いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

尊敬

2008年05月21日 | SO-Color

  

 退官して久しいのだが、94歳と82歳になられた鈴木教授ご夫妻は、夫の職場関係の先輩。いまはつくばみらい市にお住まいになっている。このたび、預かりものの優勝杯(鈴木達也盃)をお返しに上がった。
 当時の仲間は、鈴木教授が一番の先輩で、40年も前に、同じ「S学教室」のメンバーが、「合歓の郷」のヴィラに集合、一泊の「家族ぐるみ・楽しみ会」を何年か続けていた。
  

 

 公園に面してこざっぱりしたテラスハウス。うっかりお花が一杯の南面は会って歓談できた嬉しさに、ついカメラを取り出さなかったのは失敗!あとの祭りだった。
 お住まいの北面、駐車場からしか写さなかった。

 

 

  

  その、家族ぐるみの集いでは初めての参加が印象深い。鈴木教授夫妻は子供は大きいので連れては来なかったが、子供の年齢を考え合わすと記憶の薄れた点がはっきりしてくる。M教授のご長男は6年生と4年生のご長女。うち(当時は助教授)の娘が幼稚園の4歳児と2歳。T助教授のご長男が4歳。H講師は(助手だったか?)はまだ結婚していなかった。
 そんな仲間で、賢島辺りの魚屋さんに買い物に出かけ、新鮮な魚を求め野菜を調達して、奥さん方が協力して夕飯作り…楽しかったし知らず知らずに何かしらを学んでもいた。
 あの頃は色んな面で、みんな接近して仲良しにしていただいた。
 夫や先生は以前の同僚だった先生方の近況を話し合っていた。私たち女性は、あの合歓の郷の話に盛り上がった。

 4歳の娘が、幼稚園や音楽教室、テレビで覚えた歌をそれは、次から次へと、持ち歌が尽きないくらいに歌った。大人たちは盛んに「うまい、うまい」と煽てるから、さらに得意になって歌うと、何ヶ月か娘より下の4歳児(男の子)は「僕も…」と思うが女の子には敵わない。さらに器用に覚えが早い女の子の歌に大人たちが注目・感心すると、男の子は焦れて相手構わず突っかかり乱暴しだす。庇われてさらに男の子はご機嫌斜めに…そんなことがあったなぁ…。
 母親の私はそれをはっきり覚えていたけれど、楽しくて適当な話題に興じながら、マスクメロンにフォークを入れていた…。

 尊敬してしまうのは、20歳以上も夫と年が離れている先生が、もう若いとは言えない私の夫と対等に歓談していること。自分たちの専門分野の学問について、現状と未来の展望などの話に花が咲いていること。医学者の日野原先生とは、まるでこんな点が同じなんだろうと、推察していた。
 (嬉しいこと!こんなにしっかりときちんと年を重ねているなんて!)とお二人を感心し、私が80歳を越えたときには奥様のように健康でそのうえ賢い年を積んでいられるだろうか、そうありたいと願わずにはいられなかった。

   

 玄関先でおいとまするつもりだったのに、1時間半もおしゃべり、旧交を温めた。「あ~、好い目標を拝見させていただいた」「20年先の私たちは、鈴木教授夫妻のようになりたいものだ」と充実感いっぱいになった。帰路は夫が市が谷で会議があるので、トロトロと車で走っていると間に合わなくなるかも? …の心配が出てきて、途中から「つくばエキスプレス」の駅に立ち寄って、夫を東京に向けて見送った。
 …ということは、帰りは私ひとり車を走らせて地理不案内の土地を走ることになったのだ。来た道を帰るだけだと軽い気持ちだったが、景色が違うし、地図上ではこの道を走っているつもりだったが、一本西側の道を走ったのだと帰ってから地図を確認したら分かった。(ナビつき車だと良かったのに!残念なり…)
 しかし、ここで欲張って市川の娘のところにも立ち寄ったので、今日の走行距離は150キロ。私にしては上出来だと、自己評価した。(ウッふっふ!)