いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

やっとできた!

2010年05月27日 | 会報お役立ち

  会報39号が、ようやく纏まって、今日最初の1ページと最後の16ページを、カラーコピーの印刷をしてきた。
 次回の散歩のご案内も出来た。あした(正確には今日か…。零時を回ってしまっていた。)木曜日の午後はプリント印刷を会報7枚(14ページ)と案内状1枚を、中央区のハーモニープラザでする予定である。

 次回散歩は、二千和会行事・散歩の活動も50回を迎える。
 そのご案内も印刷するのだが、ほんの50歩100歩のところだが、早目のお知らせである。
 東京・町田市にある、白洲次郎・正子の旧邸『武相荘』とその周辺の鎌倉古道“早の道”を歩く予定。

 白洲次郎は、イギリスに留学してジェントルマンの姿勢をしっかり身に植えこんできている。それが、世界大戦で日本が敗れ、その戦後処理に戦勝国アメリカと、堂々とした態度で、交渉をする吉田茂首相を援けた。マッカーサーの天皇に対する態度に注文をつけ、首相の演説は巻紙に毛筆で書いたものを読みあげさせた。
 もちろん吉田首相は英語で演説をしようと準備もしたのだが、日本語でのスピーチが良いとのサジェッションをして敗戦国ではあるが、立派に日本人の意地を見せた。

  

 そのような次郎と、奥さんの正子。正子もそんな夫に引けを取らず…釣り合った夫婦であった。一流の審美眼をもって趣味だとは言えないような専門家の目を持って蒐集家としても凄かったようだし、執筆作業も専念していた。
 夫婦喧嘩は英語でやり合ったと言うし、直接お会いしてその人となりに触れたかったなぁ。ちょっと望みが大きい? 正しく言いなおします。直接はとても無理だけれど、TVなどで対談したりするのを見て聞いてみたかったと思うのである。
 戦中から東京の中心を離れ田舎暮らしをした。農業も教えてもらいながら励んだらしい。都会的なダンディ・ボーイが、である。戦禍と食糧難に陥らないという目算もあったと言う。

 あまり言ってしまうと面白さや、見た感激が薄れるからこの辺で。
 明日午後は印刷。B4判の用紙が足りないので購入し、参加者の集合写真プリントを用意しなければ! (まだしていなかったことに気づく。)そして、母の主治医との面談を申し渡されていたので、午前中のうちにしておかなければ…。

 もう、深夜だ…寝なくては! この頃生活のリズムが狂ってしまうほど、編集にのめり込んでていたから…。

 つい先ほども、版下を見ていたら会員から、送られてから、そろそろ2か月前ともなろうという時の写真を思いだして、慌ててレイアウトを変えた。
 今載せてある写真を小さくしたり削除したりして、どうにか収まった…良かった~。そのことを思いだして、なんとかセーフで…危ない・危ない…良かった~思い出して救われた想いだった。