一応私は国文科卒業であるし、一応職業として教壇に立っていたこともありますしで
教職についてる時には同和教育の研修にも参加させられてきましたし
いわゆる封建身分制度下で四民以外の部落民が存在することも知っておりますが
それらは全ていわゆる実際に差別っていうもの自体を、する側される側って言うような経験をしたことありませんけども
江戸時代に士農工商の四民以下のいわゆる敢えてここでも差別用語で書かせてもらいますが“穢多”“非人”は髷が結えず、さらに帯を締めることが許されていなかっただけでなく人別帳にも記載されてないって言うことを学問として知っているだけだし
彼らのいわゆる四民が忌避する仕事を一手に引き受けてることで人々の日常生活が成り立っていたことも理解しているんですが
ある意味集団心理として、そう言った人々たちも国民として明治維新以降に戸籍(過去の人別帳)が与えられたものの
差別を受けているっていうのも理解しているのは
こう言った作品を藤村が小説として作品にしてきてるのと
部落民差別というか蔑視を無くそうと運動も知ってはいるものの
こう言った差別に実際遭遇してきてないことから遠いお話としてしか感じていないのも事実ですが
今でも一部ではこの差別意識が根強く残ってることも理解しています
なんと60年ぶりの再映画化なんですね
大映の市川雷蔵作品も見てるし、学生時代には原作も一応は読んでいるものの
この作品を今映画化するって言ういうとこには何があったんだろうって思わざるをえませんでしたが
間宮祥太郎を主役に据えたところは
まぁ女性客をターゲットにしてるっていうのもわかります
いや実にわかりやすく作ってある作品でしたねぇ
ただやっぱなぜ差別されるのかって言ういう根本原理を理解してないとこの作品の本質は掴めんかもしれないなぁ
って言う思いはありましたが、一本の文芸作品の映画化っていうことだけで見れば
実にしっかりと構築されたプロットだと思える
仇役はそれらしく、慕う生徒もそれらしく、完全なるステレオタイプですね
それだけわかりやすい作品となってるものの
根底に流れている差別主義もステレオタイプに終始しちゃっていたのがねぇ
まぁこう言った差別主義が今日までも未だ続いてるって事を忘れてはならないんだっていう意識を改めて思い起こされた作品だったかな
そういう意味でもこの映画を製作した意味があったのかなぁ
2022年製作、日本映画、全国水平社創立100周年記念映画製作委員会作品、東映配給
島崎藤村原作、前田和男監督作品
出演:間宮祥太朗、石井杏奈、矢本悠馬、高橋和也、小林綾子、七瀬公、ウーイェイよしたか、大東駿介、竹中直人、本田博太郎、田中要次、眞島秀和、石橋蓮司