午後7時前、夕焼けの中を黒部に向けて旅立った。
今年初めての黒部の旅に心は湧きたっているのに何故か嫌な予感が渦巻いていた。
何故なのだろうか?
今年3度も黒部にチャレンジしながら貧果に祟られ続けている寅さんが道連れだからなのだろうか?
何はともあれ体調も回復して、お約束の百段百段も快調に進む。
道草をしなかった今回はCTよりも大分早く平乃小屋に辿りついた。
この染み入るような群青の空と湖を眺めているだけで心が洗われていくのが自覚できる。
乾いた喉に一気にビ-ルを流し込む。
この爽快感を味わうためだけに極力水を控えてきたのだ。
寅さんが作ってくれた飯山の蕎麦を一口手繰る、そして間断なく手繰る、文句なく旨し!
彼の誘いに乗って2本目のビ-ルに口を付けてしまった、あぁこれで一日目の釣りは終わっちまったな~!
爆睡のあとでヌクイ谷を釣り上がる寅さんも山釣りの姿がなかなか様になってきた。
ように見えるが、実はほろ酔いの足はふらつき目は霞んでおそらくフライがどこにあるのか見えてはいない筈である。
二人して見事に坊主を喰らって潔く負けを認めた夜は、心晴れやかで酒がことさらに旨い。
寅さんが担いできた白ワインで気持ちよく酔ったあとも日付が変わるまで呑んでしまった。
2日目は朝6時の渡船で白き谷に渡った。
登山道の脇に朝露に濡れて輝くリンドウがひとつ。
この凛とした気高さは、栽培された花には決して備わることのない美しさである。
午前7時、木橋の傍にザックをおろした。
ここは昨年、相棒のヒロキチちゃんと川飯をして昼寝した場所、懐かしい。
陽の当らない寒い峪で焚火を熾して寅さんが淹れてくれたコ-ヒ-で暖をとる。
ふいに、熊、と叫ぶ彼の指差す方向に目をやると対岸を走り去る熊が目に入った。
豊かで艶やかな毛並み、優しいながらも誇り高き風貌、走り去る四肢の躍動を目にして
その野生の持つ美しさに思わず抱きしめたくなるような衝動に駆られてしまった。
あの熊と心が通じ合うテレパシ-を僕が持ち合わせていたらどんなに素敵なことだろうか。
午前8時前、白き谷にご来光を迎える。
ほんの数分で太陽は輝きを増し、峪を明るく照らし、少しずつ温めていく。
寒ければ寒いほど日の光の有り難さを感じる一瞬である。
午前9時、峪の隅々にまで日の光が行き渡った。
今日も吸い込まれるような黒部ブル-になった、これだけでここにいる幸せを感じてしまう。
9月後半の黒部岩魚は午後から活性が上がると平乃小屋の佐伯さんが言っていたれど、待ちきれずに釣りあがった。
小M沢出会いの先まで釣りあがって、結局釣れたのは寅さんの8寸岩魚一尾だけ、はやり早すぎたか?
2日目も飯山の蕎麦を頂いて幸せの川飯を味わった。
蕎麦好きの僕のために寅さんはラ-メンで我慢してくれた、申し訳なし。
午後の部は1時半から下流部を釣りあがる。
言われたとおり岩魚の活性が上がってドライフライへのアタックが活発になってきた。
とは言え、減水した峪への岩魚の遡上は少なく、尚且つ毎日釣り人に攻められて神経質になった岩魚の喰いが浅くて難儀した。
手にした岩魚は二人とも3尾づつ、バラシ多数、まあヘボ釣り師の我らとしてはこんなものでしょうね。
釣れた岩魚はその場で漬けにして夜の宴会の酒肴の一品に加わった次第です。
帰りの船を待つ間、渡船場で寅さんがルア-を投げる。
ほんの20分ほどで銀ピカのブル-バックを2尾キャッチ、この刺身もとろけるほどに旨い。
3日目、黒部とのお別れの朝
ヘロヘロの僕とは対照的に増々源流師らしく逞しさを増す寅さんが羨ましい。
帰途、黒き峪を魚止めまで釣りあがる。
右岸の深い洞窟が埋まり、左岸の流れがなくなって岩魚の着き場が少なくなっていた。
僕のドライフライめがけて良型の岩魚がぬうぅっと浮き上がってきたけれど喰らいつくことはなかった。
これほど魚影が薄く、しかもナ-バスになっているのは珍しいことである。
今回も往復8時間の登山道を歩き、3本の峪を遡行し、良く歩いたものである。
4年間、僕の旅を支えてくれた相棒SIMMSもついに壊れてしまった(お疲れさん)
思うように岩魚には出会えなかったけれど、黒部の大自然が変わらずに好きだ。
荒削りの峪に、ジンクリアな流れに、そこに棲む岩魚たちの生命の躍動に、
抜けるように蒼い黒部ブル-の空に、その中にいるだけで満たされてしまう不思議。
だから旅はおもしろい。
また来年も黒部に身を置きたいと思う。
寅さんとの二人旅ができて本当に良かった(ありがとう)
今年初めての黒部の旅に心は湧きたっているのに何故か嫌な予感が渦巻いていた。
何故なのだろうか?
今年3度も黒部にチャレンジしながら貧果に祟られ続けている寅さんが道連れだからなのだろうか?
何はともあれ体調も回復して、お約束の百段百段も快調に進む。
道草をしなかった今回はCTよりも大分早く平乃小屋に辿りついた。
この染み入るような群青の空と湖を眺めているだけで心が洗われていくのが自覚できる。
乾いた喉に一気にビ-ルを流し込む。
この爽快感を味わうためだけに極力水を控えてきたのだ。
寅さんが作ってくれた飯山の蕎麦を一口手繰る、そして間断なく手繰る、文句なく旨し!
彼の誘いに乗って2本目のビ-ルに口を付けてしまった、あぁこれで一日目の釣りは終わっちまったな~!
爆睡のあとでヌクイ谷を釣り上がる寅さんも山釣りの姿がなかなか様になってきた。
ように見えるが、実はほろ酔いの足はふらつき目は霞んでおそらくフライがどこにあるのか見えてはいない筈である。
二人して見事に坊主を喰らって潔く負けを認めた夜は、心晴れやかで酒がことさらに旨い。
寅さんが担いできた白ワインで気持ちよく酔ったあとも日付が変わるまで呑んでしまった。
2日目は朝6時の渡船で白き谷に渡った。
登山道の脇に朝露に濡れて輝くリンドウがひとつ。
この凛とした気高さは、栽培された花には決して備わることのない美しさである。
午前7時、木橋の傍にザックをおろした。
ここは昨年、相棒のヒロキチちゃんと川飯をして昼寝した場所、懐かしい。
陽の当らない寒い峪で焚火を熾して寅さんが淹れてくれたコ-ヒ-で暖をとる。
ふいに、熊、と叫ぶ彼の指差す方向に目をやると対岸を走り去る熊が目に入った。
豊かで艶やかな毛並み、優しいながらも誇り高き風貌、走り去る四肢の躍動を目にして
その野生の持つ美しさに思わず抱きしめたくなるような衝動に駆られてしまった。
あの熊と心が通じ合うテレパシ-を僕が持ち合わせていたらどんなに素敵なことだろうか。
午前8時前、白き谷にご来光を迎える。
ほんの数分で太陽は輝きを増し、峪を明るく照らし、少しずつ温めていく。
寒ければ寒いほど日の光の有り難さを感じる一瞬である。
午前9時、峪の隅々にまで日の光が行き渡った。
今日も吸い込まれるような黒部ブル-になった、これだけでここにいる幸せを感じてしまう。
9月後半の黒部岩魚は午後から活性が上がると平乃小屋の佐伯さんが言っていたれど、待ちきれずに釣りあがった。
小M沢出会いの先まで釣りあがって、結局釣れたのは寅さんの8寸岩魚一尾だけ、はやり早すぎたか?
2日目も飯山の蕎麦を頂いて幸せの川飯を味わった。
蕎麦好きの僕のために寅さんはラ-メンで我慢してくれた、申し訳なし。
午後の部は1時半から下流部を釣りあがる。
言われたとおり岩魚の活性が上がってドライフライへのアタックが活発になってきた。
とは言え、減水した峪への岩魚の遡上は少なく、尚且つ毎日釣り人に攻められて神経質になった岩魚の喰いが浅くて難儀した。
手にした岩魚は二人とも3尾づつ、バラシ多数、まあヘボ釣り師の我らとしてはこんなものでしょうね。
釣れた岩魚はその場で漬けにして夜の宴会の酒肴の一品に加わった次第です。
帰りの船を待つ間、渡船場で寅さんがルア-を投げる。
ほんの20分ほどで銀ピカのブル-バックを2尾キャッチ、この刺身もとろけるほどに旨い。
3日目、黒部とのお別れの朝
ヘロヘロの僕とは対照的に増々源流師らしく逞しさを増す寅さんが羨ましい。
帰途、黒き峪を魚止めまで釣りあがる。
右岸の深い洞窟が埋まり、左岸の流れがなくなって岩魚の着き場が少なくなっていた。
僕のドライフライめがけて良型の岩魚がぬうぅっと浮き上がってきたけれど喰らいつくことはなかった。
これほど魚影が薄く、しかもナ-バスになっているのは珍しいことである。
今回も往復8時間の登山道を歩き、3本の峪を遡行し、良く歩いたものである。
4年間、僕の旅を支えてくれた相棒SIMMSもついに壊れてしまった(お疲れさん)
思うように岩魚には出会えなかったけれど、黒部の大自然が変わらずに好きだ。
荒削りの峪に、ジンクリアな流れに、そこに棲む岩魚たちの生命の躍動に、
抜けるように蒼い黒部ブル-の空に、その中にいるだけで満たされてしまう不思議。
だから旅はおもしろい。
また来年も黒部に身を置きたいと思う。
寅さんとの二人旅ができて本当に良かった(ありがとう)