昔、檪原邑の物資流通は上垣内(峯の垣内)を経て、十三峠を越え八尾市神立へ
西北の鳴川峠を越えて東大阪市六万寺との交易が中心でした。
峯の街道はその要路にあたる街道西側の谷、寺裏の谷を経て檪原墓地が在ります。
平群町檪原
檪原墓地の十三仏板碑
よく見かける山型の板碑です。
風化も比較的少なく、良く残っています。
石面一杯に隙間無く彫られた十三仏。
一寸窮屈そうな気が・・・
峯の街道筋に在る腰痛地蔵屋形
峯垣内入り口の守護仏だそうです。
昔、檪原邑の物資流通は上垣内(峯の垣内)を経て、十三峠を越え八尾市神立へ
西北の鳴川峠を越えて東大阪市六万寺との交易が中心でした。
峯の街道はその要路にあたる街道西側の谷、寺裏の谷を経て檪原墓地が在ります。
平群町檪原
檪原墓地の十三仏板碑
よく見かける山型の板碑です。
風化も比較的少なく、良く残っています。
石面一杯に隙間無く彫られた十三仏。
一寸窮屈そうな気が・・・
峯の街道筋に在る腰痛地蔵屋形
峯垣内入り口の守護仏だそうです。