この週末は幼馴染とふたり、まだ雪深い残雪期の西穂独標をやろうと予定していたのだが
天気予報が直前になって暗転し敢え無く中止と相成ってしまった。
今年のGWは3日ほど休みを取ろうと画策していたので
幸いにも2日間をみっちり仕事に充てることができて夢の3連休実現に一歩近づいた感がある。
仕事が終われば晩酌の楽しみが待っている。
今夜は、神戸の妹から贈られてきた焼きアナゴ、北信の釣友から頂いたスノ-キャロット
同業の親友から孫の出産祝いに頂いた山形の初孫、自前は行者ニンニクを漬け込んだタレを使った鰹の刺身だけである。
ほどよく味付けされた焼きアナゴはふっくらと口中を和ませ、果物のようなスノ-キャロットはスティクよりも丸かじりの方が断然おいしい。
行者ニンニクで食す鰹の刺身は山の幸と見事に融合して芳醇な味と香りを醸し、大吟醸の初孫が心地よい酔いを誘ってくれる。
日本の食材の何と豊かなことか、これらすべてが清き海と山と大地と水がもたらしてくれる恵みかと感動さえ覚えてしまう。
頂き物といえば渓魚も山菜もキノコも山からの頂き物と言えるでしょうか。
僕は、春に山菜を摘んで味わい、夏には岩魚を釣って野生の命を頂き、
秋にはキノコを採り、山に眠って癒される時間を人生の楽しみにの一つにしています。
そんな中で、僕はいくつもの規則や法律を犯しながら山遊びを楽しんでいるのだということを強く自覚しています。
他人の山に無断で侵入するのは不法侵入(刑法)、無断で山菜やキノコを採捕するのは森林窃盗(森林法)
山の所有者から退去を求められて立ち去らなければ不退去(刑法)などなど、、、
釣り券を求めずに山釣りするのも、これは規則なので法律ほど強い強制力はありませんが違反は違反です。
ことほど左様に私たちは日々の生活の中で、或いは山遊びの中でいくつもの法律や規則を犯しています。
日本人である限り、施行されている法律の存在を知らなかったという言い訳は意味を成しません。
現実には、山に入っていて所有者に出会ったとしても、山菜やキノコを採っているのを見られても、
大目に見てもらっているのは、昔の入会権(もちろん私たちよそ者には入会権などありません)の名残なのか、
田舎の人たちの大らかさなのか、松茸ほど価値あるものでもないからなのか、そんなものに救われているような気がします。
それでも、我らよそ者が渓に下りるために山に分け入って木を折り倒したりタラの芽やワラビを無断で採っていくことに
トラブルや苦情が出ていることも確かです。
地域によっては、今でも山菜やキノコに生活の糧を得ている人たちもたくさんいる訳ですからね。
山の恵みを頂くことや山遊びは単に山からの贈り物ではなく、多くの山の所有者からの許容であり贈り物でもあると心から感謝している次第です。
天気予報が直前になって暗転し敢え無く中止と相成ってしまった。
今年のGWは3日ほど休みを取ろうと画策していたので
幸いにも2日間をみっちり仕事に充てることができて夢の3連休実現に一歩近づいた感がある。
仕事が終われば晩酌の楽しみが待っている。
今夜は、神戸の妹から贈られてきた焼きアナゴ、北信の釣友から頂いたスノ-キャロット
同業の親友から孫の出産祝いに頂いた山形の初孫、自前は行者ニンニクを漬け込んだタレを使った鰹の刺身だけである。
ほどよく味付けされた焼きアナゴはふっくらと口中を和ませ、果物のようなスノ-キャロットはスティクよりも丸かじりの方が断然おいしい。
行者ニンニクで食す鰹の刺身は山の幸と見事に融合して芳醇な味と香りを醸し、大吟醸の初孫が心地よい酔いを誘ってくれる。
日本の食材の何と豊かなことか、これらすべてが清き海と山と大地と水がもたらしてくれる恵みかと感動さえ覚えてしまう。
頂き物といえば渓魚も山菜もキノコも山からの頂き物と言えるでしょうか。
僕は、春に山菜を摘んで味わい、夏には岩魚を釣って野生の命を頂き、
秋にはキノコを採り、山に眠って癒される時間を人生の楽しみにの一つにしています。
そんな中で、僕はいくつもの規則や法律を犯しながら山遊びを楽しんでいるのだということを強く自覚しています。
他人の山に無断で侵入するのは不法侵入(刑法)、無断で山菜やキノコを採捕するのは森林窃盗(森林法)
山の所有者から退去を求められて立ち去らなければ不退去(刑法)などなど、、、
釣り券を求めずに山釣りするのも、これは規則なので法律ほど強い強制力はありませんが違反は違反です。
ことほど左様に私たちは日々の生活の中で、或いは山遊びの中でいくつもの法律や規則を犯しています。
日本人である限り、施行されている法律の存在を知らなかったという言い訳は意味を成しません。
現実には、山に入っていて所有者に出会ったとしても、山菜やキノコを採っているのを見られても、
大目に見てもらっているのは、昔の入会権(もちろん私たちよそ者には入会権などありません)の名残なのか、
田舎の人たちの大らかさなのか、松茸ほど価値あるものでもないからなのか、そんなものに救われているような気がします。
それでも、我らよそ者が渓に下りるために山に分け入って木を折り倒したりタラの芽やワラビを無断で採っていくことに
トラブルや苦情が出ていることも確かです。
地域によっては、今でも山菜やキノコに生活の糧を得ている人たちもたくさんいる訳ですからね。
山の恵みを頂くことや山遊びは単に山からの贈り物ではなく、多くの山の所有者からの許容であり贈り物でもあると心から感謝している次第です。