家の南天を活けました。
なるほど歴史塾で平成21年8月に現代訳しました。
寛政十一年(1799年)のいわき市平・平窪村の
長谷川安道さんが書かれました。
上が長谷川さんが書かれたものです。
下が現代訳したものです。
お正月の様子です。
元日から5日まで書かれています。
平成三十年のお正月はいかがお過ごしでしょうか。
好天になりましたが
非常に風が強いいわきの元日です。
なるほど歴史塾で現代訳しました、
今から二百十九年前の
いわきのお正月風景を載せてみます。
寛政十一年農家年中行事(長谷川安道著)から
一. 元朝は早く起きて、
風呂に入ってけがれをおとして、若水を迎える。
付け火をもやし、歳徳神ならびに諸神・諸仏へ
鏡餅をそなえて拝む。
次にお茶を入れ、先祖より家の定めにより、
あぶり餅(餅を焼く)、
干し柿を添えてお茶をいただく。
冬ねぎの皿おき、きざみ菜、里芋、焼き豆腐の雑煮に、
花かつお、の掛け塩がめでたい、お節料理だ。
穣葉、ウラシロ、炭、昆布、栗、かやの実、みかん、
いせえびなどで、蓬莱を飾り、客座に出す。
これを菓子台という。
台所のお飾りには、
塩かつお、秋あじ、平目、カナガシラ、きじ、はと、
昆布などのほかは飾ってはいけない。
分限にこえてぜいたくなのは甚だ悪いことだ。
一.元日は、
表座敷に鍾葵馗様と元三大師の絵を張る。
それらは、一年中の悪魔を祓うための方法である。
・・・
一.元日には、
衣装を改めて、自宅の氏神様(北西の隅)より初めて、
鎮守、産土(うぶすな)、菩提寺、祈祷所本尊、
先祖のお墓にお参りをする。
決して明日に延ばしてはいけない。
元日というのは、今日ばかりであるので、
三百六十日(365日ではありません。)に報いが来る。
・・・
今日は、年中の月日を重ね、
家業を勤め何事もなく無難に年を越して行こうという
(心がけをたしかめる)日だ。
こうした喜びを親に見せ、
親の喜び顔を持たんということは
大般若の御祈祷にも勝るだろう。
二日は、
村役人より始めて、
分け隔て得なく、隣村の親類・近所の
付き合いの人々に、お互いに挨拶をする。
手足、無事息災に、年を取り身も心も軽く、
めでたさは随一である。
三日は
「三日までには、
年頭のしきたりをすまして、
(次の日からの)」
家業のことを待つべきだ。」
四日は
一.棚さがしといって、
元朝より飾ってある鏡餅などを下げて、
茶事をしたり、いろいろ祝いごとがある。
一.今日は、
舅親(嫁さんの実家)へのお年始である。
舅の喜ぶ顔を拝むのは春の祝事だ。
向こうでは、
椀飯(おうはん)を整えて待っていてくれる。
お舅さまは孫子を待ちこがれていて、
悦んでくれるのは、
「我が花聟の時、めでためでたの若松(様よ)と、
枝(も)茂(りて葉も茂)ると祝うたのは(これ)只今のこと(をいうのか)」と
白髪をふり立て、餅を焼き、柄銚子、盃をそろえてよろこんでくれる。
祖父、祖母をおさめて、三助(召使)殿まで、お祝いをして、
年中の辛苦を忘れ、
姉妹、姪、甥も集まって いる中で、
晴れ着の衣装や染め柄や子供の器量をほめる。
祖父、祖母の喜び場面は
お目出度いことこれ以上のものはない。
晩景に及び旧冬より整えておいた野菜・干物・魚・鳥の献立を整え、
祖父・祖母・両親を呼んで、
椀飯振舞(大盤振舞は当て字になります。)をして
喜びの顔を拝むこと。
と
219年前のいわき・平窪の農民
長谷川安道さんは
1月元旦から5日までの様子をいきいきと書いています。
これからも
伝統は大切にしたいです。
謹賀新年
穏やかな平成30年を迎えられました。
それぞれの新年いかがでしょうか。
いのししは
今年は健康というよりも
足を鍛えるに尽きる。
学生時代のスポーツの後遺症で
膝が弱くなったので。
とにかく歩いて
筋肉をつけることが今年の目標です。
生け花は配偶者が活けました。
高橋の日めくりカレンダーから。
丁寧な仕事をしたいな。
謹賀新年
ブログを書き始めて
1月26日で10年が終了しますので
新たな気持ちで
新年を迎えました。
1日1日
全力投球でき
それがブログにも反映できればと思います。
昨日のそば打ちは
そば粉5㎏、約60人分を打て
年を越せました。
蕎麦のように
真っすぐ・長く活きたいです。
日めくりカレンダーから
☆文字にも
温度があるんやな。
京都府 会社員の方