人間もまた、自然のなかで生かされているという思いを、改めて感じていた。
こうして故人となった方を見送るとさらに…深く思う。
東本願寺の浄土真宗は、生きている時から、「南無阿弥陀仏」を唱えれば、仏の道に入れる…という。
死は穢れたものではないから、お清めの塩は必要ないと。そして、一般的には、お葬式は“友引”を避けるのにその概念は無いと言う。
仏教でも宗派により考え方が少しずつ変わる。信仰の道にすがって生きてはいない私も、送られる時はなにかしらの宗派により、こうして送られるのだろう。私は多分家でお願している天台宗に頼っていくのだろうと思う。
今は普通の範囲のなかで習慣的に流されての仏事を執り行っているだけなのだ。
私は熱心な信者とは言い難いけれど…。親を敬い先祖を尊ぶ精神の上に立っているのみで、仏事を人並みに行っている状態に居る。
久しぶりに大阪へ行った。叔父はもう20年前に若くして亡くなった。叔父は、東京での大学生時代に下宿先のご主人に、人柄が気に入られて、大阪にいる姪御さんとのご縁を引き合わせて下さった。
叔父たちが新婚の頃に私は高校生。修学旅行は関西だったが、その京都まで、二人仲良くお揃いで私が泊まっている宿まで面会に来てくれた。“琥珀”という喫茶店でしばしおしゃべり…という時を持ったことがあった。その時に、
「養子はつらいよ。遠慮している毎日だ。」なんて、冗談を言っていた。それを聞きながら「Takeoさんたら…」と、Chikakoさんもキラキラ輝きながら、嬉しそうだった。
この度はその故Chikakoさんの葬儀参列のための来阪だった。
また別の時に、叔父は「東京はどこまで行っても都会が続いていて、鄙びた風景にはならないけれど、大阪はちょっと走っていくともう家もまばら。まだまだ田舎都市だね。」と言っていた。しかし、今は新幹線、環状線からの風景を眺めると、(名古屋よりも、大分都会だなぁ)と当たり前だけれど、そんな印象を持ちつ、故人を偲んでいた。
なお、夫関係は神奈川や東京。それぞれ、お通夜、告別式に久しぶりに親族が集まった。こちらは遠いところからは北海道で、夫の弟夫婦がいる。あまり間を置かず二人の葬儀参列ではあったが、夫婦揃ってお顔を見せた。私の家族は夫婦、娘たち、息子と孫たちが申し合わせたようにみんな揃った。
故人を偲ぶための後の会食(御とき)では、我が夫の、故人を偲ぶ畏まったスピーチを聞いて、また夫の優しい心に新たに触れた思いであった。