このごろ、私はあまりテレビドラマも見ないのだけれど、今日は松山善三・原案、単発ドラマ(フジテレビ)とあったので、腰を落ち着けて観ることにした。
孤独な社長(75歳)と少女(15歳)が友情を深め、生き方を見いだす姿をさりげなく日常的に描いたドラマ。
何も無いところから立ち上げた会社を、年を取って時代に乗っていないからと息子に無理やり社長解任させられ、生きる目標を失いかけた主人公の元社長と、浅草の中学3年生の少女・小さなお店の孫娘と話をするようになった。
その少女の祖母が死の床にあって、見舞いにきた元社長と祖母は話す。
「始めがあれば終わりがあります。生きるとはそういうことです。」
「生まれたところに戻るだけです。」
「食べないでいれば、余分に生きることはなく迷惑をかけずに死ねます。」
下町の気風の良いお祖母ちゃん。生と死について達観している。なかなか言い切るなんて難しいことを、台詞にしている。
元社長は鯨、少女はメダカだと孫娘が言うと、元社長は少女を励ましながらも自分の生き方を見つめ反省しているのだ。
「目の前の不安や、孤独で寂しいときは、もがいてもいい。必死に激しく泳ぐんだ。なお、激しく生きろ!」
「鯨にはなれるはずもないメダカであっても、泳ぐことには変わりが無い。必死に泳ぐんだ!」
鯨とメダカはどちらが幸せか?
「どちらも少~し不幸で…… どちらも少~し幸せだ。」
「生きる」ことは死を意識して生きなければならないのだ…。
このドラマの結論は分かっているつもりだった…自然な流れで終わっていくのだろうと思っていると、やがてエンディングのテーマソングが流れ出す。
う~ん。当たり前な終わり方だな、と評価していたら
「二宮茂(役名)75歳、私の人生はこれからだ…!」と力強くつぶやいた。
そうだよね!
終わることを意識しながらも、未来を、将来を、希望の実現を信じながら生きていくべきだよね!と、自分自身をも励ます姿勢で、ひとり納得していた。