いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

お祝いの余韻

2008年05月04日 | SO-Color

 本当に良かった…! 生きているだけでいいのです。優しさを配ってくれる存在は母親が源なのです。
 今日連休の初日に母の89歳の誕生日祝いができた。
  お祝いのメッセージカードは手作り。「お母さん 89回目のお誕生日おめでとう。頑張り屋さんのお母さんのあとに続きます 娘たちより
 昨晩一睡もせずに中央高速道路を走り続けて駆けつけた名古屋の家族の顔も揃った。

 今回の母、誕生日は89回目。(因みに日本人の平均寿命は男79.00歳 女85.81歳 。2006.10.1現在・厚生労働省調べ)

 母はこの冬には体力も弱ってしまった様子で、本当に大丈夫なのかと心配していた。深く眠ってしまったり、私を私として認めていないのでは?とも思える日々があった。

 定期的に会報を出そうとは思いながらも、母の様子が気がかりで編集にちっとも気が乗らない。やる気が失せて、それに気づきながらも投やりな、どうにかなるでしょうの態度も少なからずあって、形だけは纏めた。でも…。

 充実した企画そのものはよかったかも…と思う。何よりも皆さんが協力して盛り立ててくださったからこその「30号記念号」が発行できた。けれど…。

 印刷が終わり、ほっとして見返した途端に、脱字が目に飛び込む。レイアウトの完成をより高くしようとするがあまりに、彼方此方と移動させているうちに文章部分が二重に掲載されていたことに気づくのだ。今回は特に失敗が多かった。
 いかに慌てて仕上げたか、上の空だったか…そんな後悔が追加されもした。
 会員の皆さんの支え、ご協力、後ろ盾がなかったら「いちよう」発行はず~っと延期されていたのかも知れない。

 ひとつには母が頑張ってくれたからこそ、だと思っている。曾孫が花束を、手渡した。そして母は花束受けた。娘たちの心づくしのアレンジメント盛り花とこの状況をプレゼント。「帽子」は日ごろの感謝として母からお返しを頂いた。「ささや」の大栗の菓子折りは長女の私から。それぞれが忙しいところを協力して、毎日誰かが食事介助に通っている。私が行けないときは母の様子を知らせるためメールを送っての報告がある。
   
  母は「幸せ」という言葉が浮かんできているのだろうか?言わないけれどニコニコと柔和な表情は言葉より勝っていると思う。
 失語症…辛いことだろうと思う。でも自分が体験しなくては、心からの真実は分かり得ないのだ。それを思い知らされたのは父を失った時だ。こんなに深い悲しみがあるのだろうかと知った。体験を通して初めて知る…。人間は賢いとは言えない現象の一つがこれなのだと思った。


シンガーソングライター

2008年05月02日 | SO-Color

 今頃何だけれど……?!?
 少し気になっている人がいる。若くして亡くなられた方だからか?

 確かに生きている間、活躍されているときはちっとも気にはしていなかった。けれど不思議な死に方をして話題になった頃、テレビやラジオで盛んにそのシンガーソングライターの歌声が聞こえてきて、妙に気になりだした。こんな風に自分の生き様をさらけ出していたのかと…! 
 何とも切実で訴えかけるような、しかし捨て身でどうでもいいよと、いい加減なところも表現している。いい加減、不良、どうにも仕方ない人…生きている時は、そう受け取っていたのかも知れない。いやそんな風に思うほど知らなかった存在のロック歌手だった。

 もう、16年近く前のことだから、記憶が薄らいできていた。最近その歌手のCDを買った。車で聞きながら運転している。その人の名は「尾崎豊」

 Wednesday(水曜日)Love Song Best Of Yutaka Ozaki というタイトルのアルバムである。
 いかにもミーハーと笑うかも知れないが尾崎のCDを、マスコミが流す歌声や、詩の内容ですぐに求めたくなって、その亡くなった頃に買って何度か聴いた。悩める青年の詩の内容が胸に迫るようだった。こんな歌詞を作っていたのか!そしてその年代層の支持を得ていたのかと…。
 今回亡くなって17回忌とか…CDアルバムはラブソングとあるので、あまり悲痛な叫びに近いようなものは歌っていないかと思ったが…でも悲痛。ちょうど、そんな年代の子達に関わって仕事をしたから特別に胸に響いてきたのか?

 そういえば、響クンという17歳の少年を思い出す。彼は教員夫婦の息子…しかし原因は何か分からなかったが、400キロ近く離れたところに家出したという。私は非常勤だったから、常勤の教諭の皆さんほどは情報も少なかった。大抵は職員会議に出される問題であり、非常勤は会議に出なくてもよいことになっているからである。
 尾崎の曲を聴いていると、響君はどうしているのかと思いが及ぶ。実は本人とは似ても似つかないことであったのかも知れないが、人間、一旦そう思うと、いつもそんなところに落ち着いて想いが波及するから厄介なのだが。

 尾崎の曲のことに戻ろう。
 「I Loye You」の歌詞。この部屋はまるで落ち葉に埋もれた空き箱みたい…悲しい歌に愛がしらけてしまわぬように―と歌う。
 落ち葉に埋もれている…なんて寂しすぎる。夢が詰まっている―とでも言って欲しい年代なのに。だから気になってくるんだろう。
 「僕が僕であるために」の歌詞…人を傷つける事に目を伏せるけど優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく 僕が僕であるために勝ち続けきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる
 このような心の叫び、大人になった心ではない。ナイーブな傷つきやすい青年の感受性がそこにある。
 そして自分の詩を自分で歌うのだから、魂の声になる。そんな思春期の頃の、青年前期の世代。悩みながらどうしようもなくて、大人みたいに自立もしていない世代だからこその想い。

  若さを感ずる。もう疾うに無くなってしまったそんな若い気持ちを、思い出すように私は、今車に乗るとその曲をBGMにして走らせている。
 他の尾崎のアルバムに「17歳の地図」とか「15の夜」などがある。その世代に迫ろうと思いながらも、惹かれていく自分も確かに存在していることを自覚して、今を送っているところだ。
 青年前期という呼び名は前から不思議もなく使っていたが、この頃は、前期高齢者、後期高齢者と呼ぶようになっていたなんて…。後期高齢者と呼ぶことになったとき、私の叔母は「なんて失礼な呼び方だろうね。これじゃ後がありませんよ!もうあなたは死ぬだけですよ、と言われているみたいだね!」と嘆いていたことを思い出した。