いちよう:二千和会だより

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麻布七福神めぐり⑤

2009年01月18日 | 七福神めぐり

 
 街角の道案内図を見入る会員。「中華人民共和国大使館、麻布中学・高校の前の道を通ってカタール国やマダガスカル共和国大使館からアルゼンチン共和国・スロバキア大使館前の道…こんどは大法寺、いよいよあと二つだね。」 確認しながら、指差しながら…。 
 文学・歴史的な視点でこの度の七福神めぐりを見てみましょう。前にも出て来たことですが、赤坂氷川神社では、赤穂浪士のゆかりの立て札で案内されていました。
  


 ここ赤坂の氷川神社の境内に浅野土佐守邸の址だそうです。木札には「浅野内匠頭夫人の幽居していた里方で“南部坂雪の別れ”として喧伝された所なり 昭和18年3月 東京都」としてありました。
 ふと見上げると、寒緋桜?桃の花?が、咲き始めていました。
         
 ここ氷川神社の築地塀に立つ Ishigamiさん。

 

  下は南部坂(久国神社の近く)の写真です。
           
 大法寺で甘酒を頂き、坂を下りていくと、小さな広場があります。“きみちゃん像”がポツンと立っています。

 きみちゃんは、「赤い靴」(野口雨情作詞 本居長世作曲)の女の子のモデルだそうです。女の子の名前が岩崎きみ。ここ麻布に、鳥居坂教会の孤児院(明治10年から大正12年)がありました。宣教師がきみちゃんを引き取って幼女にしたけれど、女の子は肺結核を患い、アメリカまでの長旅にはとても耐えられないと判断されて、宣教師夫妻はきみちゃんを鳥居坂孤児院に預けて母国へと帰って行かれました。

 きみちゃんは肺結核を患ったために、わずか9歳で亡くなってしまいました。そのため歌のようには異国には渡らず、この孤児院で短い生涯を閉じてしまったのです。

 きみちゃんに関するパンフレットが向かいの店にあるというので、参加者人数分頂戴しましたが、この店の主人が好意でボランティアをしてきみちゃん像を守り、またユニセフに寄付をしていると話されました。募金をせずにはいられませんでした。

    (佐々木至作)
 横浜の山下公園に、赤い靴の女の子像がありますので、この港からあの歌詞のように船に乗って異人さんに連れられて行ってしまった…とばかり思っていましたが、もっと哀しい事実が在ったのですね。(アーメン…かな?)