今年の32冊目。
「読んでいない本について堂々と語る方法」です。

読書という行為が聖なる不可侵なものとされる風潮の中、もしも
「読んでいて当たり前」とされる本を読んでいないとしてもそれは
全く恥ずべきことではない、ってなことです。
たいていの場合、周りも実は読んでないし、読んでも忘れてるし、内容を
人から聞いただけかもしれないし、そもそも精読していたとしても、
その読者の心の中の「その本」は他人と同じハズがないから。
この本そんなに厚い本ではないのだけど、実はちゃんと読もうとすると
結構やっかいなシロモノなのです。
先に書いた「話題の本を読んだという人も実は読んでなくて人から聞いただけ」
なことだってあるんですよ~というようなことを言いたいがために
古典や戯曲(読みづらいことこの上ない)を引用し、その物語の中の
エピソードを引き合いに出すのです。
別にその分かりにくいエピソードはいらないからパス!で、あんたの
言いたいことはなんなのさ?というような読み方をすると30分くらいで
読めちゃいます。
そして30分かけて読まなくても、院長の今日のブログを読めば、
もうこの「読んでいない本について堂々と語る方法」という本を精読した人と
大差ない感想が述べられてしまうもんです。
精読した人だって他の本を読みながら1週間もすればこの内容をザックリとしか
覚えてないんだから。
「読んでいない本について堂々と語る方法」です。

読書という行為が聖なる不可侵なものとされる風潮の中、もしも
「読んでいて当たり前」とされる本を読んでいないとしてもそれは
全く恥ずべきことではない、ってなことです。
たいていの場合、周りも実は読んでないし、読んでも忘れてるし、内容を
人から聞いただけかもしれないし、そもそも精読していたとしても、
その読者の心の中の「その本」は他人と同じハズがないから。
この本そんなに厚い本ではないのだけど、実はちゃんと読もうとすると
結構やっかいなシロモノなのです。
先に書いた「話題の本を読んだという人も実は読んでなくて人から聞いただけ」
なことだってあるんですよ~というようなことを言いたいがために
古典や戯曲(読みづらいことこの上ない)を引用し、その物語の中の
エピソードを引き合いに出すのです。
別にその分かりにくいエピソードはいらないからパス!で、あんたの
言いたいことはなんなのさ?というような読み方をすると30分くらいで
読めちゃいます。
そして30分かけて読まなくても、院長の今日のブログを読めば、
もうこの「読んでいない本について堂々と語る方法」という本を精読した人と
大差ない感想が述べられてしまうもんです。
精読した人だって他の本を読みながら1週間もすればこの内容をザックリとしか
覚えてないんだから。