山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

山が取り持つ縁

2020-06-07 00:00:55 | 書籍
2ヶ月ほど前のこと、岩手の友から歌集を出版したという知らせが届いた
彼との出会いは大学3年生の夏、南八つを縦走中の赤岳の頂上であったと記憶している
しばらくはお互いに登った山の写真と手紙をやりとりしていたけれど次第に年賀状の交換だけになった
力強く味のある版画に、岩手の詩人「宮沢賢治」の詩を載せた年賀状は毎年の楽しみの一つになっていた
もしもあの頃、今のようにインタ-ネットが普及していたらもっと深いやりとりができたであろうにと思う




正直に言うと僕は和歌が良く分からない
でも何度が読み返してみると、極くごく身近なことを詠った言葉の一つ一つに
彼らしい人に対する優しさや思いやり、ユーモアをしみじみと感じることができた



あれから47年、二人とも68歳の老境に入ったけれど違う世界でお互いにまだまだ意気盛んである
若き日に赤岳で出逢い、しばらく同じ登山道を歩きながら言葉を交わしただけなのに人と人との縁は不思議なものである

表紙の陽さん人形を見ながら、顔をくしゃくしゃにして笑う彼の笑顔が鮮明に蘇った
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山に行けない日々は

2016-01-31 16:25:36 | 書籍
毎年この季節になると仕事漬けの毎日となって山歩きを諦める。
そんな時は愛読書が唯一の友となり、その時々の自分の心のありようで手に取る本も変わってくる。

山へタイムスリップしたいときは『深田久弥選集 百名山紀行』がいい。
この本を読みながら、久弥とともに稜線を歩き頂きに立って四周の大観に思いを馳せる。
北アルプスは先鋭で派手、颯爽とした英雄だとすれば、南アルプスは重厚で地味、鷹揚で野暮ったく胆の据わった豪傑である。
前者は直ちに人を魅了するが、後者はその魅力を理解するまでに時間がかかる、対照的な北アと南アを明晰に言い表している。

峪に分け入って岩魚を喰いたくなった時は『大イワナの滝壺』を読みながら峪に遊ぶ。
昭和30年代~40年代、殆ど情報のない人跡未踏の峪を大イワナを求めて山深い難ル-トを遡行する釣行記。
この本を読んでいると男の誰もが秘めている冒険心や探検心が沸々と湧いてくる、これはすこぶる危険な本である。





涙を流して心晴れやかになりたいときに読むのは『未踏峰』

溜りに溜ったストレスを一気に爆発させて雲散霧消させたいときには『光の山脈』がいい。
愛する者たちを傷つけられ辱められた若き猟師は、豪雪と蒼氷の南アルプスに立てこもり
猟銃と愛犬と山の経験と知恵を武器に悪辣な暴力集団と壮絶なサバイバル戦を繰り広げていく。





心がほっこりなりたいときは『ヤッさん』
公園を寝ぐらにする誇り高きホ-ムレスのヤッさんは築地市場と高級料理店を行き来して生活する。
驚くべき食の達人で、人情と男気あふれるヤッさんの哲学と生き方が痛快でおもしろい。





この時期は旨い酒に酔って、寝床に潜り込み目を閉じる瞬間が一番幸せを感じる時かもしれない。
あと二週間もすれば不眠不休の1か月が始まり、愛読書ともしばらく会えなくなるだろう(寂しい)





春の訪れが待ち遠しいですね!
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ディアスポラ

2014-03-10 02:22:51 | 書籍
ディアスポラとは、植物の種などが撒き散らされることを意味するらしい。
そうであるならば、タンポポが風に乗り、木いちごが野鳥を媒体として植生地を広げ種族を繁栄させるという未来志向の明るい話になる。

しかし、この書で描かれているディアスポラはそうではない。
日本という国土と国家を失い、様々な国々に離散して暮らす日本人の集団が描かれている。

破滅的な原発事故で日本列島が居住不能となり、チベットの難民キャンプで将来の希望も見いだせないまま懸命に日本人として生きようとする人々
言葉も通じない国で、仕事もなく、粗末な住居に住み配給される食料で今日一日の命をつなぐ生活の中で日本人としてのアイデンティティ-が保てるものだろうか?

日本に残ることを選択したいくつかの家族も、放射能被ばくによって次々と家族や親しい友を失っていく悲哀。
水も山菜もキノコも鹿も猪もウサギも放射能に汚染されて食料にすることも出来ず限られた食料と水でどうやって生き延びられようか?





驚くのは、この書が東日本大震災の10年も前に描かれた書であり、極めて暗示的とも予言的とも受け取れる書であることである。

福島原発で町や土地を失った人たちは日本の国土や同胞の中で暮らせるだけでもまだ幸いといえようが、
それでも慣れない土地で将来を描けない不安、拠り所となるふる里に帰れないもどかしさや葛藤は恵まれた我らには想像もできない。
ましてや日本という国土と国家を失い、世界中の見知らぬ土地で肩身の狭い暮らしを続け将来を見通せない絶望感はイメ-ジすることさえ難しい。






原発ホワイトアウト、現役キャリア官僚が著した告発本である。

福島原発事故で盛り上がった国民の脱原発意識などすぐに薄れてしまうことなど権力は端から見通していた。
モンスタ-システムともいえる政財官の強固な融合体が着々と原発再稼働を画策する様が手に取るように良くわかる。





日本の裏支配体制を見るにつけ絶望的になる。
科学技術に絶対はありえない。
それはチェルノブイリで、スリ-マイル島で、福島で明らかになっている。

いち早く脱原発を宣言して動き出した国々もあるというのに日本は福島から何も学んでいないのであろうか?

50年後、100年後、我らの子や孫がこの国を捨てて彷徨える民族にならないことを切に願う!



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転落人生

2009-03-28 23:48:24 | 書籍
狂瀾怒濤の一週間であった。

1週間でいいからホ-ムレスをやってみたい
ひと月、深い雪に隔絶された山奥の洞窟で過ごしてみたい

仕事と時間に追いまくられているとき、ついついこんな妄想を抱いてしまう
弱気の虫が騒いで無意識のうちに現実逃避へと向っているからであろうか



新宿の地下通路に屯すホ-ムレスの人たちを初めて見たのは30年も前のことである

『ああはなりたくないよな』『あいつら怠け者なんだよ』
誰もが蔑んだ目で見て、そう口にしていた時、僕は少々違う感じで見ていた

ダンボ-ルの上に車座になって昼間から酒を酌み交わす光景に
『あんな生活もたまにはいいかな』、そう思ったものである

しかし、それはやはり目の回るような忙しさからの現実逃避の気持の表れであり
『たまには』という気持にこそ『ずっと』を強烈に否定する軽蔑が潜在していたのかも知れない



書店で目が釘付けになった
『今日ホ-ムレスになった』(増田明利著、彩図社刊)





ここに登場する15人はみな大卒の学歴を持ち、一流企業の管理職経験者が殆どである
現役時代はやはりホ-ムレスを見て『ああはなりたくない』と蔑んでいた人たちである

リストラで会社を追われ、これはと言う技術も能力もないために再就職もままならず
経済的に破綻を来して家も手放し家庭も崩壊し、そんなお決まりの転落人生に陥った人たちである

路上で横たわる姿を見られることも、ゴミ箱から残飯を漁ることも、不潔な身なりでいることも、
いつしかそれを恥ずかしいと感じなくなってしまうとこと。
この諦めはとても恐ろしいことである

この15人の人たちの転落人生物語を読んで感じたことは
いま仕事も家庭も人生も至って順調であるかに見える誰もがホ-ムレスになり得ると言うこと

40代中盤を過ぎて会社を追われ、誇れる技術を何も身につけていない人たちは
誰もがこの人たちのような悲惨な転落人生が待っていると言う現実を知っておくべきかも知れない



釣友に誘われて酒場の暖簾をくぐった
ちっちゃなテ-ブルが3つ、ほんの3坪ほどの隠れ家のような飲み屋であった
酒屋のご主人が営むこの店は各地の旨い酒が驚くほどに安い



笑顔の優しい親爺さんを慕って個性的を絵に描いたような常連客たちが屯す
釣友と釣りを語り、そしていつしか隣の客とも入り乱れて人生を語る




嬉しいことに馬刺しも味わえた
この穴蔵のような隠れ家は、僕の憧れていた洞窟を彷彿とさせる

深い雪に閉ざされた山奥の洞窟生活のためには
酒と食料と薪をたっぷり用意するのに大変な労苦を要する

この店なら気軽に快適で楽しい穴蔵暮らしができるではないか?
僕にとっては願ってもない穴蔵を教えてもらって嬉しくてたまらない心境である

この穴蔵生活にどっぷりと嵌ってしまいそうでちょっと怖いような気もするのだ(喜)
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くう.ねる.のぐそ

2009-01-25 23:55:18 | 書籍


『くう.ねる.のぐそ』


むむむ?


の  ぐ   そ   ? ? ?


たまたま立ち寄った書店で、この書名に釘付けになってしまいましてね。

のぐそ って、、、あの、、、のぐそ の ことなのね?

のぐそ って、、、野山でするあの脱糞のことよね?

と言うことは、、、志村けんの『だっふんだあ』 の あれだよねえ?

野宿派の僕としては『のぐそ』という魅惑のフレ-ズに
激しく親近感が湧き上がってきて思わず本を手にとって鞄の中へ、、、、
それじゃ万引きですわね。もちろんレジでお金を払って我が愛読書となった訳でして、、、、。







タイトルからしてこりゃフザケタ本だろうと軽い気持ちで読み進みますと
これが何と至極まともな内容なのでありまして、、、。

これほどまでに真剣に『のぐそ』に取り組んだ書を見たことがありませんでした。
まさに『のぐそ』の集大成と言っていい究極の『のぐそ本』なのでありました。

自然保護活動の中で著者は大きな気づきを得た訳なんですな。
ウンコはトイレに流せば地球環境に大きな負担を与える。
自然から頂いた食物の残滓であるウンコも野に放てばそこに棲む生物にとって大変なご馳走になるのだと、、、。

それからというもの『のぐそ』の千日行に挑み
今までに何と10000回を越える『のぐそ』を重ねて極めていったのだと。

のぐそ初心者の方は是非この本から『のぐそ』の醍醐味と
拭き心地のよい葉っぱの見分け方、正しい野糞法などを会得していただければと思います。

そして極めつけはウンコがいかにして土に還るかの追跡調査。
自分が野に放ったウンコを掘り返して分解過程を調査し
ウンコに集う動物や植物、菌類がウンコを通じて繰り広げる食物連鎖のレポ-トは圧巻です。

『野糞跡の掘り返し調査では、多くの動植物や菌類が私のウンコに群がり
たいへんな饗宴を繰り広げている現場を目撃した。ウンコをきちんと土に
還しさえすればもうそれだけで生きている責任を果たせそうな気がしてきた』








私たちは『環境保護』を声高に叫びながら実は殆ど何もできません。
私たちの近代化した生活そのものが環境破壊の元凶そのものになっています。

この本は、『のぐそ』こそが私たちにできる数少ない環境保護活動の一つであると言うことを教えてくれています。

のぐそフリ-クの皆さん、この本を読んで自信を持って自然環境保護に貢献しようではありませんか。
自然環境保護のために何かしなければと思い悩んでいた良識派の皆さんも
『のぐそ』を通じて環境保護を実践してみようではありませんか。

これからは
小学校のカリキュラムに『のぐそ』の時間を設けよう!
地域で行うラジオ体操の後で必ず公園に『のぐそ』をしよう!
会社でのボランティア活動は野山に行って『のぐそ』をしよう!

ちょっとふざけ過ぎましたかね?
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社長の器

2008-12-21 21:34:20 | 書籍
佐山典生さんと言えば、、、、。
株をやる方なら聞き覚えのある名前ではないでしょうか?

新興市場が華やかなりし頃、そうです『ホリエモン』が我が世の春を
謳歌していたあの頃、マスコミに登場する佐山さんの顔をご記憶ではないでしょうか?

一橋大学教授そしてM&Aアドバイザ-、株の世界では良識派とでも言いましょうか。
『ホリエモン』の買収対象となった会社のエ-ジェントとして
なりふり構わぬホリエモンを諫める場面も多々ありましたなあ。

その佐山先生が編集した『社長の器(日経新聞出版社)』
『企業価値向上論』という佐山先生の講座で著名な経営者が語った話を編集したものである。

『社長の器で会社は決まる』
正にそのとおりである。現在の、そして将来の経営者に是非読んで欲しい一冊である。



この本を読みながら、ふっと麻生首相の顔が浮かんだ。
麻生さんは首相の器なのだろうか?
首相として本気で日本を再生させる気概と覚悟と能力はあるのだろうか?

池田勇人は所得倍増論を、田中角栄は日本列島改造論を、強烈なメッセ-ジとして国民に発した。

麻生さんは分かりやすく濃縮された言葉に乗せて熱いメッセ-ジを国民に発しただろうか?
国民の不安を払拭し希望と共感を抱かせるような心に響くメッセ-ジを発したであろうか?

山積する問題を強行突破する壮大な政策を打ち出したであろうか?
閣僚を説き伏せて政策を実行に移したであろうか?

目の前に横たわる危急の問題解決のために猛スピ-ドで政策を実行したであろうか?

すべからく否である!
志の低い世襲議員に熱いメッセ-ジなどあろう筈もない。
自立していないお坊ちゃまに国を変革する能力も気概もあろう筈もない。

トップの器じゃない人間が間違ってトップの座に着いてしまったのではないのか?
本人にとっても国民にとっても、これほど不幸なことはない。

取り巻きに惑わされることなく自分の信念を貫く強いトップリ-ダ-の出現が今こそ待たれる時はない。

さて、それでは自分はどうだろうか?
自営業の経営者として、家庭という経営者として、
一人の人間の人生という経営者として反省すべきことはないであろうか?

この際、もう一度原点に還って見つめ直してみたいと思う。





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戦わない経営

2008-01-16 00:10:27 | 書籍
『戦わない経営』(浜口隆則著、かんき出版)

昨年の夏の事である。
この書名に目が釘付けになり、思わず手にしてしまった一冊である。
それは、私が目指していたテ-マそのものだったから。

これ、絵本の様であり、詩集の様でもあり。
ところがこの本、なかなか奥が深いのである。

詩のような短いフレ-ズの中に、私の理想とする経営や経営者のあるべき姿が鮮明に描かれている。
手にしてから何度読み返した事であろうか?
この薄っぺらな詩集、私にとって経営のバイブルの一つとして大きな存在になってしまった。



『経営は、人を幸せにするためのビジネスって仕組みを、ちゃんと運営すること。
人が幸せになるのを見るのは、楽しいこと、嬉しいこと、きっと人生で一番楽しいこと。だから、経営は楽しい』

『会社というものは、どの会社でも同じ。幸せをつくっている。
お菓子屋さんはお菓子の上に幸せを乗っける。八百屋さんは野菜に幸せを乗っける。
そうやって、お客さんに喜んでもらうとお客さんがハッピ-になる。
お客さんがハッピ-になると社員がハッピ-になる。
社員がハッピ-になると家族や友達もハッピ-になる。
そうやってハッピ-はつながってゆく。だから、会社は幸せをつくっている。
だから社長は、幸せの専門家じゃないといけない。』

『想いだけじゃ、経営は成り立たない。経営には、ココロも大切だけど、戦略や技術も必要。
本来、とても小さくて弱い存在の雑草が逞しく生きているのは戦略を持っているから。
雑草は戦わない。とても上手に戦いを避けて、力強く生き残っている。
小さな会社も雑草と同じ。正しい戦略を持っていれば力強く生きていける。
小さな会社の正しい戦略は、戦わないこと。
幸福を追求しながら生き残っていくためには、戦ってはいけない。
ビジネスは不戦勝でいいんだ』

『誰も戦いたくないのに戦ってる。戦いをやめられなくなってる。
経営と戦いの結びつきは想像以上に強い。普通に経営していると戦いこそが日常。
お客さんと戦い、競合他社と戦い、チ-ムの仲間同士と戦い、
協力業者と戦い、お金と戦い、時間と戦い、世の中の動きと戦い、
そして自分自身と戦っている。
こんなに戦っていて、幸せになれるはずがない。
この戦いを一つ一つなくすこと、それが戦わない経営が目指す姿』

『大きい会社ではなく、強い会社でもなく、優秀な会社でもなく、
愛される会社に、わたしたちはなりたい』

とてもすべてを紹介することはできません。

が、この詩のような短い言葉たちは、『個別化』を目指せと唱えています。
強者がたむろす土俵で戦ってはいけない、自分の世界を築けと唱えています。
お客様も、社員も、取引先も皆、ハッピ-になるための大切なパ-トナ-だよと唱えています。

以前ご紹介した、キャンプ場ではないキャンプ場、そしてガソリンを売らないガソリンスタンド。
個別化を成し遂げたら、もう戦う必要はなくなったのです。
これ、戦わない経営の好例ですね。

自分たちの理想とするクリニックづくりをひたむきに続けていたら、結果として個別化を成し遂げていた。そんな例もあるのです。

ライバルと戦うことよりも、ひたすら個別化を生み出すことに力を注ぐ。
この方がもっとずっとおもしろいに決まってますよね。

経営者の皆さん、いかがですか?








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師匠からの贈り物

2008-01-14 00:02:55 | 書籍
思いがけない方から書籍小包が届いた。
中には『税道一路』と題された一冊の本が収められていた。
85才になられた我が師匠、駒村 貞先生の自叙伝とも言える書である。



その場で一息に読み通した。
まさに税道一筋に生きてこられた先生の人生の軌跡、多くの出会いなどが記されており、あの頃を懐かしく思い浮かべながら読ませて頂いた。

先生は、私が修行させていただいた最初の師匠である。だから人生の中で最も影響を受けた師匠である。私が修行に入ったとき、先生は今の私と同じ55才であった。体は小柄ながらも真四角の顔に三角形の目がぎらついて精気に満ちあふれていた。何につけても精力的で、若い私たち以上に本を読み研鑽を続け、その姿を私たちに示していただいたものである。私が生涯、学び続ける覚悟ができているのは先生の学ぶ姿を見続けて来たお陰である。

私が修行させていただいた5年間はまた、私の人生や価値観を変えてしまうほどの出会いも一つや二つではなかった。

本の裏表紙に85才の先生の写真があった。
最後にお会いしたのは15年も前のことである。
忙しさにかまけてずいぶんご無沙汰である。
風貌はあの頃より幾分穏やかになったような気がする。

私が国家試験に合格した朝、真っ先に別の修業先に祝福の電話を頂いたのも先生であった。
あゝ、ずっと気にかけて頂いていたんだと師匠の声に感激したものである。
私はまだ到底師匠の域には至っていない。これからもたゆまず修行を続けなければと思う。

今も現役で活躍されている先生を、お訪ねしたいと思います。








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感動のDVDセミナ-

2007-12-31 01:46:46 | 書籍
仕事納めの翌日から、静かになった事務所でひとり研修の時間が持てた。

DVD研修。この3日間で14本のDVDを聴講しようと決めていた。
とりわけ今年は忙しくて、講演やセミナ-を聴講したり、先端を走る日本有数の歯科医院を見学してまわることが出来なかった。

こんな私にとって、このDVDたちはとても貴重であり、ありがたいものである。



世界トップクラスの歯科医院グル-プ、日本有数の歯科医院、お手本とされる総合病院、飲食店グル-プやドライビングスク-ルなどなど。

何ヶ月もかけてじっくり取材されドキュメンタリ-風にまとめられたDVDは、とても見応えのある仕上がりである。私が1日をかけて見学するよりも、その真髄をつかむことには遙かに優れていると感じる。

このDVDたちを聴講して、、、、、。
たくさんの志の高い方々に出会うことが出来た。
斬新な発想やアイデアに目から鱗がはげ落ちた。
夢見ることの素晴らしさを再認識した。
チ-ムづくりの大切さを学んだ。
事を成し遂げるためには、妥協せず、諦めず、ひたむきに取り組むことの大切さを学んだ。
そして、明日へのエネルギ-をもらった。

このDVDたちを見ていて、感動の涙があふれた。
ここで働く人たちは、何故あんなに活き活きとしていられるのだろうか?
楽しそうに、やりがいを感じて働けるのは何故なんだろうか?
ここで働けることに、あんなにも誇りを持てるのは何故なんだろうか?

そこには必ず強い情熱を持ち続けるリ-ダ-が存在する。
そこには必ずリ-ダ-の素晴らしい経営理念が存在する。
その熱い想いを、繰り返し繰り返し諦めずに伝え続けている。
スタッフの成長を心から喜んでくれるリ-ダ-が存在する。
成し遂げることを喜び合える仲間たちが存在する。

素晴らしいチ-ムを創り上げるのは、一朝一夕にはできない。
10年も20年もかけて、やっとのことで出来上がる。

情熱を持ち続けること、妥協せず諦めないこと、このことを深く心に留めたい。
そして、来年からの事務所のチ-ムづくりとお客様へのコンサルティングに活かしたい。
今回もたくさんの素晴らしい事例に学ぶことができた幸運に感謝したい。

仕事は人生そのものである。
人は仕事の中でこそ大きく成長を遂げられる。
来年もまた自分磨きに精進しよう。
来年はもっともっとおもしろくなるぞ!


皆様、今年一年良いおつきあいをいただきありがとうございました。
皆様と出会えた幸運に感謝いたします。
そして親密なおつきあいを続けさせていただいたことに感謝いたします。
来年もまた、日々進化し、もっともっとおもしろい1年にしたいと思います。


皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいますように!




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エクセレントサ-ビス

2007-09-30 13:44:32 | 書籍
エクセレントサ-ビス(林田正光著、PHP研究所発行)



以前このブログでご紹介した『ホスピタリティの教科書』の著者が著した良著です。多くの企業が、社員全員で経営理念を共有して良い企業風土を作ろうと、リッツカ-ルトンのクレドに学んで動き始めています。

この本は、お客様感動を生み出す企業風土と組織を育てるための礎となるクレドの作り方、クレドを自分のものとしてその精神を実現するための方途がやさしくわかりやすく書かれています。

クレドはトップが作って社員に押しつけるのでは受け入れられることなく殆どが失敗に終わります。若いスタッフ達自らに、私たちは私たちのこの会社をどのようにして理想の組織に変えていきたいかを時間をかけて議論してもらい、その上でクレドを作ってもらい、クレドの精神を深く理解してもらいながら浸透させていくことが必要であることを訴えています。

確かに、そのとおりです。
でも、これがなかなか難しいことなんですね。殆どの企業は、経営理念やクレドが紙に印刷されて、社員に配られて終わっています。つまり、クレドを作ることが目的化され、形骸化されているに過ぎません。

クレドが出来上がったら、その精神を理解し、掘り下げて議論し、共感し、行動に変え、それを継続していくことで少しづつ企業風土が形成され定着してゆくものです。つまり、クレドを創り上げることも、その精神を掘り下げながら行動に変え、企業風土を醸成してゆくためにも相当の時間を必要とすると言うことなんですね。

この継続的な努力を続けてゆく覚悟が無いのであれば、途中で頓挫させてしてしまうのであれば、この本を読む必要もなければクレドをわざわざ創る必要もないものと思います。
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私なら、こうする!

2007-09-04 01:02:31 | 書籍
『私なら、こうする!(日本経済新聞出版)』

20世紀最高の経営者と賞賛されたGEの元会長ジャック.ウェルチの最新著で、生きたビジネスコ-チングの良著である。前著『ウィニング 勝利の経営』を世に出した後、世界各地で講演し、その聴講者や読者から寄せられた膨大な質問に対する回答が本書にまとめられている。



実績と経験に裏打ちされたコ-チングは実にストレ-ト、具体的且つポジティブで深いものがある。何かを人に相談するとき、同じような考え方、同じようなレベルの人に相談しても、活路を見出すような新しい発見は生まれて来ないものだ。ところがウェルチのコメントには、こんな切り口や考え方があったのかと言う発見がある。

こと仕事に関しては、こんな思想で一貫している。

安定を選ぶより積極的にリスクを取ろうぜ。その方が絶対におもしろいし成長の喜びを感じて生きられる筈さ。

一生の仕事なんて、そんなに簡単に見つかるはずは無いよ。転職を重ねながら人生を掛ける仕事を見つければいいじゃないか。とにかくビジネスの世界に飛び込んでみることだよ。

IT、バイオ、ナノテクと将来性あるビジネスに照準を合わせてビジネススク-ルに学ぶのも悪くはないさ。でも、もっと大切にすべきは自分をわくわくさせてくれる仕事を選ぶべきだよ。その方が遙かにおもしろい人生を生きられる筈だ。

アメリカと日本という文化の違いもあって、違和感を感じる点も無いではないが総じて共感を覚え、新しいヒントが得られる。

『勝者』についての質問に、ウェルチはこんな話をしている。
あなたは経済的な意味合いでしか勝つことを考えていない。それは、とんでもないことであり、そうであってはならない。私は勝利を違うカタチで考えている。個人的な目標を設定し、それを達成すること、そしてそのプロセスを楽しむこと、それが勝利だと思う。それは、会社で重役に昇進することであってもいいし、他のことでもいいはずだ。

私の友人のジムはハ-バ-ド出身の医師だが、彼は名誉と金とキャリアを選ぶ代わりに、毎晩バンを運転してボストン市内のホ-ムレスに医療を施している。彼は質素な生活をしているが人生は喜びに満ちている。そしてホ-ムレスから上院議員に至るまで、ジムを知る人たちからは例外なく尊敬され愛されている。あなたの定義する経済的観点からすれば、ジムは勝者としての資格はないだろうが私は決してそうは思わない。

世界で最高の勝者は誰かと言えば『私は自分の選んだ人生を送っているだろうか』の問いに対して、Yesと答えられる人たちだと思う。それが自分自身で選んだ夢である限りは。

この言葉を、3億4千万円もの年金保険料を横領した社保事務所や役所のクズどもに送ってやりたい。『君たちは今、誇りを持って生きているか。自分は公務員の使命を全うしていると、妻や子や両親に胸を張って言えるか。本当に、恥ずかしくない生き方をしているか?』

君たちに良心があるなら、自分を恥じて身を震わせるのだろうが、そんな心までもが腐りきって消え失せてしまったんだろうな。

さびしすぎるぜ!









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『狂い』のすすめ

2007-08-16 23:39:40 | 書籍
『狂いのすすめ(ひろ さちや著.集英社新書)』




『閑吟集』。室町後期に編纂された歌謡集。
その一節『何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え』
(まじめくさって生きて何になろうか 人間の一生なんて夢でしかない。ひたすら遊び狂え)こんな意味なのだそうです。

とにかくこの本、のっけからふざけたことが度々出てくるわけですが、読み進むうちに『なるほどね、結構真理を突いてますな』と実感する。

目的意識を持つな!
幼稚園の運動会での徒競走。誰かが転ぶと先頭を走っていた子が戻ってきて倒れた子を助け起す。『大丈夫、痛くない?』と。転んだ子を無視して一着を目指す子と助けに戻る子とどちらが正しいか。こんな時、大人はどのように教えるのが正しいのだろうか?

精神病院の浴室で、一人の患者が浴槽に釣り糸を垂れていました。通りかかった医者が『どうです、釣れますか?』『釣れるわけがないじゃないですか。ここは風呂ですよ』。魚を釣るために釣りをする。これは真面目な大人の論理ですね。釣り糸をたれるのは魚を釣るためですが、むしろ本当に釣りを楽しんでいる人は、魚が釣れようが釣れまいがどちらでも良い訳です。ただそこで釣り糸を垂れる。なんかこれ私のこと言ってるのかしらん。

目的意識があると、人間はその目的を達成することだけに囚われれてしまい、毎日の生活を灰色にすることになる。つまり人生を幅広く楽しむことができなくなってしまうと言うことかも。

生き甲斐は不要!
世の中の役に立つ人間になろうとする、その卑屈な意識がいけない。私たちが生き甲斐を持とうとしたとき、私たちは世間の奴隷にされてしまいます。世間は私たちに生き甲斐を押しつけますが、それに騙されてはいけません。人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた何の役にも立たないのだ。彼が生まれてこようと来なかろうと、生きていようと死んでしまおうと、そんなこと一切何の影響もない。→だから世間に気兼ねなく自由に生きよということだろうか?

孤独を癒してくれるもの!
『人、世間の愛欲の中にありて、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る』
人間は根源的に孤独です。ひとりぼっちで寂しい。だから何かを求めます。何か癒すものが欲しいのです。でも結論的に言えば、人間の根源的な孤独を癒してくれるものなんてありっこないのです。したがって、孤独の癒しを求めてはいけません。癒される訳がないのです。そのことをしっかり認識し『孤独に生きるのではなく、孤独を生きる』のです。

結論!
私たちは仏(ほとけ)のシナリオの中で役を演じているのです。演じるという言葉はplay、つまり遊びです。遊びに目的を持ってはいけないのです。あなたの人生は、あなたのものではありませんか。世間に気兼ねしながら生きるなんてもったいないもったいない。世間を気にせず主体性を持って自由に生きる。そういう生き方を仏教は教えてくれています。つまり自由人になれと、、、、、。

と、こんな内容です。な~んだ、仏教の教えを優しく説いた本だったのね。
俗世界に生きる人間の生き方とは、まるで真逆の生き方をせよと言っているが、逆もまた真なり。こんな生き方ができればホントに楽なのだろうな。本来、人間はこんな生き方をすべきなのかもしれませんね。

 
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心が繋がっていると言うこと

2007-07-17 23:37:05 | 書籍
小説を読むのは何年振りのことだろうか?
人と人との深い絆に想いを馳せて涙し、心地よい満足感に浸りながら最後のペ-ジを閉じた。

人は誰も、心の片隅に孤独感を抱えて生きているものである。どんなに満たされていても、どんなに幸せの中にあっても、必ず心のどこかにそれは存在する。

それでも、大切な人と心が繋がっているから、慕っている人に見守られているから、大好きな人と強い絆があるから、人は強くはつらつと生きられる。

心が繋がっていると言うこと。
それは、かけがえのない人だから心から愛し、尊敬し、信頼し、思いやること。本気で心配し、怒り、道を説き、身を挺して守り抜くこと。

人は誰もみな、まっとうな生き方をしたいと願っている。たとえ運悪く道をそれてしまった者もまた同じである。この主人公と出会った人は皆、ハッピ-になってゆく。

おそらく、この作者は天使のような人なのかも知れない。


休日の一日、夏の渓流用のフライを40本巻いた。
天使のようなフライも4本巻いた。白い美しいフライに仕上がった。来週は、真っ先に天使のフライを使ってみよう。でも多分釣れないであろう。岩魚にも良心はあるから。美しい天使のようなフライに喰らいつく筈がない。来週のボ-ズは決まった。

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中央線の呪い

2007-07-06 00:27:01 | 書籍
高校を卒業するまでの私は、まるで本とは無縁の男であった。
無縁どころか、本を読む男なんぞは軟弱極まりない人間であると決めつけ、そんな男は絶対に信用できんと信じ込んでいた。つき合う友も本とは無縁の男ばかりで、勿論めがねをかけてるヤツなど一人もいなかったのである。

それがどうだろう。
大学生になり哲学をかじったばっかりに本の虫になり、本を読まない男なんぞは信用できんヤツだと逆転してしまう始末である。もっとも、昔の友は本は読まないが酒は呑む。酒を飲める友は必要不可欠である。だから今もって深い友人関係が続いている。腐れ縁というヤツか。

まあ前置きはこのくらいにして本の話をしよう。

『中央線の呪い』
この本を手にしたのは1994年10月、13年前のことである。
中央線沿線の本屋にしか置いてない中央線人限定本であり、中央線人気質と中央線文化が見事に描かれているのである。長いこと中央線人をやっている私も『う~む、なるへそぅ!』と唸ってしまう。そして、中央線人の心と文化を忘れないために3年に一度はこの本を引っ張り出して読みふけってしまう。これも中央線の呪いかも知れない。




生粋の中央線人は新宿を中央線文化圏とは認めていない。
超限定的に言えば、高円寺、吉祥寺、国分寺を結ぶ区間を中央線文化圏としている。なるほど、この区間にはヘンな呑み屋や古本屋といった個性的な中央線文化がワンサカある。中央線文化の魅力に引き寄せられた貧乏学生や売れないア-ティスト、反骨精神むき出しの地元人間たちが集まっては田園調布の金持ち族を嘲り、カラッカラに明る過ぎる東横線お嬢さんをイケスカネ~と侮蔑しながら酒を呑む。能書きをたれ、屁理屈をこねながら呑む酒がこれまた旨いのだ。

我々は選ばれた民である、超一流主義を排撃する、和食が一番、儲からなくても好きな道、なんぞと言いながら安い呑み屋で酒を酌み交わす。まあ、可愛くも幸せな中央線人ではある。

中央線人の深層心理
中央線には10の呪いがある
中央線の呪いとタタリ
中央線人の七つの大罪
中央線魔界ガイド

これらの目次を見ただけでもおもしろい。
中央線人の皆さん、一度この本を手に取ってみませんか?
そして、中央線人としての誇りと自負を抱いて生きようではありませんか!

『中央線の呪い(三善理沙子著、二玄社発行)』










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女性の品格

2007-04-25 23:54:31 | 書籍
仕事柄、毎日必ずどなたかとお会いする。

今日は午前中、税理士会に所用があり、ついでに東京税理士会の会長と副会長選挙の投票所へ足を運んだ。ここにも対応の良い役員さんと横柄な役員がいて、心地よく感じたり不愉快にさせられたり。まだまだ品性のない税理士の多いことに嘆かわしさを感じる。いつまでも先生商売でもないだろうに。

午後は横浜の医療法人Y会で理事長と経営会議。
同業の仲間たちは、医療機関を専門にしている私に対して『医者や歯医者は我が儘で横柄でやりにくいだろう』とイメ-ジだけで決めつける。決してそんなことはないのに。私のおつきあいしている先生方が特別ではないだろうが、心遣い、言葉遣い、真摯に耳を傾ける、真面目に医療に取り組む姿勢、品格を備えた先生方はどれをとっても素晴らしく見習うべきことが多い。

夕方から西荻窪のM先生とお会いする。ひとしきり医院経営のお話をしたあとは必ず二人の趣味の話で盛り上がる。M先生は40代半ばで独身生活を謳歌しておられる。バイクと登山と釣りが飯より好きという方で、夏には必ずテントを携えて北海道へバイクの旅にでる。休日が2日間続けば必ず山へ向かう。GWは4日間も雪の立山で幕営しながら心を解き放つんだとか。話の最中に、患者さんから『タケノコご飯を作ったから食べて』と先生に差し入れがあった。愛されている証なんですね。

もう何十年も雪山に行ってないなあ。来年は行ってみようかなあ。
GWの期間は、一人静かに仕事にいそしむことができる願ってもない時間である。
満足のいく仕事ができたら1日でも2日でもいい、心を解き放つ旅に出たいなあ。







『女性の品格』(板東真理子著、PHP新書)

品格ある暮らし方、装い方、言葉遣い、立ち居振る舞い、そして生き方や心の持ち方。女性が一人の社会人として品格を備えた生き方ができるための気づきを与えてくれる良著です。女性に限らず男性の方も。

品格を備えた方にお会いする度に、心地よさを感じ尊敬の念を抱きます。
そして、こんな人になりたいと思わせてくれるものですね。
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