『雪だ、山だ、温泉だあ!』
『お前なあ、最近、頭もおかしくなったん、ん?』
電話の向こうで興奮気味に叫ぶ相棒オ-ちゃんを僕はマジで心配しておりました。
かく言う僕も、実はこの日を待ち焦がれていたのです。
低気圧が通過すると真冬の山には真綿のような雪が残ります。
どんなに仕事が忙しくても、どんなに心身が疲れ切っていても
キラキラ輝く新雪に頬ずりしないことには心が定まらないのです。
たった15万で買ったオ-ちゃんのポンコツの助手席からでさえ
雪と霧氷で薄化粧した山の眺めは、それはそれは心躍る魅惑に満ちているのです。
オ-ちゃんの実家の庭先から100mほどの登山口
南面は雪もなくてアイゼンもワカンも必要ありません。
取りつきの初っ端から急登が始まり延々30分も続きます。
やっぱアプロ-チはゆるく始まり徐々に高度を上げる方がええですな。
急登を30分、もう息も絶え絶えにへたり込んで早くも1本取ることに。
歳は取りたくないものでございます、相棒も目で同じことを言っておりました。
急登の後は息を整えるのにちょうどいい緩い登りがしばらく続きます。
今日の僕はア-クのRT35、足回りは6爪のみ、でも必要ありませんでした。
温かいのでアウタ-はRTに仕舞ってフリ-ス1枚で歩きました。
相棒は20年前のドイタ-32、年末に心臓の緊急手術をしたばかりなのでアウタ-を着こんでいます。
それでも雪の付いた山に登りたいのですから殆ど病気です、救いようがありません。
積雪10センチ、徐々に雪が深くなっていきます。
しかし居るものですなあ好き者が、朝だというのにしっかりとトレ-スが付いておりました。
いいでしょこの感じ、このトレ-スがずっとずっと続いているのです。
巨大なクリスマスツリ-です。
人の手では決して創れない見事なア-トです。
ステキな雪化粧!
若者が2人、足早に僕たちを追い越して行きました。
僕たちは顔を見合わせて『俺たちも若いころはああだったんだよなあ』と。
衰え始めた体を嘆いているわけでは決してないのです。
ゆっくり歩きながら山の話に興じ、雪を踏みしめながら雪の感触を楽しむ。
ひととき立ち止まっては薄化粧した木々を愛で、フワフワの雪をすくっては口溶けを味わう。
そんな風に雪山を楽しめるようになったステキな僕たちが愛おしいのです。
積雪15センチ、体も馴染んできて1本立てることなく登り続けます。
最後の登りです。
うわあ、雪だあ!
無垢の雪であるぞう!
キラキラ輝いておるではないかあ!
この無垢の雪を愛でたくてひたすら仕事に打ち込んできたのかもしれません。
自分の庭先だというのに、45年ぶりに登ったオ-ちゃんは
とても感慨深か気に遠くの山々を眺めておりました。
若い頃は、こんな低い山なんて見向きもしなかったものです。
ここは東京、神奈川、山梨の中低山を結ぶ交差点のようなところで
大勢の人たちがベンチにお弁当を広げて騒がしいほどに山飯を楽しんでおりました。
雑踏に馴染めない僕たちは少し下って誰もいない雪原にザックを降ろします。
積雪25センチの雪原を気ままに歩き回って雪の感触を満喫したら、さあ山飯です。
右手にカマンベ-ルチ-ズ、左手にギョニソを握ったオ-ちゃんは
雪の中で酒が呑めることがたまらなく嬉しいようです。
この日はあいにくの日曜日なので雪中泊は叶いません。
雪中泊しない日の山飯はことのほか質素だけれど酒が呑めるだけで幸せになれるのです。
シェラカップに雪のロック、黒霧島の芋を氷結で割れば極上のカクテル、くぅぅっ、泣ける!
僕たちも、いつしかこんな雪山の楽しみ方ができるようになったんですな。
若いころ、腰までつかる深雪をラッセルしながら進んだものでした。
力尽きて樹間で幕営しようにも幕を張るチカラも残っていない状態で。
もしあれが単独行だったならば雪の上にそのまま眠ってしまって凍死していただろうに、
相棒がいたからこそ気力を振り絞って幕を張り、シュラフを寄せ合って凍えた体を温められることができた。
あの頃は、出来る限り軽量化するために食事は質素で酒なんて考えもしなかった。
それでも、森林限界を超えて凍りついた雪面を刻むアイゼンのあのチッ、チッ、チッ、チッという
金属音とも違うあの感触がたまらなく好きで、肌を刺す濃縮された冷気や強風に抗っていたものでした。
そう、あの頃の僕たちは、とてつもない感動も味わっていたのだけれど
それよりも、どちらかと言うと雪山と格闘していた、そんな気がするのです。
歳を重ねた今、僕たちはこの衰え始めた体に感謝したいような感慨を抱いています。
なぜなら、厳しい山との格闘はもういいのです。
穏やかな雪山を登り、酒を楽しみ、雪の中で眠り、山に同化することが
今の僕たちには一番ふさわしい雪山の楽しみ方であると思えるようになったから。
前日の降雪や寒さが嘘だったかのような穏やかな日差しの中で2時間、フワフワの雪に寝そべったり
コ-ヒ-を啜りながら笑いあったりと低山の雪を充分に満喫して山を下りました。
下山路は6爪のアイゼンが安全で快適でした。
僕たちを追い越していった山ガ-ルたちが作ったのでしょうか?
垂れ目の雪だるまが何となく僕に似ているのでした。
下山して、靴とアイゼンの汚れを落として
『さあ、行こか~!』
『どサ?』 『湯っさ~!』
おしゃれなイタリアンもいいけれど
やっぱり、酒のツマミは由緒正しき大日本小皿料理の王道を突き進む。
これぞ誉れ高き日本男児の進む道というものでございましょう。
忙中山あり!
そんな雪山のささやかな一日でございました。