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歴史を知る「江戸散歩」

2019-01-23 08:32:31 | 人生を「生かす」には

@歴史の東京を知る、「江戸散歩」で実際の東京を歩くと様々な江戸時代の人々の暮らしと生活の工夫も多く見られる。ただし武士と商人等が遺した建物、遺跡だけなのはさみしい限りだ。江戸時代は大火によって大きく江戸が変わった。特に1657年明暦の大火では本郷からの出火で天守閣・大名・旗本屋敷など約1200件、寺社300件、400町が焼失、約10万人の死者。 約百万人都市の江戸で1割以上の死者は相当大変な事態となったと予測できる。これは1923年の関東大震災の死者数とほぼ同じで壊滅状態的な江戸だったのではないかと思う。東京で江戸の歴史をそのままに遺している特に庭は素晴らしい。実際散歩してもその当時の天皇家・将軍・藩主がそこで何を思っていたのか想像するのも楽しい。浜離宮・毛利庭園・清澄庭園・桧町公園・小石川植物園・後楽公園・六義園など (写真は浜離宮)

『江戸散歩』山本博文

  • 「江戸城・平川門」は不浄門とされ不幸にして死去したものを出される門、赤穂藩主浅野内匠頭、またこの門は大奥の入り口。
  • 「半蔵門」は通常の入り口で、「大手門」は参拝・謁見する公家・大名等の門。
  • 「江戸城天守閣」は最初の60年ほどで明暦の大火(1657)で消滅
  • 「西の丸」1864年から明治天皇等の仮御殿
  • 「南北奉行所の窓口」商業の窓口(その他警察・裁判・役所を兼ねる)
  •             南町は呉服・木綿・薬問屋
  •             北町は書物・酒・廻船・材木問屋
  •             南北奉行所には与力が25騎、同心百二十人
  •             与力と同心は金銭出納、営繕、人事を管理
  •             吟味方は本役4人、助役6人、下役として25人の構成
  • 「江戸八百八町」は実際には当初674町、1713年には933町
  • 「桜田門の変」井伊直弼は総勢60余名、襲撃したのは水戸藩を脱藩した藩士17名と薩摩藩1名
  • 「日本橋三井越後屋」日本橋三越本店は東海道の起点日本橋に位置しており越後屋という呉服問屋三井高利が創設。当初(1745年)の売り上げは銀1万3835貫(現在の価値として年商461億円)
  • 「古着屋・日本橋富沢町」古着屋問屋が富沢町に集中
  • 「小伝馬町牢屋屋敷と小塚原刑場跡」現在の十思公園、旗本など身分の高い者が入るのは揚がり座敷。吉田松陰・橋本左内などがいた
  • 「銀座の発祥」銀貨を作る座があったことによる(江戸職人の町)
  • 「木挽町」歓楽街で遊女歌舞伎・人形芝居(江戸4座)
  •             山村座は絵島事件(大奥と歌舞伎役者との密会事件)で破滅
  • 「石川島人足寄場」長谷川平蔵が無宿の働き場所を提供して場所
  •             浅間山噴火、天明の大飢饉から人々を確保
  •             幕府は年間米7百俵、5百両提供
  •             寄場での油絞り、しめ縄等で収益は年間8百両
  • 「浜離宮恩賜庭園」将軍家綱の弟綱重の庭・鷹狩場、11代将軍家斉まで続く、江戸幕府の軍事施設で将軍家茂・慶喜等はこの浜から上陸
  • 「旧芝離宮恩賜庭園」小田原藩主大久保忠朝から紀州藩徳川家の屋敷、明治維新後は有栖川宮の屋敷、その後明治天皇の生母へ
  • 「将軍家の菩提寺」三緑山増上寺 2代将軍秀忠・お江、プリンスの跡地にあったのは将軍の霊廟・家宣・家重・家慶・家茂、その他5代将軍綱吉の母桂昌院・家宣の正室天英院・側室月光院・家慶の正室広室院・家茂の正室静寛院宮(和宮)
  • 「愛宕神社」江戸一望できた神社
  • 「江戸の庭」
  •             「毛利庭園」六本木ヒルズ、「長州藩屋敷・桧町公園」ミッドタウン、「水戸家上屋敷」小石川後楽園
  • 「小石川養生所」小石川植物園、幕府の薬園、5代将軍綱吉が館林藩主にサツマイモの栽培、朝鮮人参栽培などをさせた薬草研究と製薬の製造施設。小普請医師岡丈庵と林良適2名に養生所を運営貧しいものを無料で診断、看病
  • 「加賀藩上屋敷」東京大学赤門11代家斉の21女子溶姫の輿入れ寺に建立、庭園には三四郎池、本妙寺(現在巣鴨)には遠山の金さん、千葉周作の墓もある
  • 「江戸の最高学府」5代将軍綱吉の湯島聖堂・孔子廟・昌平坂学問所
  • 「甲府宰相綱豊の屋敷」根津神社・日本タケルの尊が創設(説)太田道灌により建立江戸時代前期の社殿
  • 「柳沢吉保の庭園」六義園・5代将軍綱吉の側用人吉保の自慢庭
  • 「寛永寺」1622年東の比叡山・天海が建立・4代将軍家綱、5代将軍綱吉、8代将軍吉宗の墓、幕末の彰義隊決戦の場
  • 「吉原・新吉原」大火の理由により日本橋から浅草に移り約2千名の遊女、一夜に1千両などの夜も営業ができ金が落ちた。遊女は14・5歳から20歳まで、平均死亡年齢も22.7歳であった
  • 「永代橋」綱吉50歳の記念
  • 「安政大地震と富岡八幡宮」1855年大地震で本所、深川、浅草、下谷、小石川が酷く、遊女831人、客454人、町人・商人など1415人含め2700名の死者を出した
  • 「綱吉の犬小屋」中野区役所あたり16万坪、建設費用4万5千両90億円)に4万2千匹が収容されていた。食料は1日米330石、味噌10樽、千鰯10俵、薪50束