いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

再びギャラリー『風』へ

2009年09月07日 | YG-World

『ギャラリー・風』は2度目の訪問です。 にこやかにお迎えしてくださいました。
8月27日のことです。
8月末、季節は秋へと変わります。



アメリカの大学に通うweiminちゃん     こちらは韓国の大学院生のkueoさん
二人とも今、夏休みなので3ヶ月だけ日本にいます。
二人はこの日が初対面。
そして私の友人のyokoさんと4人でお邪魔しました。







9月も2週目に入りました。
お人形さんたちに会ってから10日も過ぎてしまいました。
あえて、弁解するならば写真がなかったからです(;一_一)
季節は秋かもしれませんが、夏の余韻を楽しんで・・・なんて勝手な解釈をいたします。


作者と見る人の解釈が違っていたらしいです。
作者はこの子たちは子供のつもりだったのですが、見る人はそう思ってないらしい。
それで、最近立たせていたこの子たちを座らせてみたという事です。

              足元には『カニ』 なんとまあ可愛らしい。


 おなじみのバーカウンター   水割りはうがい薬を入れているそうです。


 琴もあります。


   ドレス姿の貴婦人が




  留袖の和服美人に変わります。


              シャドーボックス  妹さんの作品

        toyokoさんの花の絵と同じ切手 『見つけちゃいました』


     お茶を飲みながらしばし、話に花が咲きます。
若い彼女たちの将来について話が出ました。
weiminちゃんは経済を学んでいます。銀行か空港関係の仕事をしたいと言っています。
kueonさんは来年大学院を卒業、経営学で福祉に関わる仕事をするそうです。
日本の高齢者福祉は進んでいるので、韓国はその後ろを追いかけているそうです。
ちょっと、興味深い話が聞けました。

それぞれ「一言ノート」に書き込んでいます。
古いメッセージノートを出してきました。kueonさんに韓国語を訳してもらいました。
 
中国語なら何とか雰囲気はわかりますが、韓国語は絶対わかりませんわね。                          



私の運転で迷い・迷ってやって来ました。
助手席は日本人のyokoさん、後ろに二人が乗って行きました。
その間、二人の会話は日本語です。
韓国の教会のこと・好きなスポーツ・料理・・・
『オバマ』どう思いますか?
「ございます」はいつ使いますか?
所々、英語になりますが二人の会話は興味深いものがあります。
来週末には二人ともそれぞれの国に帰ります。
こんな日本もあるという記憶を持っていかれたら幸いです。
 


自然の中で

2009年09月04日 | SO-Color


 人間もまた、自然のなかで生かされているという思いを、改めて感じていた。

 こうして故人となった方を見送るとさらに…深く思う。

 東本願寺の浄土真宗は、生きている時から、「南無阿弥陀仏」を唱えれば、仏の道に入れる…という。

 死は穢れたものではないから、お清めの塩は必要ないと。そして、一般的には、お葬式は“友引”を避けるのにその概念は無いと言う。

 仏教でも宗派により考え方が少しずつ変わる。信仰の道にすがって生きてはいない私も、送られる時はなにかしらの宗派により、こうして送られるのだろう。私は多分家でお願している天台宗に頼っていくのだろうと思う。
 今は普通の範囲のなかで習慣的に流されての仏事を執り行っているだけなのだ。
 私は熱心な信者とは言い難いけれど…。親を敬い先祖を尊ぶ精神の上に立っているのみで、仏事を人並みに行っている状態に居る。

 久しぶりに大阪へ行った。叔父はもう20年前に若くして亡くなった。叔父は、東京での大学生時代に下宿先のご主人に、人柄が気に入られて、大阪にいる姪御さんとのご縁を引き合わせて下さった。
 叔父たちが新婚の頃に私は高校生。修学旅行は関西だったが、その京都まで、二人仲良くお揃いで私が泊まっている宿まで面会に来てくれた。“琥珀”という喫茶店でしばしおしゃべり…という時を持ったことがあった。その時に、
「養子はつらいよ。遠慮している毎日だ。」なんて、冗談を言っていた。それを聞きながら「Takeoさんたら…」と、Chikakoさんもキラキラ輝きながら、嬉しそうだった。
 この度はその故Chikakoさんの葬儀参列のための来阪だった。

 また別の時に、叔父は「東京はどこまで行っても都会が続いていて、鄙びた風景にはならないけれど、大阪はちょっと走っていくともう家もまばら。まだまだ田舎都市だね。」と言っていた。しかし、今は新幹線、環状線からの風景を眺めると、(名古屋よりも、大分都会だなぁ)と当たり前だけれど、そんな印象を持ちつ、故人を偲んでいた。
 なお、夫関係は神奈川や東京。それぞれ、お通夜、告別式に久しぶりに親族が集まった。こちらは遠いところからは北海道で、夫の弟夫婦がいる。あまり間を置かず二人の葬儀参列ではあったが、夫婦揃ってお顔を見せた。私の家族は夫婦、娘たち、息子と孫たちが申し合わせたようにみんな揃った。
 故人を偲ぶための後の会食(御とき)では、我が夫の、故人を偲ぶ畏まったスピーチを聞いて、また夫の優しい心に新たに触れた思いであった。