朝の連続テレビ小説「だんだん」は、期待しているほどは話が盛り上がらないであと2ヶ月余りで、終わる。もう、次のテーマの話題も出ている。
双子のきょうだいの気持ちが揃わないのも別々に育ったから仕方ないか…とか、日本髪が似合わなかった舞妓さんの姿も、なんだかねぇ…と視聴者に思わせてしまったし。大体、東京周辺の方々は関西方面の話とか喋りが、いまいち乗り切れないし、その気持ちが測り知れない―理解できないという弱さもあるらしい…ようだと別サイドから見ていると、そんな風に見えるが…? 真相は謎・・わからない。
その「だんだん」の話題は、双子のきょうだいが人気歌手として売り出すプロデューサーのテクニックと方針に乗れないこと、その路線で歌うことに疑問を感じてる姉の方と、舞妓として商業ベースで生活していた妹の気持ちのずれを、修復しようと「いのち」というオリジナルソングを自分たちで作って新たに挑戦しようという、今日の話だった。
寒いこの頃、病と闘っている方々には辛い時期。「いのち」を脅かすような気配さえする。
我が母は、いまようやく峠を越すことが出来て、また以前の老健施設に戻ることが出来た。YGさんのお母様も、我が母とひとつお若いというだけの同世代で、最近患われてしまったので、介護に対応する問題が出てきてしまった。気になる環境条件として娘の立場では放ってはおけない状況となっているのだという。ブログどころではないのだろう。
私自身は、こうしてブログをアップロードすることで気持ちの整理(…?)や、気分を昇華させて心を広く保てるような(?)効果があると自己診断している。そのため、このブログを書き上げることは、私の環境を見回すことや一点に問題を絞らないで興味関心を他に向けられて悲観的に陥ることにはなり難い…など、精神衛生上 かなり役立っていると評価しているのだが…?どうだろうか?
いま生きている誰にでも、「死は訪れる」ことで、これは紛れもない真実。どのように生きていくかも一人ひとり違うように、どのような過程を辿って死に至るかも違うのだ。
“生き方”は自分で変えることが出来るけれど、“死に方”は天の思し召すままというか、運命としか言いようが無い。私は父の亡くなったとき、お坊さんが諭された言葉を胸に大事に仕舞い、事あるごとに思い起こしては自分の人生の指針にしている。“一生懸命に生きた人は一所懸命に素晴らしい死に方ができる”って。
きっと、そうだよね。その言葉を宝にして今を一所懸命に生きているつもりだ。
そろそろ、おでんの大根も柔らかく味が芯まで沁みてきて透き通るような飴色になってきた。夕ご飯の用意も整いブログも完成としよう。
双子のきょうだいの気持ちが揃わないのも別々に育ったから仕方ないか…とか、日本髪が似合わなかった舞妓さんの姿も、なんだかねぇ…と視聴者に思わせてしまったし。大体、東京周辺の方々は関西方面の話とか喋りが、いまいち乗り切れないし、その気持ちが測り知れない―理解できないという弱さもあるらしい…ようだと別サイドから見ていると、そんな風に見えるが…? 真相は謎・・わからない。
その「だんだん」の話題は、双子のきょうだいが人気歌手として売り出すプロデューサーのテクニックと方針に乗れないこと、その路線で歌うことに疑問を感じてる姉の方と、舞妓として商業ベースで生活していた妹の気持ちのずれを、修復しようと「いのち」というオリジナルソングを自分たちで作って新たに挑戦しようという、今日の話だった。
寒いこの頃、病と闘っている方々には辛い時期。「いのち」を脅かすような気配さえする。
我が母は、いまようやく峠を越すことが出来て、また以前の老健施設に戻ることが出来た。YGさんのお母様も、我が母とひとつお若いというだけの同世代で、最近患われてしまったので、介護に対応する問題が出てきてしまった。気になる環境条件として娘の立場では放ってはおけない状況となっているのだという。ブログどころではないのだろう。
私自身は、こうしてブログをアップロードすることで気持ちの整理(…?)や、気分を昇華させて心を広く保てるような(?)効果があると自己診断している。そのため、このブログを書き上げることは、私の環境を見回すことや一点に問題を絞らないで興味関心を他に向けられて悲観的に陥ることにはなり難い…など、精神衛生上 かなり役立っていると評価しているのだが…?どうだろうか?
いま生きている誰にでも、「死は訪れる」ことで、これは紛れもない真実。どのように生きていくかも一人ひとり違うように、どのような過程を辿って死に至るかも違うのだ。
“生き方”は自分で変えることが出来るけれど、“死に方”は天の思し召すままというか、運命としか言いようが無い。私は父の亡くなったとき、お坊さんが諭された言葉を胸に大事に仕舞い、事あるごとに思い起こしては自分の人生の指針にしている。“一生懸命に生きた人は一所懸命に素晴らしい死に方ができる”って。
きっと、そうだよね。その言葉を宝にして今を一所懸命に生きているつもりだ。
そろそろ、おでんの大根も柔らかく味が芯まで沁みてきて透き通るような飴色になってきた。夕ご飯の用意も整いブログも完成としよう。