落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(4)

2013-06-20 10:24:47 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(4) 
「広瀬川プロムナードと、125CCのスクーター」




 前橋市千代田町をながれる広瀬川沿いには、「前橋文学館」が建っています。
正式には、「萩原朔太郎記念、水と緑と詩のまち前橋文学館」というすこぶる長い名称がつけられた
この建物は、多くの詩人を輩出した前橋市の風土と文化を象徴するシンボルのひとつです。
入口には、不安定な形で台座にもたれかかり、顎に右手を置きひたすら思索にふける
萩原朔太郎の銅像が建ち、川に架けられている「朔太郎橋」には、交友の深かった北原白秋や
室生犀星、草野心平の詩が書かれた銘板がはめ込まれています。


 ひときわ柳の緑が濃くなり川の流れも広くなるこの一帯が、文学を散策して歩く
広瀬川プロムナードのほぼ中間地点に当たります。
貞園が、今日のスケッチの場所と決めたのもちょうどこの辺りです。



 「ねぇ。1時間くらいでかならず迎えに来てよ。
 今日はこの場所を覚えただけでも、もう充分だもの。どちらかといえば、
 康平が作る旬の夏野菜の料理へすっかり、私の関心は移っているの」


 麦わら帽子を胸に抱いた貞園が、上機嫌そのものの無邪気な笑顔を見せています。
解放された長い髪は川面の風に揺れ、前髪は、白く輝く額で軽やかに舞い続けています。



 「解ったよ。君にはすっかりお手上げだ。
 この辺りの農家を数軒回ってくるから、かかる時間は丁度そのくらいになるだろう。
 何か食べたい野菜の希望があるかい。
 ついでだ、君のために、それも調達してこよう」

 「路地で完熟をしたトマトが、大好物です。
 今時期のカボチャや、トウモロコシ、ナスなども好きです。
 このあたりで採れる小ぶりのスイカも、とても美味しいと聴いています」


 「なるほど。食べる方の下調べだけは、実に完璧に出来ているようだ。
 任せろ、色々と探してこよう。
 なにしろ群馬は、畜産と野菜の両方で、関東の胃袋を満腹にさせている農業県だ。
 夏の時期には、日本中で取れる野菜の全てが育つんだぜ」



 「大きく出たわねぇ。
 南で育つ野菜などは取れるでしょうが、寒冷地や高地のものは絶対に無理でしょう?」


 「さすがに、そこまでは学習をしてこなかったとみえる。
 群馬県は、標高が40~50mという比較的平坦な穀倉地帯から始まっているが、
 県の北部や西部では、標高が1000mを越える地域がたくさんある。
 高原野菜や、さまざまな果実類などの特産地も揃っている。
 ナシやモモをはじめ、寒冷地で特産とされているリンゴなどもここでは大量に採れる。
 特に嬬恋(つまごい)高原の夏キャベツは、全国的にも有名だ。
 君も嬬恋という名前くらいなら聞いたことは有るだろう」


 「あら、嬬恋って群馬県なの?
 山の方だと聞いたから、てっきり長野だとばかり思っていました」



 川沿いにおかれたベンチの上へ、こまごまとしたスケッチの道具を拡げはじめた
貞園が、腰に手を当てて俊彦を振りかえります。
前橋駅前のけやき並木の通りから、10分ほどかけてこの広瀬川まで歩いてきましたが
その間は常に貞園の数歩前を、康平があるき続けました。
時々後ろを振りかえっても、貞園の顔の半分は、大きな麦わら帽子のつばに隠れています。
台湾のメロディなのか、あまりなじみの無いテンポの良い鼻歌と、ほのかな甘い香りと、
軽快な足音だけが、康平の背後をぴたりと着いてきました。


 (おっ。さっきまではまったく気がつかなかったが・・・・
 まるで、台湾からやって来た18歳の妖精のような雰囲気がある)



 ようやく正面から見えた貞園の容姿ぶりに、康平が思わず心の中でつぶやいています。
すらりと伸びた手足にくわえて、胸にはたしかな乙女のふくらみも息づいています。
黒い瞳をたたえた切れ長の目と、少し膨らみをみせる赤い下唇には、少女の時代をすでに
飛び越えて一人前の大人を思わせるような、なんともいえない妖艶さも漂っています。


 「嬬恋は、長野と群馬の県境にある村さ。
 群馬は、県の中央にそびえる赤城山を境にして、南には低地の平野が広がっているし、
 北と西からは、長野や新潟、福島などと繋がる高地と山脈が始まっている。
 したがって群馬の農地の標高差は、最大で1500mを越えることになる。
 こんな特徴を持った農業県は、全国的にもめずらしい。
 だからここでは、日本国内で育つ農産物なら、何でも育つと言う訳だ」


 「あらら。チャーミングな土地柄ですねぇ。群馬って。
 ますますもって、康平の夏野菜の料理が楽しみになってきました。
 はりきって絵を書いて待っていますから、康平も、
 それなりにはりきって、食材などを調達してきてくださいね」



 「おう。自慢のスクーターでひとっ走りだ。
 10分もあれば町中を駆け抜けて、あっというまに長いすそ野を引く赤城山の山麓に着く。
 町中の移動はもちろん、狭い田舎道だろうが、2輪なら苦もなく快適に走り抜ける。
 じゃあな。また後で」


 「ちょっと待った。康平。
 今乗り物は、確か、スクーターって言ったわよねぇ」


 「確かに、スクーターだ。
 ちょっとそのあたりを走り回るのにはきわめて便利だし、第一、今の時期は、
 走っていても爽快で、すこぶる気持ちが良い」


 「決めた。面白そうだから、そっちへ乗り換えます。
 ねぇ、それって2人乗りが出来るサイズなの?」



 「ビッグスクーターではないが、125CCの小型自動二輪だから2人乗りはOKだ。
 でも買出し専用だから、後部座席は荷物専用だぜ」


 「たまに、荷物スペースに美女を乗せるのも乙なものでしょう。
 そうと決まれば、善は急げだ。
 で、どこにあるのさ。康平のそのスクーターとやらは?」



 「愛車なら、そこの2輪ショップへいつも置きっぱなしだ。
 いいのかよ。広瀬川のスケッチをするために、わざわざ前橋くんだりまで来たはずだろう?」


 「このお天気だもの。
 スクーターに乗ったドライブの方が、よっぽども楽しいのに決まっているわ。
 第一、広瀬川は放っておいても逃げないでしょう。
 またスケッチにやって来ればいいだけの話だもの。そうしましょう。
 乗せてよ、康平。あなたの後部座席へ」



 「俺は一向に構わないが・・・・
 君はいたって簡単に、行き当たりばったりで、路線変更をするタイプだね。
 いいのかい、そんな簡単な決断で見ず知らずの男のスクーターの後ろに乗っても」


 「それを言うなら、決断が早いと言ってほしいわね。
 それに台湾生まれはもともと、大陸的な発想で鷹揚さが取り柄なの。
 こまかいことなんかには、それほどこだわらないし、
 第一、康平は礼節を重んじる日本男子に見えるもの。安心して着いて行けます」


 
 貞園がベンチの上に広げたスケッチ用具を、あわててカバンへ回収しはじめます。
無造作に次から次へとバッグの中へ用具を放り込むと、麦わら帽子を頭へちょこんと乗せ、
康平の右腕を、くるりと抱え込んでしまいます。


 「さあ行きましょう。
 いつか見た、『ローマの休日』の群馬版みたいな場面だわ。
 一度やってみたかったのよ。男性を後ろから抱え込んでスクーターの後部座席へ座るやつ。
 うわ~、夢みたい!。今日は楽しいことが次から次へと実現するわ。
 すこぶる素敵な街だ。やっぱり、前橋という街は!」




・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/

からっ風と、繭の郷の子守唄(3)

2013-06-19 09:43:17 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(3)
「広瀬川と、18歳の貞園と初めての出会い」




 「ねぇ、康平。
 広瀬川のプロムナードを歩いていくと途中に、萩原朔太郎の碑があるわよねぇ。
 その碑に、白く濁って流れたるという一節が有るけど、
 あれにはいったい、どんな意味が秘められているの?」



 たっぷりと黒霧島が注がれた有田焼のぐい呑みを、貞園が小刻みに揺すっています。
ぐい呑みは酒器の一種のことで、猪口よりは大きく湯のみよりは小ぶりの器です。
素材や形のバリエーションなどが豊富なために、好んでコレクションをする愛好家なども多く、
有田焼や鍋島焼(伊万里焼)などには、沢山の逸品たちも存在します。



 「朔太郎は、明治時代に、前橋で生まれた近代詩人の先駆者だ。
 白く濁りたる水が流れる広瀬川、という詩のことだろう。
 彼が生まれた明治19年頃には、前橋が生糸生産での最盛期を迎えていた。
 日本で最初といわれている官営の製糸工場・富岡製糸場が出来る前に、
 前橋には、民間の力によって機械製糸の工場が建てられていたんだ。
 こいつが文字通り、日本で最初の機械製糸の工場だ。
 残念ながらもうその工場は消えてしまったが、記念碑が今でもその場所には残っている」



 煮物の火加減を終えた康平が、貞園を振り返ります
3時過ぎにお店にやってきて、やく2時間ほどかけてその日の野菜やお通しなどを
仕込むのが、康平の変わらない日課です。



 「ボイラーの登場で、繭から生糸を取り出す技術が一気に発展をした。
 大量に蒸すことで、簡単に糸を取り出す前までの準備は出来たようだが、
 肝心の糸の取り出しは、熟練をした糸取りの工女たちの技術に頼らざるを得ない。
 準備が出来た繭は、糸取り器の前に置かれた大きな湯釜の中へ入れられる。
 熱湯の中に浮かんだ繭から、人の手によって生糸の糸口が引き出されるんだ。
 優秀な繭では、一個のものから1000mを越える糸がとれるという。
 この作業でつかわれる熱湯は、すぐに汚れて、白く濁ってしまうために、
 随時の交換作業が必要になってくる。
 河の中を筋となって流れて行くのは、この使用済みになったお湯のことだ」



 「へぇ・・・機械製糸といっても、繭から糸を引き出す作業は
 やはり、人の手に頼って行われていたのか。
 いつか見た、おばあちゃんの赤城の座繰り糸と、やり方は同じなんだ・・・・」


 「糸をつむぎ取るための仕様が、手動による回転式のものか
 動力による機会を使うものかの差はあるが、糸を引き出すための仕事は基本的に同じだ。
 へぇ・・・・貞園は、赤城の座繰り糸を見たことが有るんだ。
 それは、実に貴重といえる体験だ。今のうちにたくさん見ておいたほうがいい」


 「それは、もう・・・・後継者が居ないと言う意味なの?」


 「その通りだ。
 赤城山麓の南面で紡がれたものを総称して、赤城の糸と呼んでいる。
 家内制手工業そのもので細々と受け担がれてきたために、生産量にはおのずと限度がある。
 終戦後には数十軒もあったという座繰り糸の農家も、高齢化がすすんだために、
 いまでは、わずかに数名と言う状態だそうだ」



 「消えていく運命にある、古き良き時代の日本の伝統文化なのか・・・・
 なんともいえないわびしさや、さびしいものが含まれているわね。時代の流れというものの中には」

 「お前。日本人でもないくせに上手い事をいうなぁ。
 わびとか、さびという表現はすこぶる日本的な感性と言葉そのものだ。
 やっぱり、ただ者じゃないね。お前さんは」


 「どこにでもいる、ただの愛人の一人です。わたしは・・・・
 あの時に、もうすこしだけ私の悩みを康平が真剣に聞いていてくれていたら、
 こんな生き方には、なっていなかったかもしれないのに・・・・
 それもまた、今となってはとうの昔のお話だわね。
 康平。思いっきり酔っぱらいたいから、もう一杯ちょうだい。
 あんたの、黒のキリシマ」



 「荒れているなぁ、今日は。
 酔っ払いたいと言う意味は、もう広瀬川の話には興味が無いということか?」


 「聴くわよ。広瀬川の話くらいなら。いくらでも。
 あなたは私の話を真面目に聞いてくれませんでしたが、
 私はよろこんで、あなたの話に耳を傾けるくらいの器量はあります。
 あれれ。いつのまにか康平に・・・・随分とからんでいるなぁ。わたしったら。
 もう、酔ったのかしら、あたしは。あっはっは」



 康平がカウンターの中で苦笑をしています。
貞園が語り始めたのは、二人がはじめて出会ったころの話で、もう10年も前の出来ごとです。
「水と緑と詩の町」を象徴する広瀬川の河畔に作られた、朔太郎の記念碑のあたりで、
二人はこの日、運命的な出会いを果たしたうえに今日に至るきっかけなどを育みました。



 それは康平が22歳を過ぎたばかりで、貞園が18歳の美術留学生の時でした。
早々と梅雨が明けた前橋市では広瀬川の柳も青々と繁り、川幅いっぱいを豊かに流れる水は、
群馬県が、本格的な雷の季節を迎えたことを物語っています。
二人が最初に出会ったのは、前橋駅前にある『けやき通り』です。
地元農家から野菜などを調達のために、康平が前橋駅へと向かうけやきの並木道を
歩いていた時に、途方に暮れているひとりの女の子を見つけます。
大きな麦わら帽子を被り、画材の入ったバッグを肩から下げた貞園が、途方に暮れたまま、
日陰でぼんやりしていたのを、康平が見つけだしたのが、その始まりです。
一度は通り過ぎたものの、何故か気になって康平が振り返ります。




 「どうしたの君。もしかしたら、道に迷っているみたいだけど?」


 「前橋は、初めてなの。
 水と緑と詩の町というタイトルと、朔太郎にあこがれてやってきましたが、
 見たいと思ってやってきた、肝心の広瀬川が見つかりません・・・・
 狭い街だから、もっと簡単に見つかると思っていたのに、」


 「ん。日本人ではなさそうだな。君は。
 いったい何処から来たの、まだ若いようだけど」


 「人に物を尋ねる時には、できれば質問はひとつずつにしてください。
 何処から来たと言われれば、出身は台湾で、いまは都内のアパート住まいで画学生をしています。
 まだ若いみたいだがと言う表現は、たいへんに失礼な言い方です。
 こう見えても、ついこの間、18歳になったばかりです。
 失礼すぎます。群馬と言う田舎の街に住む、初対面のあなたは」



 「大人びて見えたもので、つい口が滑っちまった。
 へぇ・・・台湾の出身で、まだ18歳になったばかりか。
 広瀬川へ行きたいのか。
 俺も買い物の途中だが、広瀬川でよければそこまで案内をしてあげよう。
 失礼な口をきいてしまった、そのおわびだ」


 「あら。お兄さん、見かけによらず親切ですね。助かります。
 よかったぁ~お兄さんに暇がたくさんあって!
 そうなのよ、朔太郎の広瀬川が見てみたいのよ。私は」


 「暇はないが、好意で君を案内をしてあげるだけだ。
 こうみえても料理人のはしくれで、今夜の仕込みのために買い出しの最中だ」



 「和食も、大好きです!
 みんなはお寿司とか天ぷらが良いというけど、私は野菜の煮たものが大好きです。
 日本は、四季を通じていろいろの野菜が有るし、初夏の今頃から出回る
 日本の夏野菜は最高です。生で食べても美味しいもの。
 ねぇ。どうせなら今の旬の野菜を、たっぷりと食べてみたいわ!」


 「変わっている子だなぁ、君は。
 いいさ。そのくらいのお願いならお安い御用だ。
 帰りに店に寄ればいい。旬の野菜くらいでよければ、たっぷりと食べさせてやるよ」



 「駄目駄目。見たとおりに、私はすこぶるの方向音痴です。
 今日もなんとかなると思ったけど、結局はまた、道に迷ってしまいました・・・・
 広瀬川へ案内をして、あなたの買い物が終わったら、また私にを迎えに来てくださいな。
 そのまま一緒に着いて行けば、広瀬川と旬の野菜の両方をゲットできるでしょう。
 わぁ~。道に迷ってしまったけど、結局は、今日は本当に最高の一日だ!
 ラッキーが、次から次へと舞い込んでくるもの!」


 「お前さんは、実に大胆な子だ。
 知らない土地で、知らない人に着いていって、それでまったく平気なのかい?
 実に行動的で勇気もあるねぇ。今時の女子大生は・・・・」


 「あら・・・・私のことなら全然、平気です。
 第一、日本にやって来た瞬間から、私はすべてにおいて迷子みたいなものだもの。
 悩んだり、病んでいたって仕方がないでしょ。
 前向きなのよ。台湾からやってきた今時の留学生は。
 さァ行きましょう!て、まだ、自己紹介もしていないわね。私たち。
 私の名前は、朴 貞園。
 貞園は、台湾では『ジョウオン』と発音をするけど、難しいので
 日本風に『ていえん』と呼んでください。
 あなたの、お名前は?」



 「俺は、康平。
 呑竜マーケットの康平と言えば、このあたりでは、少しは知られた名前だ。
 と、いっても半径が50m足らずの狭い範囲に、限定されているけどね。あはは」



 「康平か。いかにも和食が似合いそうな名前です。
 前橋っていい街だなぁ~。
 私、たったいまからこの街が、日本の中で、一番好きな街になりました!」



 

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

からっ風と、繭の郷の子守唄(2)

2013-06-18 10:17:11 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(2)
「暴れ坂東と、広瀬川の関係は」




 仕事を終えた人々がようやくの家路を急ぐころ、前橋市の中心部にある弁天通り商店街から
路地を入った一角に、ポツリポツリと小さな明かりがともりはじめます。
ここが、40メートル足らずのアーケードの下で、お互いが肩を寄せ合うようにして
長屋風の建物が密集をしている、呑竜(どんりゅう)と呼ばれている呑み屋横丁です。
人々は古くからの慣習のまま、ここを『呑竜マーケット』と呼んでいます。


 入居している全てのスナックや居酒屋などの飲食店が、薄い壁1枚のみで仕切られています。
1店舗あたりの面積は、ほとんどが13~16平方メートル余り(5坪~6坪)という狭さです。
カラオケ目当ての客たちが、今日も狭いカウンターでひたすら肩などを寄せ合い、
一生懸命に、マイクを握って離しません。



 康平の店も、その中に居座っている一軒です。
貞園は台湾から日本に絵画修業でやって来た、少しばかり妖艶な魅力を放つスレンダーな美人です。
貞園が日本に滞在をするようになってから、早くも10年余りが経ちました。
すらりとした容姿にもの言わせて、いつの間にか某大手家電メーカー直属の、
冷暖房設備会社の社長愛人におさまっています。



 「愛人暮らしというのは、思いのほかに窮屈だ。
 それでいて日本では、結構、肩身の狭い想いを強いられる。
 台湾には公娼制度というものが有って、ある意味、セックスに関しては開放的だけど、
 日本社会ときたら、いまだにセックスのことを”秘め事”などと呼ぶし、
 なにやら陰湿なものという見方などが、はびこっている後進国だ。
 女性に関しても、いまだに男尊女卑の思想が横行してる。
 社長ときたら二言目には、女遊びは男の甲斐性だと啖呵を切るし、
 あげくに今頃は、夜来香(いえらいしゃん)のママと、
 2泊3日で温泉旅行で、いちゃついている始末だ。
 まったくもって、日本の文化と、一部の男達には頭にくるわ。
 仕事のできる男たちは、おしなべて色を好むし、女遊びもはなはだ激し過ぎる。
 日本のエコノミックアニマルは、全員が揃いも揃って、まったくもってのドスケベだ。」


 
 カウンターへ肘を置き、頬杖をつきながら貞園が愚痴をこぼし始めています。
カラカラとグラスの氷を指でかきまわしながら、『ふんっ』と、いつものように
小鼻へ皺を寄せておどけてみせます
それはお店の中にお客さんの姿が見えないときに、貞園がいつも見せる、
いつもの決まった、おねだりのサインです。


 「だってさ。康平は催促をしなければ、私の傍に絶対に寄ってこないんだもの。
 何をいまさら警戒をしているのさ。別に取って食べるわけじゃないし。
 寂しい乙女の独り言に、もうすこし真面目に付き合ってくれてもいいじゃないの、あんたは。
 バチなんか、当たらないと思うけど」

 「今夜は一人で飲むにはなにやら、寂しいものがあるってか・・・・
 もう少し待て。仕込みが終わったら、のぞみ通りに愚痴ぐらいは聞いてやるから」


 「少しだけだよ、待つのは。
 それにしてもさ。絵の勉強をするためにはるばると台湾くんだりから、
 日本に来たと言うのに、どこをどう間違えたんだろうかなぁ、
 いつのまにかの愛人暮らしだ。
 あ~あ、私の人生は、こんなはずではなかったのに、なぁ~・・・・」


 と、いつもの口癖を貞園が、また懲りずに口にしています。
社長は営業用の接待も兼ねて仕事仲間や取引先たちと、前橋の繁華街を
夜な夜なに「わたって、すこぶる元気に呑み歩いています。
ひたすら帰りを待つ身の貞園は、ポツポツと愚痴をこぼしながら今夜のように、
康平の店で時間を潰すことがすっかり、最近での定番となっています。



 『呑竜マーケット』は、 北関東3県を結んでいる国道50号線の北にあり、
横丁の東の出口には、市内を南北に貫ぬいて流れる広瀬川の畔があります。
西には関東と新潟を結んでいる大動脈の、国道17号線が走っています。
その国道17号線が、前橋市の住吉町一丁目にさしかかるあたりには、
『糸のまち前橋』を偲ばせる「前橋残影の碑」が、広瀬川に架かる厩橋(うまやばし)ぎわに
ひっそりと建っています。



 この碑は、前橋市の発展の礎となった、生糸の町を象徴して建立をされたものです。
前橋では中世の頃から「赤城の座繰り糸」と呼ばれた座繰製糸が盛んでしたが、
明治維新の以降には広瀬川の豊かな水を利用しての、近代化された器械による製糸と
撚糸がきわめて盛んになり、広瀬川を中心に、おおいなる発展ぶりなどをみせました。
碑には「相葉有流」が詠んだ前橋残影の句として、
「繭ぐるま 曳けばこぼるる 天の川」と刻まれ、座繰りをする女性の姿が描かれ、
脇には白御影石で造られた繭型の湧水が置かれ、その大きな繭からは清らかな水が流れ出て、
それを「市の紋章」を象った丸い台座が、しっかりと受け止めています。



 鉄道が発達をみせる明治期までは、多くの水運を利根川が担いました。
高崎市にほど近い倉賀野や、もう少し下流にある伊勢崎市の境町には、水運のための
大きな河岸が設けられ、幕末から明治にかけては、上州特産の大量の生糸や繭、蚕種などが
開港されたばかりの横浜を目指して送られていました。

 谷川岳を源にして、急峻な山間を一気に下って来た利根川は、
豊富な水量と共に、きわめて勢いのある急な流れをこの前橋市の周辺まで保っていました。
折にふれて反乱を繰り返すことから、『暴れ坂東』として恐れられ、
長年にわたり、治水できわめて苦労させられてきた言う歴史なども持っています。


 市内の北部に取水口を持つ広瀬川は、中世に度々氾濫をした利根川の洪水を
きっかけにし、その復旧と開墾の歴史の末に、ようやく完成をみた水利と交易のための運河です。
『暴れ坂東』の急流域を大きく迂回した広瀬川の流れは、30キロも南に下った
伊勢崎市の下流あたりで、ふたたび利根川との再会を果たします。
豊かな水量と交易の利便性を併せ持ったこの広瀬川の流域は、明治期以降になると、
生糸を生産する一大産地として、とりわけ急激な発展ぶりを遂げました。



 前橋市は、きわめて長い裾野を引く赤城山の南面に、古くからひらけてきた城下町です。
前橋市を起点に、東へ向かう赤城山麓の農村部では昔から、繭から生糸を直接手で紡ぎ出す
「上州座繰り糸」の生産が盛んで、その主な担い手は山麓の17村にまたがった
勢多郡域の、農家の女性たちでした。


 薪で沸かした熱湯の中で繭を茹で、そこから直接糸を引き出します。
手作業によって引き出されたこの独特の風合いと個性を持った糸は、
「赤城の糸」と呼ばれ、長いあいだにわたって絹問屋から珍重をされてきました。
良い生糸はまた、その原点となる優れた蚕の育成を必要として、その主食というべき
良質の桑の木による優秀な桑の葉の生産なども、併せて必要とされてきました。



 「へぇぇ・・・・赤城の座繰り糸か。
 で、さあ。良く聞くけども、その明治と言うのは、いったいいつ頃の時代なの。
 例のほら。坂本竜馬が、新撰組とチャンチャンバラバラを繰り広げたという
 あの、古い時代のことでしょう?」

 「大政奉還が1867年のことだから、いまからざっと一世紀半も昔のことだ」

 「じゃあ、19世紀の中ごろだ。
 私が生まれた台湾でいえば、中国本土の支配を受けていた他に、
 オランダやスペインなどがやってきて、植民地にされていたという時代だわ。
 もともと台湾に居住していた現住民は、10民族あまりで、いずれも少数民族といわれているし
 その後に、主に福建省から移住してくる人たちが増えてきて、
 いまでは、台湾の人口の大半を漢人たちが占めているわ」


 「漢人? 台湾では中国人のことをそんな風に呼んでいるんだ」


 「日本人のことは、和人でしょ。
 日清戦争以降に、50年間も統治をされたことで、
 私のひいおばあちゃんの年代の人は、ほとんど日本語での会話が出来るのよ。
 比較的早く私が日本語を覚えたのも、その血を引いているせいかしら」


 「へぇぇ。貞園はどこで日本語を覚えたの。
 留学の目的は美大で、美術修業のはずだったと思うけど」



 「愛人暮らしの、ベッドの中よ。
 肌を共にすることで、あっというまに異民族の言葉を吸収できるわよ。
 愛も、セックスも、言葉も、どれも直接的に、本能の勢いのままに身につくものよ」


 「・・・・あのなぁ、貞園。
 客が居ない時とはいえ、過激すぎる発言には要注意だ。
 俺だって男だ。挑発をするような言い方には、充分に気をつけろ」



 「あら・・・・この程度で過激になるの?
 そうだわよねぇ。日本ではあれのことを、『秘めごと』と呼ぶくらいだもんね。
 ほらほら、康平。お仕事の手が停まっているわよ。
 早く仕込みを終えないと、まもなくお客さん達が来ちゃうわよ。うふふふ」





・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/

からっ風と、繭の郷の子守唄(1)

2013-06-17 10:00:31 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(1)
「前橋市での発砲事件と、貞園と康平」





 3月31日午前1時35分ごろ、群馬県前橋市にあるスナック
「夜来香(いえらいしゃん)」の 出入り口の木製ドアに、弾痕のような円形の穴が
三つあるのを店の女性従業員(28)が発見をして、 110番通報をした。
前橋署では、発砲事件として調べてはじめています。


 警察の発表によると、弾丸とみられる金属が店内からは二つ、
ドア前の路上から、一つが発見されました。
店は30日午後10時頃に閉店をして、女性が1人で店内を清掃していたところ、
31日午前1時過ぎに 「パン」という発砲音を3回ほど聞いたと言います。
幸いなことにその女性に、怪我はありません。


 「この女性というのは、お前のことだろう。貞園」



 新聞から目をあげた康平が、カウンターで頬杖をついている女に声をかけます。
女は呑みかけのグラスを揺すり、カラカラと指先で氷を鳴らします。


 「やくざの発砲事件で、一般人も含めて4人がスナックで殺された直後でしょう。
 警察の聞き取りも、しつっこいったりゃ、ありゃしない・・・・
 痛くもない私の腹まで、たっぷりと探られちゃった。
 無職でいられるのは香港マフィアの愛人だからだろうなんて、最初から疑うんだもの。
 頭にきちゃうわよ、まったく日本の警察は。
 第一、私は香港の生まれでは無く、台湾出身だっていうのに、さ」


 「旅行へ行くママに頼まれて、代理で一日、たまたま顔を出しただけだというのに。
 それはまた、とんだことで災難だったねぇ。
 運が良いねぇ・・・それにしても貞園は。
 めったに出会える出来ごとでもないし、体験が出来る訳でもない。
 見たんだろう、本当は。発砲している現場を」


 「康平。・・・・あんた、しらばっくれているくせに、
 警察よりも鋭どい勘をしているわねぇ。
 実は見たのよ。男が拳銃を構えて、発砲をする瞬間を。
 たまたまトイレの窓からだったけど、車の音がしたので
 何気なく表をのぞいてみたら、クリクリ主頭の痩せた男が一人、拳銃を構えて
 お店の前で、鬼の様に立ちはだかっているの。
 あら、何しているんだろうと思って顔を出そうとしたら、
 その男が、恐い顔をしたまま私の方を振り向いたのよ。
 あたし、びっくりして、その場へそのまますわりこんじゃった!」


 「へぇ~。そうすると君は、犯人の顔を目撃をしたわけだ。
 そりゃあ、怖いものが有る。
 うっかり喋れば今度はそいつに逆恨みされて、次は君が狙われることにもなる。
 警察で事実を話さなかったのは賢明だ。君はたぶん、そのせいで長生きすることができる」

 
 「ずいぶんと変な、褒め方ねぇ・・・・釈然としないな」


 「おっ、その表現は、全く正しい日本語の使い方だ。
 やはり、窮地は人を成長させるようだ」



 「もう、真面目に考えてよ、康平ったら。
 あたしだって死ぬかと思ったほどの、恐い思いをしたんだよ。
 いくら上州が任侠の国でも、拳銃の発砲だけはごめんです。
 生命がいくつあっても、足りゃしないもの」



 「その通りだ。
 例のやくざの発砲事件が、いまだに尾を引いているようだね。
 2人組が市内のスナックで無差別に発砲をして
 お店のお客などの4人を射殺すると言う事件が発生をしたのは、ついこの間だ。
 俺がやったということで、まもなく犯人が自首をしてきたというが、いまだに
 事件の内容と背後の関係については、完全な黙秘を続けているそうだ。
 この事件の背景には、暴力団同士のトラブルがあると指摘されている。
 2001年の8月に、東京都葛飾区の斎場で、住吉会系の最高幹部2人が
 稲川会系のヒットマンに、射殺されるという事件が発生をしている。
 この事件を受けて、稲川会ではヒットマンの所属する二次団体の責任者の
 2人を絶縁処分にしたが、しかし、これだけでは事は納まらなかったようだ。

 絶縁された2人の責任者は、何者かによって自宅に
 火炎ビンを投げ込まれたり、拳銃を撃ち込まれたりの被害を受けてきた。
 前橋市でのスナック乱射事件も、客として来ていた絶縁されたうちの1人を狙ったものだ。
 彼は、その前年の10月にも拳銃で襲撃を受け、命拾いしている」



 「詳しいわね、康平は。
 まさか、あんたまでそう言う世界に、首を突っ込んでいないでしょうねぇ・・・・
 私は嫌いだよ、そういうドンパチの世界なんか」


 「みんな嫌いだよ。そんな物騒な世界なんか。
 機嫌を直せ、貞園。おわびに、とっておきの俺の酒を一杯おごろう」


 
 康平が自分のボトル、「黒霧島」の封を切っています。
黒霧島は九州の酒で、サツマイモを原料にした芳醇で本格派のイモ焼酎です。
グラスへ半分ほど注いでから、60度ほどに冷ましたお湯を
ほぼ、グラスの口いっぱいまで注ぎこみます。



 「台湾人のくせに九州の焼酎が好みとは、お前さんも、すこぶる変わっている女だ。
 しかも、本格的なお湯割りが大好物ときやがる・・・・お客さん
 なかなかの、「ツウ」だねぇ」



 康平が、あははと、大きな声で笑っています。
ここは群馬県の県都で、前橋市にある通称『呑竜仲店』と呼ばれている飲み屋横丁です。
康平はこの店のマスターで、貞園は某冷暖房機器会社の社長の愛人と言う立場です。
長年にわたり愛人暮らしを続けながら、時折、康平の店へ顔を出すという塩梅ですが、
実はこのふたりは、今から10年ほど前に、ひょんなことから出会っていて、
それが縁のまま、いまにつながる付き合いなどをしています。






・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

連載小説「六連星(むつらぼし)」最終回

2013-06-16 11:11:35 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」最終回
「大人たちが見つめる、六連星の意味」






 「さぁてと。響も無事に出発をしたことだし、後は俺たち大人の時間だ。
 なんというか、実に凄いものを目撃したという気分がする・・・・
 政府や野田総理に言いたいことは山ほどあるが、それもまた別の機会に譲ろう。
 今はとりあえず、響が無事に若狭へ着くことを祈ってやろう」


 官邸前の6車線の道路を離れ、霞ヶ関方面に向かって100mも歩くと
もう、都会は全く別の表情を見せ始めます。
官邸前を埋め尽くした熱気も雑踏も此処には見当たらず、スーツ姿のサラリーマンと
OL達ばかりが、やたらと目につく風景に変わってしまいます。



 「つい目と鼻の先には、原発に反対をする大群衆どもが居て、
 この辺りには、同じ日常だけを、ひたすら繰り返していると思われる
 霞ヶ関の働き蜂どもが闊歩をしている。
 田舎者には、とうてい信じられない都会ならではの光景だ。
 さてと・・・・車は若い連中に貸してしまったから、
 ここからは、めいめいの足で、ひたすら家路を急ぐ事になる。
 で、そこで相談が有る。
 お前さんたちには申しわけないが、ここは久し振りの花のお江戸だ。
 ちょいとコレに連絡を入れたら、今からでもすぐに遊びにおいでと
 色良い返事などが返ってきた。・・・・そう言う訳だ。
 俺はこのあたりで失礼をするが、あとは二人でしっぽりと濡れてくれ。
 じゃあな、トシ。清子もまたそのうちにな。あばよ」

 携帯を片手に、岡本がさっさと消えていってしまいます。
後に残されたのは、手持ち無沙汰風の俊彦と、岡本の背中を見送りながら
憮然としている清子だけです。



 「まったく、失礼しちゃうわね・・・・
 自分だけ良い思いをするために、さっさと消えちゃうんだもの。
 やっぱり、改心しない極道は、どこまで行っても救いようがないわね。
 好きにすればいいじゃないの。なにさ、ふん」



 「そう、怒るなよ清子。
 岡本はあれでもあいつなりに神経を使っているんだ。
 遊びに行くのは事実だろうが、それなりに俺たちへも配慮をしたんだろう。
 で、どうする?
 響は、今頃は福井へ向かう車の中だし、
 岡本は、昔の女に会うために、その路線をひたすら爆進しはじめた・・・・
 取り残されちまった俺たちは、これからどうしょうか?」



 「二人っきりで、都会のど真ん中に放りだされた訳ね。
 都心の夜の景色などを見下ろす高層のホテルもいいし、
 海沿いに建っている眺めの良い、高級ホテルなんかも良いわねぇ。
 あんたと、何もしないで、ただ景色を眺めているだけなら、そういう処もまた乙だわねぇ。
 でもそれだけじゃ、つまんないでしょう。たぶんあなたは。
 とりあえず、地下鉄などを乗り継いで浅草の駅まで戻りましょう。
 帰りの電車を確保してから、都内で大人のデートなどを満喫しましょう。
 思いっきり、できるだけ濃厚に・・・・うふふふ」


 「お前なぁ・・・・」



 「冗談に決まっているでしょう、」と清子が俊彦の右手を握ります。
思い切り身体を寄せると、地下鉄の駅を目指して颯爽と舗道を進み始めます。
(お前。それじゃ余りにも、俺たちの身体がくっつき過ぎだろう)と、
俊彦が清子の耳元でささやいています。



 「何言ってんの。
 都会じゃこのくらいは当たり前です。
 第一、いい年をしたオジサンとオバサンがいくらベタベタしていたところで、
 都会の人たちは誰一人として、関心なんか持ちません。
 なにしろ、全ての人間が、二度と会うことのない他人だらけの空間です。
 人の目なんか、さほど気にすることなどありません」


 「なるほどねぇ。そういう考え方も有るのか。・・・・なるほど」



 「ねぇ・・・・一度、どうしても聴きたいと思っていたことが有るの。
 どうしたのさ。なに意識して、突然、身体を固くしているの。
 私を愛してるかどうかなんて、いまさら野暮なことなどあらためて聴きません。
 なぜ、蕎麦屋の屋号が、『六連星』というの?
 なにかしらの、特別な意味でも含んでいるのかしら」



 「六連星は、プレアデス星団のことで、和名を『すばる』と呼んでいる。
 この地球からは、400光年ほどの距離にあって、
 肉眼で5個から7個くらいの星の集まりが見えるそうだ。
 双眼鏡を使うと、数十個の青白い星が集まっているのが確認を出来る。
 ごく狭い範囲に小さな星が密集してるという、
 特異な景観をしているのが、この星団の特徴だ。
 さらに一番の特徴といえば、これらの星団を取り巻いている、青いガスの存在だ。
 星団とは、元々関係のない星間のガスが、星団の光を反射しているために、
 青いガスに包まれているように、地上からは見えるそうだ。
 ひとつは、そうした星団の神秘性に魅せられて命名をした。
 そして、もうひとつは・・・・」


 「もう、ひとつは?」



 「人々が集うということへの、憧れかな。
 不特定多数がたくさん集まると言う意味も有るが、
 それとは別に、家族とか友人とか仲間とか、そういう特定の集まりという意味も、
 含めて、なぜか名前を着けた・・・・
 だが、残念なことに、俺自身にはあまり縁がなかったようだけどね」


 「ちゃんと、呼び寄せたくせに。あなたは」


 「俺が?」


 「あなたに呼ばれて、響は、たぶん家出をしたのよ。
 私が、あんなにも、あれほど目に入れても痛くないほど可愛がって育てたと言うのに、
 やっぱり、最後にはあなたに取られてしまったもの」


 「そうでもないさ。
 もうあの子は自分の足で目標を見つけて、それに向かって歩き始めた。
 あの子は、君や俺たちの手元に置いておくのには、もったいない子だ。
 もっと旅に出て、いろんなものに遭遇をさせて、いろいろと体験をしてくる必要もある。
 もう、これから先の時代は、響たちの世代のものだろう。
 すばるの星座の中心で輝やいているのは、そうした可能性を持つ若い人たちなんだ。
 俺たちは、それを周囲からただ見守っている、青いガスみたいなもんだ。
 いいんじゃないのかな、それでも・・・・」


 「なんだかなぁ。・・・・まだ45歳だよ、私たち」


 「まだ、45歳で、もう45歳だ。
 で・・・・どうするんだ、俺たち。この先」


 「頼まれたって、絶対に、お嫁なんかに行きません。私は。
 生涯、湯西川で現役の芸者を通しますので、いまさら家庭などには断じて入りません。
 でもね、それでもさ、あなたが、どうしてもと言うのであれば
 お話はまた別ですが・・・・」


 「あのなぁ、そういう事ではなくて。
 その件なら、それは後でまた、ゆっくりと二人で話し合うことにして。
 とりあえず今夜は、これからどうするか。その質問をしただけのことだが・・・・」


 「あ・・・・・そうよねぇ。そういう話だわよねぇ。
 あら、あせっちゃいました。
 浅草へ着いたら、地上350メートルからの夜景でも眺めましょう。
 あなたに、肩などを抱いてもらって、ざっと数えても、
 響と同じだけの年数の、25年間分を甘え直してみたい・・・・」


 「スカイツリーか。・・・・まるで田舎からのおのぼりさんだな。俺たち」



 「そこから見つめてみたいのよ。
 天空に輝やいているという、六連星の星座と、私たちの未来を」



 「おい何言ってんだよ・・・・雨が降っているんだぜ。
 あれれ、おい。雲の切れ間が見えてきた・・・・
 可能性はまったく無きにしも、あらずというか。
 よし。たった1%の可能性にすべての希望を託して、俺たちの未来も見つめに行くか」

 「ええ。どこまでだって着いて行くわよ。私も・・・・」




 六連星(むつらぼし)完