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求める思想文化は時代と共に変わる『雲と風と 伝教大師最長の生涯』

2024-09-30 07:32:50 | 歴史から学ぶ
最澄と空海、日本の仏教の礎を築いた僧侶の人生は、国を司る桓武天皇、嵯峨天皇により左右されていたことを改めて知る。政治と宗教がどこかで頼り合い、ぶつかり合う姿を本書で詳しく知る事で人間の愚かさ、脆さを知ることが出来る。桓武天皇は「呪い・祟り」で悩まされ、もがき求め、嵯峨天皇は時代の仏教文化の素晴らしさを探し求めたと言う、それが「法華経」vs「密教」であり、時代とともに人々の求める仏教思想も変わるということ。
『雲と風と 伝教大師最長の生涯』永井路子
「概要」比叡山延暦寺を創建、天台宗の開祖となった最澄。激動の時代の中、最澄は、長岡京の遷都に失敗した桓武天皇を支えながら、桓武の魂を救済することが、国家を救うと尽力する。仏教の本質を求め続けた最澄の生涯を、直木賞作家の永井路子が描く。男性的目線になりがちな歴史人物や歴史事件を解きほぐし、その陰になりがちな女性にも焦点をあて、歴史上の人物、出来事を鮮やかに浮かび上がらせる作風は、歴史小説に新風を巻き込んだものと評価されている。
ー7歳にして陰陽、医方、工巧を学び、12歳にして旅立ち、国分寺に入り、15歳で法華経の経典を読みこなし、18歳にして僧侶沙弥(五戒)になる。(五戒:人を殺し、嘘をつき、盗みをしてはならない、更に高い寝床で寝てはいけない、歌舞音曲を聴いたりしてはいけない)
ー784年の仏教界は存続を拒否され、光仁天皇の死後、謀反事件発覚、桓武天皇が実権を握る
    桓武天皇の独裁者の風貌を見せ始める、奈良王朝から長岡遷都へ
    仏教政策の見直し(政権と仏教・寺の政教分離:政治は長岡、精神文化は近江)
    宮大工指導者の暗殺から遷都に非協力だった天皇の弟を主犯と断定、拘束、憤死
    (早良親王は主犯を拒否、食事を一切拒否したことで死人となり淡路に埋葬させる)
    新都では洪水による氾濫、日照りで収穫不足、蝦夷出兵敗北、皇太子安殿が流行病に
    早良親王の呪い避け等で新都(平安京)へと決意
ー785年に近江国分寺が焼失で帰るところがなく叡山へ向かう。6年後空海が大学を辞める。
    最澄は天台数学の研究に没頭(師匠の智覬に習う:中国仏教界の最高峰の一人・法華経)
    桓武天皇が梵釈寺に仏教の研究所をつくったことは励みになる
    最澄は12年間籠山し、止観の真髄を体得(苦行をしたとの説)
    桓武天皇等が懺悔することでの呪の沈静化をはかり、最澄は中国遣唐使となる
ー793年桓武天皇57歳で気弱となりようやく仏教・仁王経を講じさせ新宮殿に僧を招く
    794年遷都計画「平安京」とし最澄の建てた一乗止観院で桓武天皇が臨んだ
    805年桓武天皇は僧侶への肩書を認め、桓武は持戒の清僧を求めた(浄化・懺悔法)
        井上皇后の巫蠱、早良親王の謀反など怨霊思想・懺悔陰陽道・仏教を求めた
803年遣唐使として命名される(桓武天皇67歳・病牀)
    法華三昧・法華懺法の体得(菩薩戒)
    「戒」仏教の3本柱:戒・定(禅)・慧(知識)
    最澄の中国での学びは桓武天皇には届かず空海の密教が支持されるようになる
ー809年桓武天皇の死後、平城天皇(3年1ヶ月で退位)は行政の簡素化・緊縮政策を進め
    平城天皇も桓武天皇と同じ過去の呪いで悩まされ嵯峨天皇に譲位する
        嵯峨天皇は藤原冬嗣に任せ今までの側近・天台の奥義などを変えてしまった
        農民の課役の軽減、救貧政策等を中心に改革、律令制方の脱皮
812年 空海は嵯峨天皇からの知遇を受けるようになる
        最澄と桓武天皇は「魂の救済」を求めたが嵯峨天皇は空海から文化面を重視
        空海により優雅華麗な嵯峨朝での文才が好まれた
        空海はのちに伝燈大法師に叙せられ内供泰十禅師、東寺の大僧都へと出世する
ー813年最澄は空海40歳(密教)との衝突・嵯峨天皇が密教を奨励(千眼千臂経)
        長安の都では密教一色であり天台などは時代遅れだとした
        空海は1年余りで卒業したが最澄、あなたは3年かかりますと言い張った
    最澄は密教経典も学ぼうとしたが、空海は天台と真言密教は全く別物だとした
    最澄は弟子泰範にも裏切られ東国へ旅立つ「時代が変わったのだ」と悟る
        最澄と桓武天皇との関係は「外護者」だったことで桓武亡き不幸が始まった
        最澄の弟子として残ったのは14人のうち6人となり諸国を巡遊し修行する
        最澄の弟子広智の弟子がその後比叡4代座主安恵となる
    その後比叡に学んだ僧は法然、親鸞、道元、日蓮がいる
法華経(菩薩)
    「高い悟りの段階に達したものが観音菩薩、普賢菩薩であり、大乗仏教の時代になると人間は誰でも悟りに近づく、つまり誰でも仏になれると言う考えが始まった。それには人は利己心を捨てて、他人のために尽くすという慈悲心の持ち主になるべきだ」と最澄は説いた。最澄の遺言は「我がために仏を作ること勿れ。我がために経を写すこと勿れ。我が志を述べよ」



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