@本書は仏教、儒教、朱子学、古文学など一般以上の知識が無いと「面白い」とは言えないが、徳川光圀がツッパリでヤンキーだったこと、歴史を古代の歴史書(六国史等)を鵜呑みにせず正しく理解し「大日本史」を完成、子孫に残した偉業は素晴らしい。何故歴史に興味を持ち「大日本史」を作成し始めたのか、それは出会いである。明朝の遺臣王朝の血筋を保つ朱舜水とある。明の皇帝復興を目指した中で本物の儒学の理想を体現したことだ。本書に出る他の11人もノイローゼになったり、貧乏で苦労、悪いレッテルを貼られた人々だが、宗教、文学に目覚め著名な出版物を世間に多く出している。著作作品を遺すことへの思想家たちの志は素晴らしく、それが明治以降の文化継承にもつながったことだ。
『面白くて眠れなくなる江戸思想』橋爪大三郎
「概要」江戸時代の人びとは、自分なりの思索を深め、やがて訪れる新しい時代に備えていた。でもそれは、誰が主役かという話ではない。日本全体がチームとして頑張っていた。日本にしかできないやり方で、世界に通用する、大事な課題と格闘し ていた。これをひとまとめにして、「江戸思想」と呼ぼう。(中略)江戸時代、志があっても不遇な、健気な若者たちがいた。彼らのおかげで、いまの時代の土台が築かれた。そのことをどうしても伝えたくて、若い世代の人びとに向けて、江戸思想の「入門書」を書かねばと思った。
徳川光圀、藤原惺窩、林羅山、中江藤樹、熊沢蕃山、契沖、伊藤仁斎、荻生徂徠、富永仲基、賀茂真淵、本居宣長、上田秋成の12人が織り成す、江戸思想のワンダーランドへ。
「徳川光圀」家康の孫、父は頼房(家康の11男)光圀と名乗るのは56歳から)
つっぱりのヤンキーで立ち直ったのは儒学
林羅山の資料等が焼失したことで「史局」を作り「大日本史」を作り上げる
師匠は朱舜水(明朝再興に向けて貢献)日本に亡命
儒学・水戸学=尊王主義
「藤原惺窩」朱子学の先駆者
僧侶となり朱子学、林羅山が弟子になる、その他石田三成、小早川秀秋なども門弟になる
家康による仕官を受けたが友人が切腹させられたことを根に断る(林羅山が出向く)
「林羅山」家康に抜擢された参謀的仕官(儒学・戦争をしない・平和をもたらす・理性)
「論語集注」として公開、藤原惺窩との出会いから僧侶になり家康以降4代の将軍に仕官
出家主義で世俗の政治や政財には関わらなかった
評判が悪く知識人からの批判を浴びた(方広寺の鐘銘の件も汚点となる)
「熊沢蕃山」
浪人の家に生まれ貧乏、儒学を政治に生かし民衆を救う(岡山藩の小姓で災害復旧)
39歳で隠居、各地を転々とし、儒学(人々の生きる指針、社会を導く原理を解く)
「荻生徂徠」独自の朱子学
中国語を学び漢文(孔子・孟子)古代の人々の生き方を提案
柳沢吉保に仕官しする・吉保は5代将軍の御用人から実力者になる(貨幣経済の見直し)
中国贔屓で徂徠も評判が悪く皇国思想には入らず
「本居宣長」町人から医者」「古事記」を研究(夢想家)
源氏物語論を主筆、ロマン主義、國學が神話的ロマン主義を人々に提供する
「古事記伝」内容を解き明かすことの書(参考にしたのは万葉集)
厳密な合理主義者であり狂信的な国粋主義者(2つの顔)
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