ちょっと気になるいい事、言葉、最新技術

書籍、映画、旅、最新技術から選んだ心に残るもの。速読者向けは、青文字表示。内容は小学生でも理解できる表現使用

幕末のテクノクラート(優秀な実践者)の功績『徳川近代』

2019-12-28 07:50:47 | 歴史から学ぶ
「徳川近代」とは幕末から明治維新の時代の変わり目に近代化を目指した徳川家臣達の政策・実践・業績である。残念ながら「歴史は勝者が塗り替える」の如く、それらの功績を我がものに書き換えていたのが明らかになってきた。臨海丸=勝海舟の疑惑など「維新の3傑」なども疑惑だらけだ。 ほとんどが消え去られた当時の秀才(テクノクラート)達によって構築、計画、実践されていたことである。 ここでは小野友五郎、岩瀬忠震、小栗上野介忠順を中心にその施策計画とその行動力がある。 小栗のような諸外国の交渉に「NO」とキッパリ言える現代の政治家はいるだろうか。本当の歴史はこれからもっと暴かれることを期待したい。 残念だが現代、小野友五郎の墓、功績などは遺されていない。(茨城笠間市・地方復興にもつながる)
『徳川近代』原田伊織
『明治維新の過ち』を嚆矢とする「維新三部作」の著者待望の新章第一弾。
明治ニッポン近代化の礎を築いたのは薩摩でも長州でもなく、西郷・大久保でもない--。明治に改元される5か月前、幕臣小栗上野介忠順が新政府軍に取り調べを受けることなく斬首。後に大隈重信によって「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」とまで称された逸材である。本書は、横須賀に製鉄所、築地に日本で最初の本格的なホテルを建造した小栗の歩みを照射することで、徳川幕臣らによって進められていた「近代化」の全貌をひもときます。さらに、咸臨丸でアメリカに渡った遣米使節の一員だった秀才・小野友五郎など、ニッポン近代化の礎として活躍した幕府のテクノクラートの足跡を辿り、なぜ彼らの功績が埋没したかを検証。抹消された歴史の真実を解き明かします。
  • 「近世」=江戸時代、「近代」=明治以降の今日まで、と「徳川近代」=富国強兵・殖産興業などの近代化政策をした徳川政権、徳川が作った既成階級に不平不満を持った下級武士や下級公家のテロが水戸学にかぶれ、観念論を振りかざす層と共に倒幕を狙った
  • 「明治維新」徳川政権からの政権奪取を目的とした軍事クーデターであった。新政府は自己正当化のために捏造と隠蔽に満ちた歴史叙述を社会の隅々まで流布させた。
  • 「徳川近代」に活躍した人材の多くは薩摩・長州を核とする国粋軍国主義勢力によって埋めさられてしまった。それは天皇原理主義を生み出し徳川時代を全否定したこと。薩長史観、あるいは官軍史観に修正を加えなかったこと。250年にも及ぶ長期に渡っての平和から軍事社会へと変化させてきた。
  • 「徳川近代」で貢献した人材とは林復斎、岩瀬忠震、川路聖謨、小栗忠順、竹内保徳、栗本鋤雲、木村勝教、小野友五郎、柴田剛中、田辺太一である。 逆に官軍正史での西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通など「維新の三傑」が居るが、彼らのしたことは優秀な徳川近代の人材を土中深く埋めさった
  • 「臨海丸と小野友五郎」
    • 臨海丸は護衛艦であり、実際はアメリカ軍艦ポーハタン号であった、トップは木村摂津守善毅
    • 臨海丸を操舵したのは笠間藩小野友五郎(測量方)とブルック大尉以下11名のアメリカ海軍
    • 勝麟太郎は何もしていない無能の艦長で、ただしホラを含めた弁舌能力、調停能力があった
    • 「海軍の祖」と言われるのはあくまで海軍畑での活躍を誤解して生まれた、あだ名「狎邪の小人」
    • 江戸無血開城の美談も勝ではないことは現代では史実となっている
    • 小野友五郎は「算聖」和算の天才であり日本人で「月距法」を利用した航海士だった
    • 小野友五郎は江戸湾防衛計画、国産軍艦の設計、小笠原領有測定と探査、軍改革、軍艦買付、さらには鉄道施設における幹線ルートの決定、製塩技術の開発への業績、さらに国産蒸気軍艦の建造まで手掛けた(千代田形砲艦建造)
  • 「自由分益推進派岩瀬忠震」
    • 徳川の外交史は自由貿易を目指した直参旗本岩橋忠震による「日米修好通商条約」
    • 実質的に「独断調印」したのは大老井伊直弼ではなく岩瀬である
    • 不平等条約といわれたが根は長州・薩摩テロリスト達が条約を壊し不平等と決めつけた
    • 岩瀬は日露、日蘭、日英、日仏などとも修好条約に調印、」その後安政の大獄で蟄居させられる
    • 岩瀬は昌平黌で学び、教授方も経験、幕府の官吏試験に合格する超優秀で阿部正弘に登用される
    • 阿部正弘(あだ名:瓢箪鯰)の優秀な人材登用策で多くのテクノラートが採用された
    • 阿部は「富国強兵策」を打ち立て「日米親和条約」を締結、海軍伝習所、砲術、大船建設、蕃書調、若手幕臣の積極的な抜擢登用し、優秀な官僚群が形成された  その時の人材には川路、水野、筒井、永井、岩瀬、堀などが居た
    • ペリーは「発砲厳禁」の大統領命を受けており宣戦布告の権限は議会であった、よってできたことは艦隊としてのハッタリと示威行為と平和的な交渉以外にはなかった 目的は人命尊重と難破船救助であり、交易の県は強いて主張していない
    • ハリスとの交渉は川路聖謨であり、岩瀬は補佐役、その後開国、貿易、海外渡航などの申書を堀田正陸に提出している 開始早々貿易黒字は国益をもたらしたが、尊王攘夷原理主義者が破壊、自由貿易体制を構築して「富国」を図りつつあった幕府の政策の足をひぱった
    • 下級公家らの忖度により岩瀬・川路らの天皇との会談・条約締結の説明は拒否された
    • 公家からの返事「伊勢神宮のおみくじを引いて戦いか和平化を決する」とした
    • 井伊直弼「あだ名:でくの坊」は政治課題と貿易の見識もなく家柄だけで大老となった
    • 天皇からの勅許は井伊直弼が絶対として、その後失敗したことで岩瀬等を蟄居させた
  • 「徳川近代の柱 小栗上野介忠順」
    • 日米修好通商条約は岩瀬から直参旗本小栗に引き継がれ、老中堀田正陸も解任された
    • 安政の大獄により岩瀬は左遷から蟄居、水戸藩安島帯刀、福井藩橋本左内などが斬首
    • 松平春嶽は多くの「言い訳」を用いてたが安政の大獄を招いたのは春嶽
    • 小栗は知力、実践力、交渉力、危機対応力など優れておりアメリカ高官からも評価高い
    • 小栗は書院、見付、外国奉行、小姓組番頭、勘定奉行、南町奉行、歩兵奉行、講武所御用取扱、陸軍奉公並、軍艦奉行、海軍奉公並など勘定奉行には4度も任命されている
    • 万延遣米使節団から学んだ造船所建設を手掛けている(西欧の海軍工場視察)
      • 「いずれ売り出すとしても土蔵付売家の名誉が残る」と遺している
      • フランス海軍ヴェルニー技師長その他50名を雇い殖産興業を開始
      • 富岡製糸場などもこの殖産事業に連なる
      • 横須賀造船・製鐵所は、蒸気機関の動力源の工場・韮山の反射炉も構築
        • 後に日露戦争での勝利はこの横須賀造船所が東郷平八郎により高評価される
    • 小栗は「NOと言える日本」を最初に言えた人物である
    • ハリスは商売人で為替で莫大な利益を得ている(現在価値で3億4千万円の稼ぎ)
    • 近代軍隊(幕府側)を旗本連中は理解できず兵は百姓となった
    • 小栗の功績=日本最初の株式会社「兵庫商社」組合からの貿易、ガス燈、郵便(前島密ではない)、電信制度、鉄道施設への実現、洋風ホテル(築地ホテル)
    • 小栗を殺害したのは根は西郷隆盛で百姓一揆を利用した東山道総督府、高崎藩、吉井藩など
      • 捕縛した理由は家の作り(弾薬宝などを秘めた)という噂から
    • 小銃 ゲベール銃(80~百メートル)からミニエー銃(3~5百メートル)
  • 「開国派」ではない一橋派・一橋慶喜は英明で利発と言われたが間違った