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山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

短い春

2006-03-30 03:53:58 | 独り言
2分咲きだった桜が、3日後の今日は既に満開である。このわずか3日の間に桜は
美しく咲き誇り、はらはらと儚い命を美しく散らしてゆく。
この潔さと、ものの哀れに、私たち日本人は共感し桜を愛してやまない。

世は移ろっても決して変わらないだろう。この日本人の持つ心情や情緒は、他の国の人たちには到底理解できないようである。

私たちは人生を日本の四季に喩える。短い桜の春は青春そのものである。過ぎ去ってみれば、キラキラと輝いていた青春時代はあっという間の季節であった。

高校時代、父や母の庇護のもとで何の不安もなく過ぎた。友や恋人と将来の夢を語り、陸上競技に打ち込み、夏には島に渡り、フォ-クギタ-をかき鳴らしていた。何でも思い通りになると信じ切っていた頃である。

大学時代、楽しい4年間ではあったがいくつもの挫折も知った。箱根駅伝は1ヶ月であきらめた。哲学研究会に属したが、哲学はそこそこに毎日、哲研の部室に入り浸って友と議論を戦わせ、そのまま発狂会と銘打った飲み会になだれ込む毎日。大人の世界に矛盾を感じて左翼思想と学生運動に傾倒し、角棒で戦闘訓練したり学長室を占拠したり。しかし熱い思いは通じることなく、ただのひとりよがりとわかった挫折。

今にして思えば、こんな学生を退学もさせずに将来を保証してくれた大学や教授たちは本当に寛大であったとつくづく思い感謝しきりである。多分、先生方も私と同じ季節を過ごした大先輩であり、学生たちの心情や青臭さをよく理解した上での寛大さだったのだろうと思う。

大学時代に得た財産は、いくつもの挫折と、多くの友や理解ある妻との出会い、そして日本中の隅々まで放浪して出会った人たちの、それぞれの生き様か。
挫折と向き合いながらも本当に楽しくキラキラ輝いていた季節であった。

生きることの厳しさや不安を知らされたのは世に出てからである。税理士になるという夢を抱いて修行生活に入った。本当に国家試験に合格できるのだろうか?
一人前になれるのだろうか?独立して本当に食べて行けるのだろうか?
将来は不安だらけであった。自分を試される季節であったのだと思う。

しかし、夢は叶う。思いは通じる。結果として、自分の描いた人生をいま生きられている。いつも思う。過ぎ去った季節も良かったが、今が一番いいと。

若い諸君に伝えたい。青春時代はとても短く夢のように過ぎ去る。だから大いに楽しんでキラキラ輝いて欲しい。そして、もがき苦しんで欲しい。産みの苦しみを味わうのもまた、青春時代の宿命であり特権でもあるのだから。






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学ぶことは楽しいこと

2006-03-27 23:41:53 | 独り言
3月26日、明治大学大学院の卒業祝賀会が開催された。法科大学院や特設講座等の修了生50人程が集まり、和やかな立食パ-ティになった。たった1年間ではあったが、30年ぶりに学生生活を送れたことに大いなる幸せを感じる。

実のある講義を聴き、沢山の本を読み、学友たちと議論をし、論文をまとめ、模擬法廷で模擬裁判を体験させて頂いた。仕事との両立はことのほか大変であったが、とても充実した時を過ごせた。

学友たちと励まし合いながら、妻やスタッフの助けを借りながら、やり遂げることができた。中村教授や西埜教授、弁護士の牛島先生、多くの学友、妻やスタッフに心から感謝します。1年間本当にお世話になりました。

ここからまた、新たな出発。知りたいという欲求、成長し続けたいという欲求は尽きない。一生学び続けていきたいと思う。この1年間で、志を一つにする親しい仲間ができたこと、一生教えを請える先生に出会えたことは何ものにも代え難い財産となった。

二時間ほど、仲間と1年間を振り返りながら談笑し酒を酌み交わした。更に二次会、気の合う仲間7人と場所を変えて飲み明かし、本音の議論を続けた。また来年、3月最終の日曜日に再会することを誓って別れた。

それぞれの場所に戻ってゆく学友たちの活躍を期待したい。私も負けないように頑張る。皆、元気で頑張って下さい。
乃一ちゃん、近いうちに『いながき』で一杯やりましょうや。
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桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿

2006-03-26 04:15:40 | 独り言
桜は2分咲き。季節は梅から桜に変わり始めた。淑やかな和服から華やかなドレスへと衣替えである。女性は皆、こんな両面を持ち合わせているものである。

『さくら切る馬鹿、うめ切らぬ馬鹿』。こんな格言がある。
桜は新しい枝にたくさんの花をつける、だから枝をせん定してはならない。
逆に、梅の成木は古い枝に花をつけ新しい枝にはほとんど花をつけない。だから新しい枝は残さず切ること。昔、父に聞いた。先人たちの知恵はスゴイといつも敬服至極である。

『さくら切る馬鹿、うめ切らぬ馬鹿』
この格言は、経営についてもヒントを示唆しているように思う。
どんどん多角経営して成功する桜の木タイプ。かたくなに一つのことを守り極めて実をむすぶ梅の木タイプ。どちらも正解であるが、どちらを選択するかは重要な経営判断になる。

大企業は桜の木タイプが圧倒的である。コングロマリットを目指す企業としては当然であるが、オンリ-ワン企業も数多くある。
私たち中小零細企業はどうすべきか?

バイタリティがあり、失敗を恐れないリ-ダ-が率いるチ-ムは前者を目指せば良い。失敗が許されるし、失敗を糧に立ち直りも早い。しかし、多くの中小零細企業は梅の木タイで行くべきである。人材、資金、技術、設備、全てに劣る。

あれもこれもと手を出して、乏しい資金と人材を分散しては絶対に勝てない。自分の得意とするものに資金と人材を集中し、それを極めればよい。そして、これだけは絶対に負けないというものを作り出すことに専念する。

世に言う『差別化』ではなく『個別化』を目指せ。オンリ-ワンをめざし、更にそれを極めていけば更に強くなりニ-ズも格段に増える。オンリ-ワンの技術を持った町工場がいい例ではないか。あのオヤジにしか作れないから、多くの大企業が
頭を下げてやってくる。これはスゴイことである。

オンリ-ワンを極めればスタ-ビジネスになる。次第に良い人材も集まり、ユ-ザ-も資金も豊富になる。この時点で次の戦略を打てば良い。多角化戦略か個別化戦略か、どちらも間違いではない。リ-ダ-の考え方と技量が問われるときである。
私は頑なに後者の道を進みたい。
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二代目の価値

2006-03-24 09:52:03 | 独り言
三遊亭円右師匠が旅立たれた。円右師匠もまた私が子供の頃から親しんだ落語家のひとりである。若かりし頃、あんなにはつらつとしていた方が、だんだん腰が曲がり、声がかれ、小さくなってこの世を去ってゆく。世の常である。

私が最も憧れ尊敬していた落語家は三遊亭円生師匠である。あの極められた技と人格に心酔して、何度、小屋に足を運んだことだろうか。真打ちを量産する小さん師匠に反旗を翻して、弟子を引き連れて落語協会を脱退した。信念を曲げない気骨が大好きであった。

円生師匠が亡くなられたのは、もう20年以上も前のことだろうか。中野の古いマンションに奥様と慎ましく暮らしておられた。あの技と人格を極められるには、さぞ精進を重ねられたことと思う。その大きさ故か、愛弟子の円楽師匠や円窓師匠は
未だその名を継げずにいる。

私のお客様の中に、落語をこよなく愛する鶴見のY院長がおられる。学生時代に落語研究会に席をおいていた経験は、医療の現場で生かされている。Y院長いわく『診療室は私たちのステ-ジである』と。患者さんごとに話題を変え、声のト-ンを変え、身振り手振りを変えて患者さんの心をつかんでゆく。Y院長との話はとてもおもしろく学ぶことが多い。

Y院長の他にも、麹町のI社長や川崎のY院長が素晴らしい。考え方や交渉術、人間関係の作り方はもちろんであるが、私が敬服するのは人を傷つけないということにある。人間、誰しもミスはつきものである。そんなとき、この方々は決して人を責めることをせず、穏やかに傷つけないようにミスを指摘する。この心配りが素晴らしく、なかなか真似できない。

こんな二代目経営者にも共通の悩みがある。先代を超えたいという思いである。
先代を超えないと二代目として認められないと勝手に考えてしまう。
しかし、先代は皆な超人である。超個性的である。先代を超えるのは至難の業である。じっくり体制固めをし、じっくり将来を見つめ、じっくり歩めば良い。

先代を超えようとして、焦ったり、あれこれ冒険をして失敗することが多すぎる。
何も先代を超えなくても良い。継いだものを維持するだけで充分立派なことであり大変な事でもある。受け継いで、維持させて、次に引き渡す。ここに、二代目の大きな価値がある。常に進化し成長したいという意欲があり準備を怠らなければ、いずれ成長軌道にのせるチャンスは巡ってくる。



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WBCチャンピオンで思うこと

2006-03-22 06:10:07 | 独り言
王ジャパンがWBCのチャンピオンになった。この快挙に日本中が感動し沸き立った。すごいことである。日本人の心が一つになった瞬間でもある。

さて、私たちの心が一つになったのは、本当はいつだったのだろうか?
一部の熱狂的な野球ファンを除けば、多分、対アメリカ戦での主審の大誤審の時からではないだろうか?あの勝敗を左右する場面での、明らかに誤った審判に私たちは怒った訳で、あの瞬間から私たち日本人の心は一つになった。と思う。

王監督は、『日本の野球の将来のために』というミッションを掲げて戦いに臨んだ。使命感を持つ人間や組織は強いしくじけない。強い信念に裏付けられているからである。これでまた、野球少年が一気に増えるのか。

荒川静香さんらの美しい舞いを見てフィギュアスケ-トを始める少女が増えたという。カ-リングもしかりである。見たもの触れたものに影響されやすかったり憧れを抱くのは、何も日本人だけではあるまい。

しかし不思議なものである。だからといって、フィギュアスケ-タ-が決して5000万人にはならないし、野球人口が5000万人になることもない。よくバランスされているものである。もし、一つのものに人気が集中し、国民の半分の人たちが始めてしまったらどうなるのだろうか?

例えば、ロッククライミング。谷川岳の一の倉沢の岩壁に、年間5000万人の人が取り付いたらどうか?おそらく、打ち込まれるハ-ケンによって10年もしないうち垂直岩壁は崩壊するだろ。

例えば、日本中の渓流に5000万人の釣り人が訪れたらどうだろうか?
溪魚が絶滅する前に、釣り人同士の諍いによる殺戮で釣り人が絶滅してしまおう。
でも決してこんな事にはならない。よくバランスされているものだと、つくづく思う。Xジャパンのコンサ-トだって夏の湘南海岸だって、あの程度ですんでいる。

ことほど左様に、どんな世界でも同じである。商売の世界ももちろん同じである。
地域一番の歯科医院などと言っているが、持ち患者3万人のクリニックが日本に何件あるのか?日本一の会計事務所を目指すという同業者が何人もいるが、いま日本一の規模を誇る会計事務所でも社員数は精々100人程度である。小さい小さい。

患者は、日本一の歯科医院を望んでいるのか?会計事務所のクライアントは、日本一の会計事務所を望んでいるのだろうか?違うと思う。患者やクライアントは、自分を一番大切にして欲しいと、ただそれだけを望んでいるはずである。
ここを間違えてはならない。私たちは、何も日本一を目指すことはない。私たちの、いま目の前にいる患者やクライアントを、自分の一番大切な人として心を込めて接し、良き理解者になろうとすれば良い。
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なに不足?

2006-03-20 01:15:30 | モモ
『裸にて、生まれて来たに、なに不足』
先日、通りかかったお寺の掲示板に、こんな句を見かけた。
欲を捨てよということか?どうせ裸で生まれて裸で死にゆくもの、必要以上のものをあれもこれもと欲しがりなさんな。こう言われているような気がした。

生きてるだけで丸儲け。そのとおりかもしれぬ。雨露しのげる住まいがあって、身だしなみを整えるだけの衣服があって、心のこもった食事ができる。これで十分かもしれない。心地よい酒があって、心を許せる友がいて、好きな渓流があって、そして、いつでも帰れる家庭があって。これ以上、何が不足というのか?

でも私たちは皆、子供の成長につれて金が必要になる。病気の時にも金がいる。いい車も家も欲しい。老後を考えるとアパ-トぐらいは持っていたいし別荘も欲しい。やはり、人間の欲望には際限がない。

欲にまみれた都会の生活に嫌気がさして、山村に移り住んで百姓生活に入った人から見ればアホクサと思うのだろうか?

我が家の14歳になる老犬に聞いてみた。もちろんテレパシ-で。
『私は、1日2回の散歩ができて、友達と茶飲み話ができて、ご飯があって、ゆったり眠れる布団があって、守ってもらえる家族の愛があれば、もうそれだけで充分なの。余計なお金も洋服も何にも欲しくないのよ』

私も、これからはもっと自分の時間を作り出す準備を始めようか。もっと自分の時間を大切にしたい。疲れ果てて気力が消え失せてしまうこの時期には、いつもこんなふうに思いを巡らす。

これは、現実逃避のネガティブシンキングなのか、これからの自分の生き方を思うポジティブシンキングなのか、よくわからない。
はっきり言えることは、我が家の老犬モモは何もないけど決して不幸ではないということである。
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私の春本番

2006-03-19 12:46:18 | フライフィッシング
ようやく殺人的な日々が通り過ぎた。1ヶ月に及ぶ徹夜と緊張状態から解き放たれた瞬間、一気にからだは抜け殻になる。まるで自分のからだとは思えぬほどに、どんよりと重く気だるく気力が消え失せる。それでも時の流れは1秒たりとも待ってはくれない。翌日からはまた気力を振り絞ってお客様と向き合う。

こんな激務をもう何年続けているのだろうか?でも、やめたいと思ったことは一度もない。仕事が好きだからであるし、お客様が好きだからである。

体力が元に戻り、からだの中に気力がみなぎるまでに2週間かかる。いつもの事だが私の春は4月からが本番となる。それまでの間はリハビリに専念する。
昨日は、例年どおり『神の川の支流、日蔭沢』でリハビリの一日を過ごした。

清冽な溪の流れと木の緑、そして空の青さが私にとっての癒しの3要素である。
これに、さわやかな風と可憐な花とおいしい酒があれば死んでもいいと思う。
今回はロッドを振る気力もなくて、ただゝ飲んでぐっすり5時間も眠った。

人は誰も、自分だけの癒しの元をいくつかもっている。家庭であったり、音楽であったり、絵を描く事であったり、山に登ることであったりと。

女性の方からよく聞かれる。『釣りのどこがおもしろいんですか、釣れないのに』、、、名人に向かって、釣れないのには余計であるが、私はいつもこう答える。『やってみた人でないとわかってもらえないですね』。

倒錯の世界。女装で癒される人、赤ちゃんに変身して癒される人、麻薬で癒される人。ムチで打たれて癒される人。何でそんなことで?あなたと同じように私もそう思います。でも、あの人たちも言うでしょうね。『経験した人でないとわかってもらえないですね』。

川に行っては酒を飲み、山へ登っては酒を飲み、釣りも山歩きもそこそこにむさぼり眠る。私のような行動も、もしかして倒錯の世界と思われているのかしら?
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石炭と薬草

2006-03-16 00:46:30 | 独り言
冬の季節が始まる頃、そして冬の季節が終わる頃、必ず思い出すことがある。もう40年も前のこと、小学生時代の思い出。冬は嫌いなのに懐かしいのは思い出が深いためだろうか?

私は相模湖の奥の山間僻地に生まれ育った。昭和30年代の貧しい時代の貧しい山間僻地の小学校であった。町の財政も厳しく、冬になっても満足に石炭も与えられない時代であった。

私たちは、先生方と相談してアンゴラウサギをたくさん飼育してウサギの毛を売ることにした。夏休みも冬休みも、休まず交代でウサギを育て、ふわふわな毛が沢山とれたときの嬉しかったこと。

夏休みにはドクダミやゲンノショウコなどの薬草やセミの抜け殻を沢山集めて漢方薬局に売ったりもした。全校生徒80人が一所懸命集めた薬草で、やっと冬を越せるだけの石炭を買うことができた。

冬の季節に入る頃、石炭を満載した2台のトラックが到着し、校庭の片隅に石炭が山積みされたときは、もう私たちは嬉しくて喚声を上げながら石炭の山に駆け寄って、石炭の冷たい温もりを握りしめたものである。

仲間たちと皆で一つのことを成し遂げた最初の体験だったのかもしれない。貧しくて、物もない時代だったためか皆、仲良しだった。何でも分け合ったし、イジメなんて知らずに育った。幸せな時代であったと思う。今でも会うと男でも女でもチャンづけで呼び合う仲である。

時が経ち、いま、豊かな時代になりすぎた。子供たちも、そして大人たちも、物を作り出す能力が退化してしまった。物を大切にする習慣もなくなった。こんな時代にこそ、自分を、そして人を思いやり大切に思う心を持ち続けたい。当たり前の事なのに、なぜか当たり前ではなくなっているから。

最後に、昭和40年代まで主要なエネルギ-として私たちの生活と経済成長を支えてきた大地の恵みに感謝し、鉱(ヤマ)に生涯を賭けてきた歴戦の勇士たちにねぎらいと感謝の言葉を捧げたいと思う。
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有能なのは、ホントは女性なのでは?

2006-03-15 09:06:56 | 独り言
2週間ぶりに電車に乗った。この2週間、ずっと事務所に缶詰状態であった。
車中では人間観察がおもしろい。大げさに言うと『文化人類学的考察?』である。
特に、この20年ほどで男と女の文化人類学的?な傾向に大きな変化を感じる。

第一に、男性の読書量が絶対的に少ないこと。ひと頃より減ったとはいえ、若者からオジサンまでおしなべてマンガを読む姿が目につく。乱読家の私には信じがたい異常な光景に見える。反面、女性の読書や新聞を読む姿が年々増える。
女性の方が知りたいという意欲、学びたいという向上心が強いのか?

第二に、女性の男言葉が耳につく。『飯を食う』『うまい』『俺』『オメ-』。
こんな女性の顔を見ると知性のかけらも感じない。幻滅である。
女性には、いや男性にも美しい日本語を使って欲しいと切望する。

第三に、男性の自己主張が弱くなり女性のそれが圧倒的に強くなった。
特に若いカップルや中年夫婦に多く、情けない限りである。
男たちよ、強くなれ!もっと自己主張せよ!

仕事柄、沢山の女性と仕事をしたり話をする機会が多い。
そこで感じることは、女性は有能であるということである。世の男たちは女性に対して、視野が狭いとか独創性がないとか長期的視点がないとか責任感が薄いとか依頼心が強いとかのたまう。本当だろうか。私は逆であると感じている。

女性の創意工夫、自立心、視野の広さ、洞察力、決断力、曖昧に済ませない性格、どれをとっても男に優る。かく言う私も事務所では女性スタッフによく叱られる。

今はまだ男性社会である。男性社会の特徴は女性を受け入れず排除することにある。なぜだろうか?ホントは、男が女性の有能さを良く知っているからではないだろうか?女性の能力を良く知っているからこそ恐れているのではないだろうか?

有能な男は、そしてフェミニストは女性を見方につける。女性を良きパ-トナ-として認め、女性の能力を生かし切ることでいい仕事ができるし、女性にもっとチャンスがうまれる。

あなたの家庭はどうだろうか?組織の運営も家庭の運営も何ら変わるところはないはずである。女性の能力は侮れないですよ。女性の能力を認め、もっとチャンスを与えてみてはいかがですか?




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別れと出会いの季節

2006-03-08 23:55:02 | 独り言
芽吹きの季節が来た。そして、別れと出会いの季節でもある。きのう、私の元から
大切なスタッフが去った。寂しい。11年も同じ釜の飯を食った仲である。彼を送り出したあと涙が止まらなかった。彼が去った寂しさと、彼を幸せにできなかったことを詫びる気持ちをかみしめた。本当に『すまない』と思う。顔を見られたくなくて10分ほど資料室に一人こもった。今日、彼のデスクに彼がいない寂しさがたまらない。

スタッフが去るとき私はいつも思う。スタッフを成長させられなかった私は経営者とはいえない。スタッフを幸せにできなかったわたしは経営者失格であると。
スタッフが去るということは、私に対する否定であると素直に思う。特別な事情でもない限り私を否定して去ってゆくのである。

スタッフの退職届は、私に対する最後の強いメッセ-ジである。彼らのメッセ-ジを素直に受け止めて、もっと働きやすい、もっとやりがいのある、もっと彼らが幸せになれる職場環境を創ってゆきたいと思う。

彼の新天地での成功と幸せを祈りたい。そして、ポジティブシンキング。去った彼が私を変えてくれた。これから新たな出発となる。また、いいスタッフと出会えるチャンスをもらった。彼のおかげで良い職場環境を創るきっかけを与えてもらった。本当にありがとう。

しかし、経営者とは孤独で寂しいものである。何があっても、この場所を去るわけにはいかない。この場所で別れと出会いを繰り返しながら、ずっとこの場所を守り続けなければならない。つらくとも逃げる訳にはいかない。経営者とはそういうものである。

別れのあと、また新しい出会いの春になる。どんなスタッフと出会えるだろうか。




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35年前の記憶

2006-03-04 09:40:13 | 独り言
解放同盟が全国大会。昨日の夕刊22面の小さな小さな記事です。この記事を見て35年前の記憶が鮮明に蘇ってきました。

私が初めてこの問題に直面したのは、岡林信康の『手紙』という悲しい曲がきっかけでした。ラジオのDJをしていた岡林の元に届いたリスナ-からの手紙に曲をつけたものと記憶しています。

『私の好きなミツルさんは 叔父さんからお店をもらい 二人一緒に暮らすんだと
嬉しそうに話してたのに 私と一緒になるのだったら お店を譲らないと言われたの 私は彼の幸せのため 身を引こうと思っています に生まれたそのことの
何が悪い どこがちがう 』

人種差別問題は35年前、学生運動のかたわら良く議論したものでしたが、この問題もある人のたった一言であっけなく結論づけられてしまったのでした。
その人は、憲法学者の水木惣太郎先生。憲法の講義の時でした。

『君らは、基本的人権だの平等だのとのたまうが、じゃあ聞くが、もし君らが娘を持ったとしよう。その娘が結婚相手に選んだ男が、ナベの底を突いたような真っ黒な顔の男だったらどうする。諸手を上げて祝福してやれるだろうか?できねえだろう。これが人種差別の究極の姿なんだよ。

常識論や道徳論でわかったようなきれい事を言ってはいるが、君らの血が受け付けないんだよ。だから現実に人種差別が存在するんだろ。偉そうに白人を非難することなんぞできやしないんだ。人種問題は、人間の心や頭で解決するんじゃなくて長い時間が解決してくれるんだ。

長い時間をかけて、世界中の人種の血が混ざり合って薄まって、人種というものがこの世に存在しなくなって初めて解決するんだ。君らの生きているうちは先ず無理だろう。差別をしないという確固たる自信がつくまでは、消極的ではあるが積極的に関わらないことがお互いのためになる。』

べらんめい調で語る水木先生の言葉が衝撃的でした。あれ以来35年間、私はこの問題を封印し続けてきました。自分の考え方を安易に人に語ることもしていません。とてもデリケ-トでとても難しい問題です。

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心の栄養

2006-03-03 08:50:02 | 独り言
久世光彦さんが亡くなられた。『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などのホ-ムドラマは特に強烈な印象がある。強く大きな父親の存在感がすごかった。

私が30歳の頃、ある著名な映画監督とおつきあいをする機会を頂いた。それから亡くなられる迄の20年あまり、毎月お会いして色々なお話を伺った。
芸術家特有の頑固さはあったが、しかし、とても穏やかで優しかった。30歳そこそこの若造に対しても同じ目線で話をして頂いた。人間、極めてくるとこんなにも穏やかで優しくなれるものかと感服したものである。

その映画監督を通じて作曲家の先生や俳優さんともおつきあいさせて頂いている。
特に印象的なのは、悪役の俳優さんにお会いしたときである。画面の中のその人は
唇をゆがめて、いかにも悪人然としたイメ-ジで、私の中では役柄がその俳優さんの人間性と同化して心のスクリ-ンに焼き付いていた。

ところが、実際にお会いしてみると全く別人で、物腰が柔らかく、優しい笑顔と穏やかな口調に驚き、俳優さんの演技力を再認識したものである。

イメ-ジは創られる。人は見かけが大事、でも、見かけだけでも判断できない。
イメ-ジを創る側も、それを受け止める側も、充分注意しなければならない。

ところで皆さん、あなたは文化に触れていますか?感動していますか?
私はもう何年も、映画や演劇の小屋に足を運んでいませんでした。
忙しさにかまけて、心に栄養をあげるのを忘れていました。

泣いたり、笑ったり、心の底から感動したり。心にはいつも新鮮な水と空気と栄養をあげ続けて健やかにしておきたいですね。しぼんだ心ではワクワクドキドキとポジティブには決して生きられませんからね。
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タイムマシ-ンに乗りたい

2006-03-01 23:43:19 | 独り言
もう15年も前の話です。食卓を囲んでいると、いつものように8歳の息子のするどい質問が飛んできます。『お父さん、世界で一番大きいものは何?』
まるで禅問答のような質問に毎日考え込む日々が続くのでした。

『宇宙』とでも答えようか?いや待てよ、宇宙の端から端までのカベの距離が数千万光年であることは既に測定済みである。限りあるものはいくら宇宙でも一番とは
断定できない。困ったなあ。そこで胃液の分泌を一時止めて考え込みます。

『それは人間の頭の中の世界かな?人間の頭の中で考える空想の世界が一番大きいんじゃないかな?空想の世界では鳥になって空を飛ぶこともできるし、ウルトラマンになって宇宙に行って宇宙人と友達にもなれる。マジンガ-Zになってマグマの中を泳ぐこともできるし、タイムマシ-ンに乗って聖徳太子や恐竜にも会いに行ける。三日月に鎖をつけてネックレスにしてお母さんにプレゼントもできる。できない事なんてなにもないし、やってはいけないこともなにもないよ。すごいだろ?』

答えた後で、果たしてこれでいいんだろうか?などと自問自答が始まる。息子は息子で『じゃあ、お父さんもタイムマシ-ンに乗って未来の世界へ行けたら絶対に株が儲かっちゃうね!』などと憎いことをのたまう。まさにそのとおり。でも未来の株価がわからないからこそ株はおもしろいのであります。そうですよね。

株式投資といえば中国株が妙味大。すでに成熟期にある日本に比べて中国経済の成長期待は大きい。さて、中国株投資にあたって私たちの最大の強みは何であろう?
それは、私たちが既にタイムマシンに乗って中国の未来を見てきている点にある。

中国は今、昭和30年代~40年代の日本に酷似している。所得倍増計画、東京オリンピック、大阪万博などを契機に高度経済成長を遂げた道を同じように進もうとしている。当時の日本の経済成長率は平均9.8%、国民所得も増加し夢であった3Cが普及し、中央高速と新幹線が開通しインフラ整備の鎚音がそこかしこで鳴り響いた。円の変動相場制と金融制度の整備により世界のマネ-が大挙して流入し、
平均株価はバブル時のピ-クまで数十倍の上昇を遂げた。

中国は今、9%程度の成長率を維持しており、国家プロジェクトである北京オリンピックと上海万博の成功に向けて国家の威信をかけて取り組んでいる。WTO加盟により元の自由化も既定の事実であり、まさに当時の日本の状況に瓜二つである。

今年に入って中国株の動意が伺える。人民元も元高トレンドに入った。私と一緒に中国の夢を買った皆さん『株を枕にあと2、3年』のんびり楽しみましょう。

『節分天井彼岸底』の相場格言どおり、日本株は急落して彼岸底を形成した。
そろそろ買いましょうかね。『買いは処女の如く、売りは脱兎の如く』。

先人たちの相場格言は、いつの時代にも生き続けて私たちへの教訓となる。
なるほどと感服してしまう。今の私たちに、こんな素晴らしい相場格言を生み出す能力はあるのだろうか?考えるほどに先人たちに頭が下がる。スゴイ!!


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