身から拒否症状が出るって言ってたわ。」



 「男性拒否症か。
 それに似た話なら、私も百合絵から聞いた覚えがある。
 確かに、それ以上の詳しいことは言わなかったけど、
 男性を受け付けない身体になっちゃったと、笑って話してくれたことが有る。
 あの美貌とスタイルなのに、なんでそんな皮肉なことになるんだろうと、
 思わず気の毒に感じたことが有る。
 綺麗過ぎるというだけで、思わぬ落とし穴が待っているかもしれないわね。
 とにかく頭はいいし、画もうまいし・・非の打ちどころが無いのに、
 なんでよりによってに、男性不審なんだろうねぇ。
 もったいない話だわよ」



 「最近の百合絵を見ていて、
 群馬とは、うまくいくような気配がしていたんだけど・・・・
 あんた。実は、百合絵をいじめなかったでしょうね!」



 すかさず、優子も切りこんできました。




 「そうよねぇ。
 ほとんでスッピンのまんまだった百合絵が、突然お化粧をはじめたし、
 ジーンズとTシャツが専門だった服装も、気が付いたら
 ちょこちょこと、小綺麗にお洒落を始めるんだもの、びっくりしたわ。
 スッピンでさえ私たちと同等なのに、
 お化粧までされたら、まるで別人でしょ。勝てないわよ・・・・
 男なんか受け付けない体質だったはずなのに、
 いつのまにか平気で、男とつき合えるように百合絵が変ったんだって、
 恵美子と二人で、びっくりしたし、喜んでもいたのに。
 あんたさぁ、本当に百合絵に、悪さなんかしていないでしょうね?」




 なにやら妙な雲行きになってきました・・・・
これ以上のコメントは避けて、煙草が吸いたくなってきたからと
あわてて立ち上がりました。
いぶかる二人を残したまま、逃げるように通路へ出ます。
大きな窓に寄り添うと、煙草に火を付け、思い切り深く煙を吸いこみました。
(やれやれ危ないところだった。まったくもっての危機一髪だ・・・)



 それにしても、
あらためて百合絵との一部始終が甦ってきました。
優子や恵美子の話を総合すれば、なんとなく頷けるような場面と、
いくつかの百合絵の躊躇の様子が、ひとつづつ思い出されてきました。

 発車間際の告白は、精いっぱいの百合絵の本音かもしれません。
しかしもうその百合絵とは、二度と再び会えないだろう、もうすでに私は思っています。
百合絵の哀しそうだった昨日と今日のあの眼差しが、陽が落ちた車窓の彼方に、
なぜか今頃になってから鮮明に浮かび上がってきました。

(きっとこんな気分のことを、人は感傷と呼ぶんだろうな・・・・)





 発車して2時間もたったころに、車内アナウンスが流れてきました。
やがて二人の係員が車両に姿を見せて、手際良く、寝台列車への模様変えをはじます。
追いだされた私たちは、通路側の大きな窓へ背中を押しつけたまま横一列に並びました。
係員が3段ベッドの寝台特急へ作り替えていく、手際のよいそうした作業の様子を
ただ、ぼんやりしながら眺めていました。



 さっきまで座って談笑していた場所が、最下段のベッドに変身をしました。
頭の位置にあったソファを手前側に引き落とすと、
軽く揺れた後、中段となる二段目のベッドもあらわれました。
立ちあがった頭の位置よりも、はるか上方の位置にある最上段のベッドは、
列車の構造物として、最初から設置されています。
昇降用の梯子が、それぞれに取り付けられます。
ひと枠ごとに遮蔽用のカーテンが張りめぐらされると、
寝台特急のB寝台、3段ベッドが完成をしました。



 時間を見計らったようにして、例の若いカップルが舞い戻ってきました。
とりあえず、中段のベッドへ、荷物のすべてを乱暴に投げ込んでいます。
どうするつもりだろうと興味を持って眺めていると、一番下のベッドへ
女性がまず、最初にするりと潜り込みました。
やがてパジャマに着替えた男性も、続いてするりと滑り込んでいきます。
呆気にとられている我々を尻目に、最下段のカーテンが
乱暴に、かつまた、しっかりと閉ざされてしまいました。
そのカーテン越しにまた、低いひそひそとした話の声だけが漏れてきます。



 不満顔で睨んでいる優子と恵美子をなだめながら、
われわれも出来上がったベッドに、それぞれ潜り込むことにしました。
私は寝相が悪いから、一番下に寝たいという優子にまず下段のベッドを譲りました。
じゃぁ、中段には、「かよわい私が」と言って
恵美子が中段に潜り込みます。



 「ねぇ、これでは、
 お座りもできないわ・・どうしましょう。」




 いきなり、中段のベッドで恵美子がベソをかきはじめました。
中を覗き込んで見ると横幅は、50センチほどの幅が有って、これならば大人が
横になるのには充分なようにも見えました。
しかし、恵美子が言うように、上下の間隔があまりありません。
確かにこれでは、背筋を伸ばして正座をすると、上のベッドに頭が当ってしまいます。
いくら小柄な恵美子といえども、ベッドの上での正座は確かに辛いようです。




 「じゃあ、上にする?」と、最上段を指さします。
「うん」と答えた恵美子が、ピンクのパジャマを抱えて、一気に梯子段を上ります。
パジャマには、(少女趣味ともいえる)可愛い花が沢山咲き乱れています。
美恵子を見送りながら、思わず微笑んでしまいました。



 「あれ、それってずいぶんと可愛い花がらだねぇ。
もしかして自分で書いたのかい?」笑いながら、恵美子を見上げていると、
足元からは、カーテンを開けて優子がひょっこりと顔を出します。



 「私だって負けていないわ。
 ほら、群馬、遠慮しないで・・・・見て御覧。
 とっても、透け透けのネグリジェよ。
 誰が見ても、これならば刺激的な新妻の姿そのものでしょう。
 ねぇ見てよ・・・・ほれ、群馬、見て、見て、見て頂戴」



 そう笑いながら、優子の目と指が、前方の若いカップルのベッドを指さしています。
向かい側のベッドでは、相変らず低い声でボソボソとしゃべる
カップルたちの、怪しそうで楽しそうな気配だけが漂い続けています。


 「悪い冗談はよせ、」




 軽く優子をたしなめてから、
私も着替えるために、真ん中のベッドにもぐり込みました。
今度は真上から恵美子の声がやってきました。




 「ねぇ群馬。
 私の頭の上にある天井は、すごく高い位置にあるの。
 でもね、足元のほうは、膝を立てると天井に当たりそうなほど、とても低いのよ。
 これって、あたしの足が長すぎるということなのかしら?
 それとも、天井の形に沿って窓側はただ低いということなのかしら?
 どうする、群馬。
 覗きに来てみる? もう一人の新婦の部屋へ・・」



 上にも下にも、もういい加減に寝ろと声をかけて、
とりあえず、目をつぶってしまいました。
こちら側のベッドでも、上下のひそひそ話は深夜おそくまで続いていたようです。
(本当に女というものは、おしゃべりすぎる生き物のようです・・)




 忘れたころに、寝台特急は深夜の駅に数分単位で停まります。
長い停車時間の時もあり、いずれも時間調整のために繰り返される停車です。
途中から、足元のほうに見える窓が気になりました。
外の様子が見たくなり、余り物音をたてないようにして態勢を変えることにしました。
カーテンの隙間から、暗い車窓を覗いてみましたが、
真っ暗過ぎて、どの辺を走っているのかまったく見当はつきません。




 街灯の点いた電柱が、あっという間に現れて、
瞬時のうちに、後方へと飛んでいくだけの光景がいつまでも続きました。
やがて真っ暗だった平原に、徐々に街灯などが増えてきました。
道路を行きかう車の台数も増えてきて、列車は光のあふれている
ネオンの海へ突入をはじめました。
眠りを忘れているような、大きな深夜の市街が近づいてきました。
到着したのは、午前0時を回った深夜の大都市・大阪駅です。



 反対側のホームには、たくさんの人の姿が見えます。
終電間際と思われる時間帯なのに、思いがけない大人数が列車の到着を待っていました。
この遅い時間まで働いている人たちが、都会にはいるんだ・・
いやいや・・・・よく見ると無残な酔っ払っいどもの姿もありました・・・・




 一転して、こちらのホームへ視線を戻します。
あちこちの大人たちに交じって、小学生らしい幼い姿が見えました。
深夜だというのに、ずいぶんと多くの小学生たちがいます・・・・
ホームでパタパタ動く列車時刻の表示板と、その隣にある時計の針は、
間違いなく、午前零時過ぎを示していました。


 今日は土曜日です。
次から次へと大阪駅を通過していく、上りと下りの寝台特急の雄姿を狙う、
(大人と子供たちによる)ブルートレインの熱烈なファン達でした。
中でも最長距離を走り抜けて西へ向かうこの寝台特急の『富士』号は
ブルートレインファンたちに、一番人気の被写体です。
近くにいた小学生が、構えたファインダ―を覗きながら愛想良く手を振っています。



 お~と、喜んでカーテンの隙間から、こちらも手を振り返します。
しかしどうもその小学生とは、視線がかみ合いません。
不思議に思って下を覗いてみると
見覚えのある頭がふたつ、仲良く並んで小学生に手を振っています。
少女趣味の花柄のパジャマと、超透け透けのネグリジェです。


 「おまえらレズか・・・」



 この時代、最長距離を走るこの「富士」号は、
上り下りともに子供たちにとっては、一番人気のブルートレインでした。
しかしこの場面に遭遇をしてですら、私はそのことをまったく理解していませんでした。




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アイラブ桐生 (21) ブルートレイン「富士」号(前)

2012-05-24 08:53:48 | 現代小説
アイラブ桐生 第二部・第二章
(21)ブルートレイン「富士」号(前)
 『発車と別れのベル』


(東京と西鹿児島※現在の鹿児島中央駅※をむすぶ、日本最長の特急寝台「富士」号です)



 簡単な身の回り品だけを詰め込んだボストンバッグだけを持って、
百合絵と一緒に東京駅に着いたのは、午後5時半をすこし回った時刻です。



 「送る主役は、決してあんたじゃないのよ。
 美恵子と優子を見送ってあげるのが、今日の私の主な仕事です。
 二度と帰ってこないあんたなんか、ついでのついでだわよ・・・・ふん。
 まったくもっての、おまけそのものだわ」



 百合絵は、アパートを出た時から
そんなことばかりを(一人ごとのように)つぶやいています。
山の手線に乗り換えてからは、ひと駅停まるたびに目的の東京駅が近づきました。
そのたびに百合絵は、不機嫌ぶりをますます露骨に見せます。
東京駅へ着き、寝台特急のプラットホームへすすむ階段の下へ到着したところで、
これえきれずに、ついに百合絵が立ち止まってしまいます。



 右腕を、あっというまに強い力でつかまれました。
そのまま身体を預けてきた百合絵に、身体ごと強く押され、
二人はもつれあったまま、崩れるように通路の壁に張り付いてしまいました。
「5分だけでいいから、あなたとこうして居たい・・・・」
私の胸に頭をうずめた百合絵は、そのまま動かなくなってしまいました。
ようやくのことでこちらも体勢を立て直し、正面から百合絵を受け止める形が整いました。
背中に向かって両腕をまわし、しっかり抱きとめる体勢に変わると
ほっとした百合絵が、やがて全身から力を抜きはじめます。




 多くの人たちの目線を感じながらも、百合絵の温かい吐息を
胸にしっかりと受け止めて、時間と人びとの流れをやりすごすことにしました。



 「あリがとう群馬。もう行こうか・・・・私の気も済んだし、
 美恵子や優子も心配して待ってるから。」



 ようやく落ち着いたのか・・・・それから10分ほども経ってから、
百合絵が自分に言い聞かせるようにつぶややいて、ゆっくりと私から身体を離しました。




 美恵子と優子はすでに、ホームで待機中していました。
寝台特急「富士」号の東京駅出発は、30分後に迫った、18時40分の予定です。
九州の東海岸線を南下する日豊線を経由して、終着の西鹿児島駅への到着は、
翌日の19時35分の予定になっています。
「富士』号は総延長の1574㎞を、24時間以上かけて走る日本最長の寝台列車です。




 「ねぇ・・・・遅かったじゃぁないの? 」優子が百合絵にすり寄ります。

 「え?まだ30分も前でしょう。時間はたっぷりあるはずですが」

 「またぁ。とぼけて・・」 

 百合絵のまわりを一周しながら、「なんか別人の匂いがするなぁ・・」。

 見かねた、優子がやってきます。



 「いじめない、いじめない。
 群馬は極めて神士だもの、やましいことなんかしないわよ。
 すこしだけ、二人でお別れを惜しんだだけのことなのよ、きっと。
 たぶん。ねぇ・・・・百合絵 」

 「まぁ、そんなところかしら」



 百合絵はもう、それほど動じません。
寝台特急の「富士」号がその雄姿を見せて、ホームへ入線をしてきました。
待ちかまえていた人々で、ホームが瞬時にざわつきます。
乗車券片手に荷物を持った人たちが、それぞれ一斉に立ち上がります。
多くの視線がやがて乗客となる富士号の、きわめてゆっくりとした重厚なその
停車の様子を、固唾を呑んで見守り続けています。



 私たちが予約したB寝台は、3段ベッドの寝台です。
一番下のベッドが座席替わりとなっていて、これを3人掛けで使用することになります。
中段のベッドは座った頭の位置で、慨に畳み込まれていました。
とりあえず座席の下に荷物を置いて、
再び、百合絵が立ちつくしているホームへと舞い戻りました。





 「これでもう、ほんとの、お別れね 」




 うついたままの百合絵の目は、もうすでに涙ぐんでいます。
正直、もう東京に戻るつもりは私にはありません
自分の身体のどこかで、すでに都会への拒絶反応も出ています。
やはり私も、都会では暮らせないという、野性派の人間の一人のようです。
人一倍、さびしがり屋のくせに、どこかで人見知りするところも持っているのです。



 「大都会で暮らすためには、私の神経のどこかを麻痺させる必要がある。
 全部をそれこそ感度を良くしたままにしていたら、とても私自身がもたないもの。
 ここは、いつだって自己防衛で四苦八苦をしているだけの、緊張の町だもの、
 張りつめた毎日ばかりで、もう私の心と神経が持たないわ・・・・
 大学が終わったら、やっぱり私は暮らし慣れた、もとの田舎へ帰ると思う」



 昨夜、しんみりと語っていた百合絵の言葉です。
いつのまにか、私たちはぴったりと身体を寄り添い合っていました。
ガラス越しに此方を振り返った優子が、私たちに気がついて小さく手を振ると、
また、目線を反らせて背中を見せました。
必要のない荷物の整理をするそぶりなどを、わざと見せてくれています。



 「どこで暮らして生きていくかなんて、そんなことは誰にも分からない。
 それを見つけるために、俺は旅に出てきた。
 しかし、いまだに自分の本当の居場所が見えてこない。ままだ
 百合絵くらいに、絵を描く才能があれば別だけど、
 余り才能が無いもんなぁ・・・・俺には」




 発車間際の感傷からか、思わず、本音がこぼれてしまいました。



 「うん、あんたのデッサンは、本当に下手くそだもの。
 でも、あたしよりもましなものを、いくつも何処かにたくさんもっている。
 あたしは、ちっちゃいころから画を書くことだけが好きな少女だった。
 そのせいか、いつまでたっても、ろくな友達ができなかった。
 中学も高校も、もしかしたら大学までも、
 一人ぽっちのままかもしれないって、そう覚悟もして生きてきたの。
 幸いなことに、今は優子や美恵子がいるけどね。
 それに・・・・・・」




 と言いかけたところで、百合絵が後の言葉をのみこんでしまいました。
列車の窓際に居る優子と美恵子の視線をさけるようにして、くるりと背中を向けました。
柱の影に回り込んだ百合絵が、小さな声でつぶや続けます。




 「たったの半年だったけど、
 私はあんたと知り合えて、とても心の底から楽しかった。
 画にのめりこむことも大好きだけど、
 人を好きになるのは、
 もっと素晴らしいことだっていうことが、いまでは心底分かりました。
 感謝をたくさんしています。
 へたくそなあんたの絵だけど、あんたの絵にはわたしに無いのものがある。
 あんたはいつでも、どんな時でも、みんなの中に溶け込んでいるし、
 私の中へも入ってきてくれた。
 私は生まれて初めて、そういう人と出会いました。
 大学での勉強が終わったら、私は胸を張って田舎へ帰ります。
 いい恋してきたぞ~
 片思いだったけど、とってもいい恋をしてきたぞ~って・・・
 胸を張って、自信を持って田舎に帰りたいと思います。
 次に好きになる人のために、百合絵は、もっといい女にきっと生まれ変わります。
 ・・・・あんたに誓います。
 優しい気持ちを、たくさん私にありがとう。
 この宝物を大切に胸に抱いて、百合絵は絶対に、
 いい女に生まれ変わってみせるから・・・・」




 ありがとう・・
そう言いいながら百合絵が、ついに、私の胸の中で本気で泣き始めてしまいました。
ベルが鳴るまで・・・・ベルが鳴るまでといいながら。



 言うべき言葉はなにも見つからず、
私は、由梨絵の細い肩だけをしっかりと抱きしめていました。
やがて発車のベルが鳴り響き、人影がすっかりと消えてしまったホームで
私はいつのまにか、百合絵の温かくて、とても柔らかいその唇に初めて触れていました。



(昔懐かしい、キッチン列車の様子です)



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アイラブ桐生 (20)  さらば東京(前篇)

2012-05-23 08:00:10 | 現代小説
アイラブ桐生 第二部・第二章 
(20)  さらば東京(前)
   『さよならはダンスの後で』

(昭和レトロのダンスホールは、こんな感じでした・・・・)


 
 沖縄行き送迎会の当日になりました。

 元全共闘の兄を持つ美恵子の、全青連(全国青年団連合会)による
沖縄派遣参加が正式に決まりました。
沖縄の本土復帰を願って長年にわたって取り組まれてきた活動のひとつで、
本土と沖縄の青年たちの交流を主な目的としています。


 現地集合で現地解散と言う、きわめて大胆なスケジュールです。
ちょうど一年ぶりに帰郷をするという優子が、美恵子に同行することになりました。
話をきいているうちに、(もともと私も、沖縄には興味を持っていたため)
『俺も行こうか』となにげなく発言をした瞬間に、
もう美女二人から、熱い視線で大歓迎をされてしまいました。



 ちらりと横目で見たときに・・・・
なぜか不満顔をしている百合絵に気がつきましたが、私にしてみれば
軍資金も溜まってきたことでもあり、そろそろ行動開始の時期と決めていたので
それほど気にもとめませんでした。
早速パスポートの申請手続きをして、それからは沖縄行きの準備が
あわただしく始まりました。
といっても荷物がそれほどある訳ではなく、若干の気持ちの整理と言うか、
『心の準備だけ』をするという、実にたわいもないレベルです。


 

 送別会の会場は、いつものお下げ髪のお店です。
最初に顔をだしてくれたのは、半年あまりにわたってお世話になった、
青柳インテリァのひげ社長と奥さんの二人です。
生まれたばかりの赤ちゃんは、奥さんの母親が自宅で面倒を見てくれています。
乳幼児用の保育の施設が見つかるまでは、泊りこんだままで
世話を焼いてくるという話に安心をしました。



 「嫁が二人もいるようで、このまま(保育園が)見つからないほうが俺には助かる!」 
 とひげの社長は大笑いをしています。


 「いい旅をしてきてね」
 早くも涙ぐんでいる奥さんからは、餞別と一緒に花束までもらいました。
入れ替わるようして、守が舞台衣装のままでやってきて来ました。

 「お前には、すっかりと世話になったなぁ」とだけ繰り返しています。
「達者でやれよ、まあ・・・・お前なら日本のどこに行っても大丈夫だ!」と、
激励だか失言だか解らない言葉を繰り返していました。
頃愛を見計るように、やおらビールを継ぎ足し、カウンターに居る京子に投げキッスをしてから
じゃあなともう一度手を振り、あっさりと消えていってしまいます。


 「ごめんね~。 最近すこし忙しいの・・
 せっかくの旅立ちだというのに、愛想が無くてごめんなさい。」
 

 京子がカウンターから首を伸ばして、代わりに謝ってくれています。





 沖縄出身の優子と
全共闘の妹、美恵子がほろ酔い加減でやってきました。
学内で送別会を、いくつも『ハシゴ』をしてきたそうです。
さらに日が暮れてから、茨城くんがいつもの一張羅の背広姿でやってきました。
さっちゃんが涼しい顔で登場したのは、それからさらに10分も経ってからです。


 「まだ、焦らしているの」

 ・・・・と小声でさっちゃんに聞くと、

 「あわてる乞食はもらいが少ないから、
 簡単に落ちたら駄目と、百合絵さんからきつく停められています。
 女の値段が下がるから、ここはもう少し様子を見なさいって
 みんなからもまた、クギもさされています・・・・」

 (じゃあまだ、当分の間は、おあずけか・・・・大変だな茨城くんも)

 (そう思うでしょ。私も少しだけ可哀そうかなとは思うけど・・・
 でも、惚れるよりは、惚れさせたほうが勝ちだって、みんな言うし。)



 なるほど、と笑いをこらえながらさっちゃんの耳打ち話を聴いている時でした。
「私の男を取るな!」と百合絵が現れました。
雑誌を小脇に抱えたまま、花束などを振りまわしながらの登場です。
こちらはもうどこで呑んできたのか、完璧といえる酔っぱらいぶりです
もどかしく靴を脱ぎ捨ててから、ようやくの様子で座敷へ這い上がり、
無造作に『餞別ッ。』といいながら、テーブルの上へ
赤いリボンのついた雑誌を投げ出しました。




 「手こずった。
 神田の古本街を、さんざん探してみたけど見つからなかったので、
 しかたがないから、全共闘あがりを酔い潰して、
 そいつのところから、貴重な2冊を失敬してきた。
 美恵子。後で謝っておいて頂戴ね、
 この本の持ち主で、全共闘くずれのあんたの兄貴に・・」



 それだけ言うと花束を胸にかかえこんだまま、、 
私の肩にもたれかかり、百合絵があっさりと眠り込んでしまいます。
投げ出されたのは、全共闘の学生たちの愛読書ともいわれた、
かつての月刊誌・ガロでした。
それも「つげ義春」と「永島慎二」のふたりの作家が同時に掲載されているという、
きわめてマニアには希少価値のある、数のすくない貴重な一冊です。
あれこいつ? いつのまに俺の好きな作家を覚えたんだろう・・・



 やがて、午後8時を過ぎた頃に、送別会が散会になりました。
優子と美恵子とは明日の夕方に、また東京駅のホームで再会をすることになります。
さっちゃんと茨城は、例によっていつもの言い訳を残しながら、
仲良く肩を並べて、夜の街に消えていきました。
ようやく目をさました百合絵は、私の肩にもたれたまま、
それぞれに小さく手を振っただけで、また眠そうに目を閉じました。


 「踊りに、行きたいなぁ・・・」




 しばらく経ってから、ぽつんと百合絵がささやきました。


 かまわないが何処がいいと聞くと、同級生の歌が聴きたいと応えます。
距離があるっから、夜道をすこし歩くけど大丈夫かいと聞きなおすと、
酔いざましだ・・・とふらりと立ち上がり、上がり口で自分の靴を探しています。
本人が言っている以上に、百合絵は千鳥足です。
めずらしく酔いすぎている百合絵に肩を貸しながら、
ゆっくりと、例の古ぼけた路地裏地区を目指して歩き始めました。





 今日は平日でまだ早い時間のためか、お店はすいていました。
前回に来た時には気がつきませんでしたが、、ステージの斜め向かい側に、
テラス風の小さな中二階が見えました。
バンドと音合わせしていた守が、気配に気がついて振り返りました。
まだふら付いている百合絵の様子を見ると、守がだまって中二階を指さします。


 階段を上がっていくとそこには、ソファと小さなテーブルが置いてあるだけの、
静かな暗闇の空間が待っていました。
そこからホールを見おろしてみると、小じんまりとしたここの空間だけが、
誰にも邪魔されない秘密空間のような雰囲気を持っていることに、初めて気がつきました。



 守がウイスキーのボトルとグラスを持ってきて上がってきます。
ここは特別席で、俺専用の秘密の花園だと言って、声を殺して笑っています。
1杯だけ水割りを作り、それを一口にあおってから、
じゃあ、そろそろ出番だからと言って去っていきます。




 百合絵はグラスを持ったまま、
また、私の肩にもたれてまどろみはじめました。
バンドの演奏が始まりました。
ドラムにバンドネオンとピアノ、サックスにギターという
かなり見た目にもシンプルで、かき集めにすぎないように見える楽団です。

 しかし、音は悪くありません。



 丁寧な音の取り方と、使い込んだと思われる楽器の響きには
長年これだけで食ってきた男たち特有の『魂』さえを感じさせてくれます。
稼ぎが少なくなった演奏家たちが、生き残りのためにこんな場末に来てまでも、
まだ、しっかりと誇りを持ちながら演奏に専念している・・
そんな意気込みを充分に感じさせてくれる、実に見事な楽器と音の競演でした。


 薄暗いホールで踊るカップルの数が増えてきました。
守の歌も悪くありません
歌声自体もまた、楽器のひとつだと思わせるほど、
伴奏と息をあわせながら、きれいに調和させていく歌い方には
とてもここち好く、人を酔わせる響きがありました。






 「踊ろう。」
肩に手を置いて、百合絵が立ち上がりました。
「大丈夫なの?」と声をかけると

 「東京で、最後の夜だもの。
 どうせもう、あんたは此処に帰ってこないでしょう。
 このまま別れてしまったら、私の心が明日になったら悲鳴を上げる・・・
 踊ろう、群馬。」

 階段から振り返った百合絵の顔は、暗闇の中でもまっ白に見えました。




 『帰ってこないでしょう』と、そう言われた瞬間に、
たぶん、それだけはこの先での事実になると自分でも確信をしていました。
最初から、バイトしながら南を目指す予定の旅でした。
その旅から、中途半端になってしまっている自分の夢を探しだすつもりでいるのです。
東京はそのためのただの出発点にすぎず、戻ってくるべき理由は
なにひとつとして無いと言うのがと本音です。


 最初の旅の目的地は、
72年に施政権返還が決まった占領地の沖縄になりました。
そう決めた瞬間からは、すでに東京は『通過するだけ』の過去の街に変わりました。
百合絵のよくくびれている腰に、先日教えられたようにように確信を持って手を回しました。
「今日は、そこじゃないの。」、百合絵の細くしなやかな指が伸びて来て、
そのままチークダンスの時のように、自分の肩に導びいていきました。


 「あれ・・・・前と、違うぜ。」とささやけば・・・



 「そう?。
 ならいいのよ、私が嫌いならもっと離れて頂戴な。
 でもそれは、もしも、今度会えた時のためにだけ大事にとっておいてください。
 お願いだから今夜だけは、私のわがままを聴いて。
 今夜は、こうして貴方と、密着をしていたいの。
 ねぇそれじゃあなたは・・・迷惑なの?。」


 耳もとで百合絵が甘えた声でささやきました。
なんにも答えずに、あえて押し黙ったまま、百合絵と繋がれていた左手を離すと
そのままくびれた腰に回しこみ、あえて指先にも強い力をこめてみました。
口ほどにもなく、百合絵の背筋はピクリと拒絶するような反応を見せました。
頬を染めた百合絵は、躊躇と共にその目線までなぜか伏せてしまいます。

 やがて意を決したのか・・・
私の腰にまわしていた自分の両腕を解き離すと、
あげた目線と一緒に、私の首へしなやかに抱きつくようにまわしこんできました。
頬が触れ合う寸前にまで、百合絵の白い顔が近づいてきます。




 一曲目が終わった直後に、
ステージに歩み寄った女性が、何やら守に言葉をかけています。
次の曲のリクエストのようです。
守が後ろを振り返り、バンドに指示を出しはじめています。
今度は一転して静かな旋律が流れてきました・・・・。
りクエストに応えてホールに流れ始めた守の歌声は、少し古い時代の歌謡曲でした。


 「私も、リクエストしょうかしら・・」




 顔をうずめたまま静かに踊っていた百合絵が、私の胸の中でつぶやきました。
くるりとターンをした後、その曲が丁度終りになりました。
「頼めば、」と、そう言った瞬間には、もうすでに
百合絵は、元気に片手をあげています。
歌いながら私たち二人の踊る姿を、目で追いかけていた守が、すかさずの反応をみせました。


 「はい。
 そこのチャーミングなお嬢さん。
 よろこんで、次の曲へのリクエストを頂戴します。
 明日は旅立つ人へ、変わらぬ気持ちをこの1曲にをこめて・・・
 大好きな人へ、今夜の記念と思い出のために、
 今夜は私が、あなたの気持を代弁をして、心をこめて歌いましょう!
 さァさぁお嬢さん、リクエストをどうぞ!」


 頬を上気させた百合絵が舞台に駆け寄りました。
手招きして守を呼び寄せ、、中腰になった耳へ何かをささやいています。
嬉しそうに顔あげ身体をおこした守がバンドへ振りむくと、軽快に指を鳴らし始めました。
すこしアップテンポの曲がはじまります・・・・

 賠償千恵子だ。『さようならはダンスの後で』・・・




 ホール内に軽いどよめきが湧きあがります。
しかし守の歌声が響き始めるころには、
もうあちこちで軽快なステップが踏まれるようななりました。
今までスローな曲ばかり流れていた床に、軽快な靴音がひびきはじめます。

 すこし長めの余韻をひいて、最後の旋律が響く中、
踊り終えたカップルからの拍手が、ホールのあちこちから湧きあがります。


 汗ばんで踊り終えた百合絵が、瞳をキラキラさせながらもう一度と指を一本立てました。
隣に並んでいたカップルも、同じように指を一本立ててくれました。
そのとなりにいた中高年のカップルは、もっと大きく、
両手を広げ、指を天井に向かって高々と一本を突きたてました。
守も片目をつぶり、にっこりと笑っています。
大きく息を吸い込んだ後、守が指を一本、百合絵に向かって突き立てました。



 ワンスモァだ。!


 嬉しそうな百合絵が、また一目散に私の胸に帰ってきました。
隣もその隣も、またその隣も、そんな百合絵に優しい頬笑みをプレゼントしてから
ぐるりと、二人が踊るための空間を、実にたっぷりと開けてくれました。
耳慣れた、たった今聞いたばかりのイントロが、
また軽快な靴音と共に、ホールいっぱいに響き始めました。
今夜は、眠れない夜になりそうです・・・




(おなじく、昔のダンスパーティの時のスナップです)




■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/

アイラブ桐生 (19) デッサンの合間に(2)

2012-05-22 11:21:56 | 現代小説
アイラブ桐生
(19)第1章 デッサンの合間に(2)
『京子の瞳』







 翌朝、怪奇館の百合絵の部屋には、女子の4人がすでに勢ぞろいをしていました。
お互いに顔は見知っているはずだから、いいから京子をここまで連れて来いと
強い口調で百合絵に命令をされてしまいました。
さては、なにか秘策でも見つかったのかと聞き返すと・・・・


 「そんなものが、簡単に見つかるはずがないでしょう。
 とりあえずは、3人寄れば文殊の知恵だ。
 単なる女同士の井戸端会議をはじめるから、さったさとあんたは呼びに行け。」




 開口一番、頭ごなしに百合絵に、そう命令をされてしまいました。
まんざら対策を考えていない訳ではないが、男のあなたにいまさら説明をしたところで
到底理解ができない世界だから、いいから、あんたは彼女を早く呼びに行けと、
強い剣幕のまま、あっさりとアパートを追い出されてしまいました。


 約束の場所へ行くと、京子は白い顔でうつむいていました。
病院へ行く前に、少しだけ紹介したい人たちがいるからと説得をすると、
なんの疑いもせずに京子は、黙って後ろから怪奇館までについてきました。


(覚悟を決めた女は、ひたすら強いと言う話はよく聞きますが
京子からは、なにがあろうとも白紙のままで全てを受け入れるような何故か
飽きらめにも似た、不思議な落ち着きぶりを感じました)





 百合絵の部屋に案内をした瞬間に、
すでに待ちかまえていた笑顔の女どもが、あっというまに京子を取り囲みます。
入ろうとした寸前、「女たちだけの話だから、今回ばかりは男は邪魔だ!」と
ドアが猛烈な音を立てて、私の目の前で閉められてしまいました。
じゃあ私はどうしたらいいのだ、とドア越しに百合絵に声をかけました。
「いいからこちらの事は全く気にしないで、2~3時間潰しておいで~」と軽く、
内側からいなされてしまいました・・・・
追い出されたままに階下の茨城くんを訪ねると
朝からのただならぬ物音にに、すでに位変には気がついていたようです。



 「なにが起った?
 さっちゃんも、あいつらの2階へに来ているようだが・・・・
 お前は、なにが起きたか知っているんだろう。
 連れてきたあのお下げ髪は、例の飲み屋の看板娘だろう?
 女が5人も朝から集まって、いったい何が始まるんだ・・・なあ群馬。」


 説明をすると長くなります。
まあ、いいから映画でも見に行こうと、茨城君と連れだってアパートを出ることにしました。
女同士の話の決着が、どのようにつくのかはまったく予測がつきません。
同じ空間にひたすら待機しているのが、どうにも耐えられないので歩くことにしただけです。
大好きな「フ―テンの寅さん」をリバイバル上映でぼんやりと観た後、
二人で、立ち食いの蕎麦を掻き込みました。
どうにも遅く進む時計の針を横目で見ながら四苦八苦でをしつつ、
さらに時間をつぶして、ようやくの思いでアパートへと戻った時は、
すでに正午をすこし回っていました。



 戻った瞬間に二階から、百合絵の声がかかってきました。
この重大な時に、貴方達はなにをのんびりと遊び回っているのと、
今度はきつい目をした百合絵から本気で、こっぴどく怒られてしまいました。
今日は何をしても、百合絵には気にいってはもらえない一日のようです・・・・



 今度は、急いでハンコを持って2階へ上がってこいと命令をしてきました。
旅の途中なので三文版しか持っていないが、それで大丈夫なのかと聞き返すと
いいからそいつを持ってさっさと上がって来いと、さらに高飛車にせかしています。
(う~ん、こいつまで、レイコみたいな命令口調になってきた・・・・)





 ハンコを持って百合絵の部屋へ上がっていくと、
女たち5人が車座になっていて、その真ん中には、ポンと婚姻届が置いてありました。
(婚姻届! なるほど・・・3人寄れば文殊の知恵と言うが、

女が5人も居ると、途方もない手を思いつくもんだ。へぇ・・・・)

 女性が記入する欄には、すでに京子の名前と本籍地の住所が書いてあります。
さらに立会人の欄には、流れるような筆跡で百合絵の名前が書いてあり、
そこにはすでに、綺麗に百合絵のハンコが押されています。
反対側にある立会人の欄に、おまえの名前を書いてハンコを押せと、
百合絵が、婚姻届を私の目の前に突き出してきました。
「いつ出すの、これって?」と聞きながら、名前を書きこんでいると


 「これから次第の話だよ。
 京子の本籍地から戸籍の書類を取り寄せないと、正式なものにはならないし、
 あなたの友人が、結婚を承諾するかどうかも微妙な問題だわ。
 でもまぁとりあえず、京子には、ひと時の気休めになると思う。
 この婚姻届けは、今のこの時点で、
 母と赤ちゃんの二人が生きているという、れっきとした証明書なのよ。
 これを突き付ければ、たぶんだけで、あんたの同級生も、
 重い事実として、これを受け止めてくれると思うわ。」



 女性陣のアイディアで、物事が順調に進んでいるようです。
その先での対策も、女たちの中ではすでにできあがっているようです。
夕方からは全員で飲みに出かけるという予定で、それには茨城君も誘われました。
問題は、その簡までの時間をこの人数でいったいどのようにして過ごすかでしたが、
百合絵の発案で京子をモデルに、画を書こうという話しになりました。
しかし、長い時間もモデルを頼むと、京子は身重だから・・と言いかけた処で、
百合絵にスケッチブックで、思いっきり頭を殴られました。



(もう少し空気を読め。このとうへんぼく。)
急接近してきた百合絵の両目が、本気の怒りで燃えています。
(そうだ、まだ何事も解決をしたわけでは無い。実はこれから先が本番なんだ)

 百合絵の意図するものは、よくはわかりません。
とにかく展覧会に出す時のように、自分の代表作を仕上げるつもりで本気で書けと
きつい宣言をされてから、京子を囲んで6人によるデッサン会が始まりました。



 ただし、モデル役の京子にはすこぶる優しいデッサン会でした。
10分もすると、もう百合絵が休憩を宣言します。
モデルが休息している間は、めいめいが細かい部分を仕上げるようにと、
勝手に百合絵が、デッサン会のルールまで突然決めてしまいます。
結局、モデルを見ながら書いている時間帯よりも、京子を休息させたまま、
必死になって細部をしあげている時間のほうが、はるかに多くなってしまいました。
百合絵は京子に、ピタリとはりついたままです。
妹と世間話をしている姉のような雰囲気さえもありました。


 いろいろな角度から書かれた、京子の作品集が出来上がりました。
やはりここでも百合絵の画が、ひときわ抜きん出ています。
つぶらに描きこまれた京子の瞳の中には、人生そのものを覗きこんでいるような、
凄さと、迫力がありありと秘められています。
それでいて、どこかに心になごむような優しい雰囲気も漂っていました。

 百合絵の持って生まれた才能ぶりには、いつでも脱帽です。
百合絵の筆は、女の本性どころか、人間の心の奥深くまで完璧に表現しきります。
絶望と希望が同時に存在をするこの京子の瞳の中に一体百合絵は、何を見たのでしょう・・・・
本物の画家の筆は、人のあり方のそのものを描き出します。
やはりデザインの世界とは格段に違う画家の目線の深さに、驚愕を覚えた一瞬でした。





 やがて・・・書き上がったばかりの全員の作品をしっかりと画帳にとじ込んでから、
百合絵を先頭に、約束通り全員で飲みに出かけることになりました。
その行先は、すでに当初から決まっていました。
一行は、駅裏通りの飲み屋街を一列になって一番奥まで進みます。
突き当たりを右へ曲がると、終戦直後から今も残っている古い建物ばかりが並んでいる
露地通りのひなびた景色が現れました。



 この一角に終戦直後から営業をしているという、ダンスホールがあります。
ここの界隈は、赤線地帯と呼ばれた歓楽街の一つでした。
娼婦や、いきかう男性客たちで賑わいを見せたというかつての路地も
いまはひっそりとしたままで、只の錆びれただけの建物とその空間がひろがっています。
ダンスホールは、そのうちのくすんだ灰色のビルの地下でした。
この界隈の雰囲気には全くそぐわない若い一団が、
そのダンスホールの入口で立ち停まりました。



 あまりにも、若者たちには場違いすぎるという空気が存分に漂っています。
『行くわよ』、百合絵が、ひとつ生唾を飲み込んでから
先頭に立って、暗い階段をおり始めました。
地下に広がっていたダンスホールの空間には、思いの他の広さがあり、
すでに中高年の男女が、バンド演奏に合わせて暗いホールで腕を組み合って
楽しそうに踊っていました。



 この時代で、生バンド入りのダンスホールは、多くがすでにその役割を終えていました。
世間や巷では、バンド演奏に変わって、8トラックのカラオケが人気を集めています。
譜面台に置いてある歌詞を頼りに熱唱をするという、カラオケ全盛の時代が
すでに日本中ではじまっていました。


 ボーイに案内された我々が、
最後列のテーブルにそれぞれの居場所を決めたころ、
まばらな拍手に迎えられて、スーツ姿の守が正面の舞台に出てきました。
頃あいを見計って、少しだけスローテンポのイントロが流れてきました。



 森新一のような、かすれた声が守の持ち味です。
久し振りに聞く守の歌唱でしたが、正直、ずいぶんと上手くなったと感じました。
声を張り上げることもなく、ほどよく伴奏と調和をしながら
急がずに、優しく語りかけるような歌い方も素敵です。


 「踊ろうか、群馬。」




 耳元で百合絵がささやきました。
うんと答えたものの、躊躇もあってやや遅れて立ち上がっていたら、
百合絵はさっさと一人でホールの方へ行ってしまいます。
背筋を伸ばした百合絵は、まったく躊躇などは見せる様子もなく、
守が歌っている舞台のまん前まで、悠然と歩み出ます。
守が自分の目線のまん前を横切っていく、百合絵の姿にどうやら気がついたようです。
私もついに覚悟を決めて百合絵の正面に立ち、右手をその肩に置こうとしたら、


 「群馬・・・それは、チークダンスでしょ。
 本当はねぇこの手はこうして、指は伸ばしてここへこうするの。」



 私の耳元に口をよせて、百合絵が優しくささやいています。
ためらわずにやってきた百合絵の細い指は、私の指をつかむと自分の背中側へまわし込み、
背筋に沿ったあたりから、さらにすこしだけ、お尻に向かってちょっぴり下方へずらします。
背中と腰のくぼみの定位置へ、私の掌が落ち着きました。



 「指は、きれいにまっすぐ伸ばしてね。
 ほら・・もうすこししっかりとくっついてよ。遠慮しないで。」




 「上手だわ。次に私がターンをしたら、同級生のすぐ目の前へ行くわよ。
  リードをよろしくね。」



 お願いしますと、百合絵が片目をつぶります。
くるりと回わりながら、ステップを踏み、百合絵と私が守の真下へ接近します。
守はすっかり、目と鼻の先です。歌唱中の守が目を丸くして驚いています。
百合絵がにこやかに笑顔を見せると、私から右手を離して守へ小さく手を振り始めました。
つられて私まで、守に手を振ってしまいました・・・・



 もう一度、守の目線がこちらを向いたとき、
百合絵が最後列に座っている京子たちの方向を、こっそりと指差しました。




 「上手くいくのかなぁ」

 「当人同士の問題だもの。
 産むのも産まないのも、二人の結論次第の話でしょ。
 よくある話だし・・・
 それでも京子に、あれだけの数の親衛隊がいれば、
 あんたの親友も、この先で少しは考え直してくれるでしょう。」



 「そんなものかなぁ・・・」



 「あのデッサンは、
 全部私たちから、京子への応援と激励のメッセージなのよ。
 東京でまた、お友達が増えたことの記念の品。
 今の京子にもっとも必要なことは、たくさんの女友達をつくることだと思う。
 誰にでも何でも話せるようになれば、一人で悩むことも無くなるし、
 女っていうものは、群れていることで安心ができるという生き物なのよ。
 まぁ、そんな事を言っても鈍感な群馬には解らないか・・・
 そんなことよりも、さぁ
 あんた本当に彼女、いないの・」




 まじまじと正面からのぞき込んでくる百合絵の目が、何故かはにかんで見えます。


  「あたしとじゃあ、だめかな・・・」

 聞き取れないほどの小声でささやき、、
くるりと綺麗なターンを二度ほど見せてから百合絵の唇が、再び耳元に寄ってきました。


 「今日だけの、思い出をつくっておこう。
 どうせ私になんか、振り向いてなんかくれないんだもの、
 明日泣く前に、
 せめて今日だけを、楽しませて。」



 どうして、レイコに似たような女ばかりが寄ってくるのだろう・・




アイラブ、桐生





 第二部 第一章(完)

 第2章では、施政権返還前の沖縄に舞台が移ります。
まずは、寝台特急「富士」で、九州、最南端までの鉄路の旅を辿ります








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アイラブ桐生 (19) デッサンの合間に(2)

2012-05-22 10:16:32 | 現代小説
アイラブ桐生
(19)第1章 デッサンの合間に(2)
『京子の瞳』







 翌朝、怪奇館の百合絵の部屋には、女子の4人がすでに勢ぞろいをしていました。
お互いに顔は見知っているはずだから、いいから京子をここまで連れて来いと
強い口調で百合絵に命令をされてしまいました。
さては、なにか秘策でも見つかったのかと聞き返すと・・・・


 「そんなものが、簡単に見つかるはずがないでしょう。
 とりあえずは、3人寄れば文殊の知恵だ。
 単なる女同士の井戸端会議をはじめるから、さったさとあんたは呼びに行け。」




 開口一番、頭ごなしに百合絵に、そう命令をされてしまいました。
まんざら対策を考えていない訳ではないが、男のあなたにいまさら説明をしたところで
到底理解ができない世界だから、いいから、あんたは彼女を早く呼びに行けと、
強い剣幕のまま、あっさりとアパートを追い出されてしまいました。


 約束の場所へ行くと、京子は白い顔でうつむいていました。
病院へ行く前に、少しだけ紹介したい人たちがいるからと説得をすると、
なんの疑いもせずに京子は、黙って後ろから怪奇館までについてきました。


(覚悟を決めた女は、ひたすら強いと言う話はよく聞きますが
京子からは、なにがあろうとも白紙のままで全てを受け入れるような何故か
飽きらめにも似た、不思議な落ち着きぶりを感じました)





 百合絵の部屋に案内をした瞬間に、
すでに待ちかまえていた笑顔の女どもが、あっというまに京子を取り囲みます。
入ろうとした寸前、「女たちだけの話だから、今回ばかりは男は邪魔だ!」と
ドアが猛烈な音を立てて、私の目の前で閉められてしまいました。
じゃあ私はどうしたらいいのだ、とドア越しに百合絵に声をかけました。
「いいからこちらの事は全く気にしないで、2~3時間潰しておいで~」と軽く、
内側からいなされてしまいました・・・・
追い出されたままに階下の茨城くんを訪ねると
朝からのただならぬ物音にに、すでに位変には気がついていたようです。



 「なにが起った?
 さっちゃんも、あいつらの2階へに来ているようだが・・・・
 お前は、なにが起きたか知っているんだろう。
 連れてきたあのお下げ髪は、例の飲み屋の看板娘だろう?
 女が5人も朝から集まって、いったい何が始まるんだ・・・なあ群馬。」


 説明をすると長くなります。
まあ、いいから映画でも見に行こうと、茨城君と連れだってアパートを出ることにしました。
女同士の話の決着が、どのようにつくのかはまったく予測がつきません。
同じ空間にひたすら待機しているのが、どうにも耐えられないので歩くことにしただけです。
大好きな「フ―テンの寅さん」をリバイバル上映でぼんやりと観た後、
二人で、立ち食いの蕎麦を掻き込みました。
どうにも遅く進む時計の針を横目で見ながら四苦八苦でをしつつ、
さらに時間をつぶして、ようやくの思いでアパートへと戻った時は、
すでに正午をすこし回っていました。



 戻った瞬間に二階から、百合絵の声がかかってきました。
この重大な時に、貴方達はなにをのんびりと遊び回っているのと、
今度はきつい目をした百合絵から本気で、こっぴどく怒られてしまいました。
今日は何をしても、百合絵には気にいってはもらえない一日のようです・・・・



 今度は、急いでハンコを持って2階へ上がってこいと命令をしてきました。
旅の途中なので三文版しか持っていないが、それで大丈夫なのかと聞き返すと
いいからそいつを持ってさっさと上がって来いと、さらに高飛車にせかしています。
(う~ん、こいつまで、レイコみたいな命令口調になってきた・・・・)





 ハンコを持って百合絵の部屋へ上がっていくと、
女たち5人が車座になっていて、その真ん中には、ポンと婚姻届が置いてありました。
(婚姻届! なるほど・・・3人寄れば文殊の知恵と言うが、

女が5人も居ると、途方もない手を思いつくもんだ。へぇ・・・・)

 女性が記入する欄には、すでに京子の名前と本籍地の住所が書いてあります。
さらに立会人の欄には、流れるような筆跡で百合絵の名前が書いてあり、
そこにはすでに、綺麗に百合絵のハンコが押されています。
反対側にある立会人の欄に、おまえの名前を書いてハンコを押せと、
百合絵が、婚姻届を私の目の前に突き出してきました。
「いつ出すの、これって?」と聞きながら、名前を書きこんでいると


 「これから次第の話だよ。
 京子の本籍地から戸籍の書類を取り寄せないと、正式なものにはならないし、
 あなたの友人が、結婚を承諾するかどうかも微妙な問題だわ。
 でもまぁとりあえず、京子には、ひと時の気休めになると思う。
 この婚姻届けは、今のこの時点で、
 母と赤ちゃんの二人が生きているという、れっきとした証明書なのよ。
 これを突き付ければ、たぶんだけで、あんたの同級生も、
 重い事実として、これを受け止めてくれると思うわ。」



 女性陣のアイディアで、物事が順調に進んでいるようです。
その先での対策も、女たちの中ではすでにできあがっているようです。
夕方からは全員で飲みに出かけるという予定で、それには茨城君も誘われました。
問題は、その簡までの時間をこの人数でいったいどのようにして過ごすかでしたが、
百合絵の発案で京子をモデルに、画を書こうという話しになりました。
しかし、長い時間もモデルを頼むと、京子は身重だから・・と言いかけた処で、
百合絵にスケッチブックで、思いっきり頭を殴られました。



(もう少し空気を読め。このとうへんぼく。)
急接近してきた百合絵の両目が、本気の怒りで燃えています。
(そうだ、まだ何事も解決をしたわけでは無い。実はこれから先が本番なんだ)

 百合絵の意図するものは、よくはわかりません。
とにかく展覧会に出す時のように、自分の代表作を仕上げるつもりで本気で書けと
きつい宣言をされてから、京子を囲んで6人によるデッサン会が始まりました。



 ただし、モデル役の京子にはすこぶる優しいデッサン会でした。
10分もすると、もう百合絵が休憩を宣言します。
モデルが休息している間は、めいめいが細かい部分を仕上げるようにと、
勝手に百合絵が、デッサン会のルールまで突然決めてしまいます。
結局、モデルを見ながら書いている時間帯よりも、京子を休息させたまま、
必死になって細部をしあげている時間のほうが、はるかに多くなってしまいました。
百合絵は京子に、ピタリとはりついたままです。
妹と世間話をしている姉のような雰囲気さえもありました。


 いろいろな角度から書かれた、京子の作品集が出来上がりました。
やはりここでも百合絵の画が、ひときわ抜きん出ています。
つぶらに描きこまれた京子の瞳の中には、人生そのものを覗きこんでいるような、
凄さと、迫力がありありと秘められています。
それでいて、どこかに心になごむような優しい雰囲気も漂っていました。

 百合絵の持って生まれた才能ぶりには、いつでも脱帽です。
百合絵の筆は、女の本性どころか、人間の心の奥深くまで完璧に表現しきります。
絶望と希望が同時に存在をするこの京子の瞳の中に一体百合絵は、何を見たのでしょう・・・・
本物の画家の筆は、人のあり方のそのものを描き出します。
やはりデザインの世界とは格段に違う画家の目線の深さに、驚愕を覚えた一瞬でした。





 やがて・・・書き上がったばかりの全員の作品をしっかりと画帳にとじ込んでから、
百合絵を先頭に、約束通り全員で飲みに出かけることになりました。
その行先は、すでに当初から決まっていました。
一行は、駅裏通りの飲み屋街を一列になって一番奥まで進みます。
突き当たりを右へ曲がると、終戦直後から今も残っている古い建物ばかりが並んでいる
露地通りのひなびた景色が現れました。



 この一角に終戦直後から営業をしているという、ダンスホールがあります。
ここの界隈は、赤線地帯と呼ばれた歓楽街の一つでした。
娼婦や、いきかう男性客たちで賑わいを見せたというかつての路地も
いまはひっそりとしたままで、只の錆びれただけの建物とその空間がひろがっています。
ダンスホールは、そのうちのくすんだ灰色のビルの地下でした。
この界隈の雰囲気には全くそぐわない若い一団が、
そのダンスホールの入口で立ち停まりました。



 あまりにも、若者たちには場違いすぎるという空気が存分に漂っています。
『行くわよ』、百合絵が、ひとつ生唾を飲み込んでから
先頭に立って、暗い階段をおり始めました。
地下に広がっていたダンスホールの空間には、思いの他の広さがあり、
すでに中高年の男女が、バンド演奏に合わせて暗いホールで腕を組み合って
楽しそうに踊っていました。



 この時代で、生バンド入りのダンスホールは、多くがすでにその役割を終えていました。
世間や巷では、バンド演奏に変わって、8トラックのカラオケが人気を集めています。
譜面台に置いてある歌詞を頼りに熱唱をするという、カラオケ全盛の時代が
すでに日本中ではじまっていました。


 ボーイに案内された我々が、
最後列のテーブルにそれぞれの居場所を決めたころ、
まばらな拍手に迎えられて、スーツ姿の守が正面の舞台に出てきました。
頃あいを見計って、少しだけスローテンポのイントロが流れてきました。



 森新一のような、かすれた声が守の持ち味です。
久し振りに聞く守の歌唱でしたが、正直、ずいぶんと上手くなったと感じました。
声を張り上げることもなく、ほどよく伴奏と調和をしながら
急がずに、優しく語りかけるような歌い方も素敵です。


 「踊ろうか、群馬。」




 耳元で百合絵がささやきました。
うんと答えたものの、躊躇もあってやや遅れて立ち上がっていたら、
百合絵はさっさと一人でホールの方へ行ってしまいます。
背筋を伸ばした百合絵は、まったく躊躇などは見せる様子もなく、
守が歌っている舞台のまん前まで、悠然と歩み出ます。
守が自分の目線のまん前を横切っていく、百合絵の姿にどうやら気がついたようです。
私もついに覚悟を決めて百合絵の正面に立ち、右手をその肩に置こうとしたら、


 「群馬・・・それは、チークダンスでしょ。
 本当はねぇこの手はこうして、指は伸ばしてここへこうするの。」



 私の耳元に口をよせて、百合絵が優しくささやいています。
ためらわずにやってきた百合絵の細い指は、私の指をつかむと自分の背中側へまわし込み、
背筋に沿ったあたりから、さらにすこしだけ、お尻に向かってちょっぴり下方へずらします。
背中と腰のくぼみの定位置へ、私の掌が落ち着きました。



 「指は、きれいにまっすぐ伸ばしてね。
 ほら・・もうすこししっかりとくっついてよ。遠慮しないで。」




 「上手だわ。次に私がターンをしたら、同級生のすぐ目の前へ行くわよ。
  リードをよろしくね。」



 お願いしますと、百合絵が片目をつぶります。
くるりと回わりながら、ステップを踏み、百合絵と私が守の真下へ接近します。
守はすっかり、目と鼻の先です。歌唱中の守が目を丸くして驚いています。
百合絵がにこやかに笑顔を見せると、私から右手を離して守へ小さく手を振り始めました。
つられて私まで、守に手を振ってしまいました・・・・



 もう一度、守の目線がこちらを向いたとき、
百合絵が最後列に座っている京子たちの方向を、こっそりと指差しました。




 「上手くいくのかなぁ」

 「当人同士の問題だもの。
 産むのも産まないのも、二人の結論次第の話でしょ。
 よくある話だし・・・
 それでも京子に、あれだけの数の親衛隊がいれば、
 あんたの親友も、この先で少しは考え直してくれるでしょう。」



 「そんなものかなぁ・・・」



 「あのデッサンは、
 全部私たちから、京子への応援と激励のメッセージなのよ。
 東京でまた、お友達が増えたことの記念の品。
 今の京子にもっとも必要なことは、たくさんの女友達をつくることだと思う。
 誰にでも何でも話せるようになれば、一人で悩むことも無くなるし、
 女っていうものは、群れていることで安心ができるという生き物なのよ。
 まぁ、そんな事を言っても鈍感な群馬には解らないか・・・
 そんなことよりも、さぁ
 あんた本当に彼女、いないの・」




 まじまじと正面からのぞき込んでくる百合絵の目が、何故かはにかんで見えます。


  「あたしとじゃあ、だめかな・・・」

 聞き取れないほどの小声でささやき、、
くるりと綺麗なターンを二度ほど見せてから百合絵の唇が、再び耳元に寄ってきました。


 「今日だけの、思い出をつくっておこう。
 どうせ私になんか、振り向いてなんかくれないんだもの、
 明日泣く前に、
 せめて今日だけを、楽しませて。」



 どうして、レイコに似たような女ばかりが寄ってくるのだろう・・




アイラブ、桐生





 第二部 第一章(完)

 第2章では、施政権返還前の沖縄に舞台が移ります。
まずは、寝台特急「富士」で、九州、最南端までの鉄路の旅を辿ります








■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
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