@尊攘思想の先陣を切って動き出した福岡藩の家臣月形洗蔵は多くの尊攘派志士を生み出したが、藩主にその先見の名が無いことで惜しくも新たな世を見る寸前で藩主に裏切られた。だがその思想をもとに行動に出たのが高杉晋作であり、西郷隆盛であったことは、その先薩長が主権を握り明治政府を構築してきたのだ。重要なことは、思想・考えだけでは、世の中は変わらない。 現代でも一番重要なことはまず持って「実行・行動力」では無いだろうか。
『月神』 葉室麟
明治十三年、福岡藩士出身の月形潔は、集治監建設のため横浜港から汽船で北海道へと向かった。その旅のさなか、亡き従兄弟の月形洗蔵を想った。尊王攘夷派の中心となり、福岡藩を尊攘派として立ち上がらせようとしていた洗蔵。だが、藩主・黒田長溥は、尊攘派の台頭を苦々しく思っており、洗蔵は維新の直前に刑死した。時は過ぎ、自分は今、新政府の命令によって動いている。尊敬していた洗蔵が、今の自分を見たらどう思うのか?激動の明治維新の中で国を思い、信念をかけて戦った武士たちを描く、傑作歴史小説!
- 日神を先導するのが月神、夜明けとともにのぼる陽を先導する月が、月形家と言われた。
- 「獄中でおとなしくしておれ、と言えば、その者の志を奪うことになりかねぬ。法を守れと言うのは何もするなと言うことに等しい」
- 福岡藩藩主黒田長溥は開国交易派として夢見た。尊攘派でもなく佐幕派でもなかった。福岡藩は薩長和解であり、その先陣を洗蔵が高杉と西郷との面談で成し遂げようとした。 その前に5卿動座として九州への引き込みを福岡藩だ先導したいと願った。 その為尊攘派の家臣を登用して動き出した。
- 「長州人は他藩のものに対し冷たいあしらいをする。尊皇攘夷というが、これからは長州と薩摩ものが幅をきかせ、儂ら他藩のものは奴らにこき使われるだけだ」
- 「何事かを為そうと進めば必ず、阻もうとするものが出てくる。このものを退ければそこに恨みが生じ、今度はこちらが退かれる。そうなれば、あとはお互いの恨みが繰り返されるだけのことだ」
- 洗蔵は「耐えねばならぬ。あえて風向きが変わるのを待つのだ」と自分に言い聞かせた。 だが、洗蔵は藩主から斬首の命を受け処罰される。その翌年には大政奉還で尊攘派が勢力を盛り返した。
- 明治になって潔は、「己の死をも恐れず、闇雲に突き進んだ志士たちによって新たな世は開けた。しかし今の世が志士たちの望んだものだろうか。」
- 「新撰組の同志であった近藤勇、土方歳三、沖田総司も無念を抱えて死んだとは思いますが、生き残ったそれがしほどの無念は抱いておらぬ気がします。 死んだものは、己の紹介を全うしました。それに比べ、生きて今の世を見ねばならなかったものは無念でございます」ともと新撰組にいた永倉新八(剣術指南役)
- 「洗蔵ら維新を前に非業の死を遂げた筑前尊攘派の人々の無念を晴らしたかったのだ。洗蔵らが無駄に死んだのではなく、この世をよくする理想の途次で倒れたのだ」と思いたかった。
- 尊攘思想の先陣を切って動き出した福岡藩の家臣月形洗蔵は多くの尊攘派志士を生み出したが、藩主にその先見の名が無いことで惜しくも新たな世を見る寸前で藩主に裏切られた。だがその思想をもとに行動に出たのが高杉晋作であり、西郷隆盛であったことは、その先薩長が主権を握り明治政府を構築してきたのだ。重要なことは、思想・考えだけでは、世の中は変わらない。 現代でも一番重要なことはまず持って「実行・行動力」では無いだろうか。